哀れ、上野介。
師走は忠臣蔵。未だに人気を博しているのは敵討ちなどご法度の現代でも、心情においてはさほどの違いはないようです。ところで、赤穂事件の真相は諸説紛々してますが、実際はどうだったのでしょうか?今の裁判員制度で審議しなおしたら、一体どういう結果がでるでしょうか?観るたびに悪役で殺されてしまう上野介は、ホントに悪だったのでしょうか?気になるところではあります。ワタシの暮らす地は上野介の吉良町に近いです。忠臣蔵では悪役の上野介も、地元では名君です。しかし、解せないのは、松の廊下事件ではお咎め無しの吉良家も結局断絶してしまったところ。両家とも、当時の幕府の大名改易政策の口実に、まんまと引っかかってしまったような気がします。討ち入り最後の場面。内蔵助「討ち入ったは、我が主君の無念を晴らすため・・・」上野介「幕府がお咎め無しとしたものを何を云うか!田舎者め!・・・」上野介の気持ちよくわかります。ワタシも陪審員の一人となって少し推理してみましょう。一般的に上野介のいじわるが原因説に対して、饗応役のリーダーである上野介、内匠頭の接待が失敗すれば、結局は自分の失態になる。だから、いじわるなど考えにくいです、上野介はシロと私は見ます。あれは浅野内匠頭の精神破綻、ストレスのあまり、ブチキレてしまったのではないでしょうか?松の廊下で刀を抜けば、お家がどうなるはだれでも知っていたでしょうに。現代でも、キレて殺人を犯す者が結構いるじゃありませんか!もし、上野介がシロなら、四十七士は無法者です。江戸時代の古き物語ながら、永遠に吉良上野介は悪役で、地元じゃこの時期はキット辛いんじゃないかな?なんて上野介とは縁もゆかりもないワタシですが、こんな思いで忠臣蔵を見ています。3.11のメッセージ