ほととぎす
鳴きつるかたをながむれば…ではなくて。寅彦が初めて子規庵を訪れた時の話を書いてみたいなぁ、と思いつつあります。寅彦が初めて子規庵を訪れた時の話は、寅彦自身が「子規庵を訪う記」というのを書いているので、それを参考にしつつ、周辺事情を埋めていけばいいのですが。寅彦と子規の関わりと言えば、彼が熊本時代の漱石に教わっていた時、俳句について色々聞いて教えを請うて、この時期は漱石も、俳句作っちゃ子規に送ってたような時期なので、寅彦のも送ったことが何回かあった模様。それが明治30年頃で、そのころ松山で、柳原極堂がホトトギスを作ってたわけです(松山時代はひらがなだったっけ?)そのころにもう、載ってたのかなぁ…。今週有休取って、国会図書館にホトトギスを見に行く予定なんですが、出来れば何号を借り出せばいいのか解るといいなぁ、と検索をかけてみました。バックナンバー表示でもないかなぁと(笑)そしたら、俳誌ホトトギスのホームページがありまして、此処に創刊号からの目次が、画像データとしてアップロードしてあったんですね。をを、コリは便利♪ と、1巻からつらつら眺めていたら、2巻の(←第二期と言うべきか? 東京転居してからのホトトギス)2号に、夏目某という名で「不言の言」と言うものが載っていました。漱石なんだろうなぁ…。で、第三巻になると、牛頓という名前が現れ始めるのです。牛頓って、寅彦のことです。寅彦は、32年の9月に初めて子規に会っているので、ほとんどその直後から、名前が出始めてるみたいです(牛頓の名前が目次に初めて出てくるのが、32年10月発行のホトトギス)そして、34年の第四巻になると、寅彦の名で投稿絵画が載るようになってる…。これだ! これが「子規が気に入っていた」という寅彦の絵だ!!(でも、どれだかわかんない…←数回載ってる)裏表紙になったと言うから、4巻1号の絵かなぁ…。そして、4巻では募集日記という項があり、此処でも牛頓で窮理日記とかが載ってたりします。が。もっと気になるのが、寅彦が夏子に書かせたという日記!十九の女、という筆名があるのです。2回くらい。この人かなぁ…と思ったり。なんか、どっかの資料で読んだような気がするようなしないような…むう。ま、どーでもいいっちゃいーんですが。というか、もう、3巻4巻借りてがっしり読むしかないんですが。そんなこんなで、ホトトギスのHPをつらつら見てたら、芦屋の高浜虚子文学館へのリンクがあった。…ああ、そうか…そうだわよねぇ…。芦屋にそんなものがあったわねぇ~~。しかも、子規の仰臥漫録は、そこにあるのよね~~。折しも7月には神戸に行く。だったら、ちょっとアシ伸ばしていっとくのもいいか?とは思うものの、須磨と神戸で時間いっぱいいっぱいな気が。これが子規記念館なら何をおいても行くけど、虚子だし(←をいをい)いや、別に虚子が嫌いなわけではないので虚子でも全然構わないのだけど。私は。稲畑汀子(←虚子の孫で、文学館の理事長)が苦手だ…。会ったこともない、書いたものを読んだこともない人に対して苦手も何もなかろーと我ながら思うが…。どーも「子規唖然」「虚子憮然」ー『仰臥漫録』自筆稿本始末記ーを読んだ時の印象が…。なので、この人がハバを利かせていると思うだけで、現在のホトトギスにも虚子記念館にも近付きたくないような気がしてしまう。我ながら、好き嫌いが激しいなぁ(←しかも理不尽な理由で人を嫌っている…)以上、俳誌ホトトギスに関する話題をつらつらと書いてみました。(そろそろ子規、ジョニー、高杉、中居くん他併せて『えをとこ』じゃなく、各人項を作った方がいいよなぁ…)