かける言葉、かけられる言葉
今月17日の私立高校入試(奨学生)をスタートに、いよいよ高校入試が始まりました。今月末に、私立高校入試(一般)、2月に、公立特色化選抜、3月に、公立一般選抜と続いていきます。 中3生との二者面談、親御さんとの二者面談、中3生と親御さんとの三者面談、この時期は、毎日のように面談が入ります。 内申と実力テスト(5教科入試対策テスト)、生徒本人の希望、親御さんの希望、様々なことを考えて、毎年、出願校を決定していきます。 最後まで諦めず、受験を乗り越えて欲しい親御さんだけでなく、子どもを想う大人たちの願いなのだと思います。 ただ、それはどこを見て願う気持ちなのか・・・ それから先の将来。幸せな人生を歩んで欲しいと願う気持ちから来るもの。 受験が近づいてくると、本人だけでなく、子どもを想う大人も、心配の余り、それが見えなくなることも。 そこがゴールであると錯覚してしまうと、最後まで諦めるな! 頑張れ!という言葉が全ての子どもに適切であるかのように思えてしまう。いや、適切な言葉かどうか、それを考える余裕がなくなってしまうのかもしれません。 塾講師になって11年が過ぎようとしていますが、僕の経験上、間違いなく、適切である子どもと、そうでない子どもの、両方が存在します。もともとの人間的なタイプというのもあるかもしれませんが、一人の人間の中で変化していく状態として僕は捉えています。 実は、僕も危ないときがあったんです。中学3年生のときですかね。小学生の頃から、がっきーは優等生だからねぇ~と、同級生からも、近所の大人たちからも言われてました。深層心理に、みんなの期待を裏切ってはいけない。僕に向けられてるイメージを壊してはいけない。そんなものがあったと思うんです。 部活(ソフトテニス)の部長、部活引退後の駅伝アンカー、生徒会長、それらを努めたのは、勿論、僕の希望でもあったわけですが、100%そうだったわけでなく、30%ぐらいは、期待を裏切っちゃいけないっていう義務感!?、少し自分が縛られるような気持ちでした。 それが占める割合が段々と増していったときがあったんです。何かに追い詰められて、つぶれてしまいそうな状態。そんなとき、姉がコーヒーを2人分もって、僕の部屋に来るんです。 まぁ、飲みんさい、遠慮しんさんな。 あんたはスーパーマンじゃないんじゃけぇ、できんこともあるわいねぇ。そりゃぁ、期待に応えようとするあんたは立派じゃと思うよ、ホントに。あんたは周りに良く思われ過ぎなんよぉ。私から言わせりゃぁ、デタラメなところもいっぱいある弟なのに。 ムカッ! いや、『かわいそうじゃのぉ~』、ってことよ。だって、どんどん良いイメージが膨らんでって私から見たら凄いことが、あんたじゃッたら普通って思われるわけじゃろ?普通ってことで片付けられるってことは、それを凄いにもっていくには、もっと頑張らんにゃぁいけんってこと?私から見たら、十分、凄過ぎなのに?アホか! 弟はデタラメなところも当然ありながら、それでも期待に応えようと見えんところ(家)で努力してるんだって。って、言ってやりたくなる。 応えることができんでも、誰もあんたを責めれんじゃろぉ。私にはできんことを、あんたはたくさんやってきとんじゃけぇ。もし責める人がおっても、言わせときゃぁええじゃん。私は、笑っちゃるけどね。今の時点で大したもんなんじゃけぇ、焦るなってことよ。ね? 肩の力がスーッと抜けていく感じがしました。姉ちゃんはわかってくれてる、そう思わせてくれた姉のこの言葉に、僕は救われたんですよね。 僕は、毎年、この時期になるとこの姉の言葉を思い出しながら、受験生にかける一言、一言を考えます。 この記事が「役に立ったな」とお感じになった方だけで結構でございます。 クリックお願いします。 この結果を参考に、より良い記事が書けたらと思っております。