2009/03/06(金)14:56
ホトトギス
毎朝通る道に接する喫茶店横に、椿が植わっていて、その根本には一面に花が落ちている。
見るたびに、そのままに腐れていく姿に感慨を催し、ついに一句を物した。
散り敷いて 椿の花の 九相図
地に落ちている椿の花を見ると思い出すのは、漱石の句である。
落ちざまに 虻を伏せたる 椿かな
上五句を忘れてしまっていたので、ネットで検索をかけて見たらば、寺田寅彦の文章がヒットした。
青空文庫で、「思い出草」の一部だった。落ちゆく椿が、虻を伏せ閉じてしまう可能性について、物理的考証を加えている。
この「思い出草」は、
「明治の昔ホトトギスの若い元気な連中が鳴雪翁(めいせつおう)をつかまえてよくいじめた時代があったのを思い出すのである。」
と終わる。この一節を読み、子規存命中に、その枕もとで一同会してあれこれやってた図を想像してしまったのだが、次いで寅彦エッセイをあれこれ読み散らす間に、没後のことなんだろうなと考え直した。
漱石帰国後の、ホトトギスに小説が載っていた頃の話だろう。
寅彦の書いた、子規の思い出や、ホトトギス周辺の人々、ホトトギスと新俳句周辺についてのエッセイを読んでいると、なんだか私まで、懐かしさを覚えてくるのが不思議である。
自分が子規好きなものだから、寅彦だというのに子規関係エッセイばかり掘り返して読んでいるが、子規や、当時のホトトギスに対する愛着は、漱石に対するものにそれほど劣りはしないのではないかと思う。「根岸庵を訪なう記」など、画力があればマンガに仕立たいくらいステキだ。行き過ぎる電車の音が聞こえてくるような、克明な文章である。やや薄暗かったであろう日本家屋の中の一間の、「清閑の情」を如実に伝えてくれる。
どれほど忘れがたい存在だったのだろうかなぁ、などと考えていたら、ホトトギスの声を忘れかねると言う意味の句があったような気がして、気になって仕方がなく、これまたネット検索をかけてみた。
あれやこれやと検索語を変えて、ようやくヒット。
「一声をいかで忘れんほととぎす」
幕末の志士吉田松陰が、高須久子と言う女性に送った、別れの句であった。