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2007.03.12
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カテゴリ:カテゴリ未分類
2007年1月10日、四国の徳島新聞で以下のような報道がされていました。

『 イスラエルのエリ・コーヘン駐日大使(57)と妻のツビヤさん(55)夫妻が九日、美馬市とつるぎ町を訪れ、同市穴吹町の指定文化財の石積型神殿「磐境(いわさか)神明神社」などを視察した。 訪問は2005年11月に続き、二度目。旧美馬郡内のまちづくりグループ美馬チャレンジ会議の会長らの案内で同神社を回った。
 社殿を囲む石積みを見て、大使は「ピラミッドなど、きれいに加工した石を積み上げるのが普通。自然の石を積み上げた祭壇は、ユダヤ教の神殿とこの神社以外で見られない」などと話した。
・・・中略・・・
 大使は空手の黒帯五段で日本への造けいも深い。昨年は日本とユダヤの文明の類似性について論じた著書「大使が書いた日本人とユダヤ人」を出版。05年の訪問で同神社などに興味を持ち、「ゆっくり見学したい」として再訪問が実現した。』

 今密かに行われていることがあります。
 それは「失われた部族を捜す」機関メンバーが日本にやってきていることです。
 ・・・これは、一体どういうことなのか?
 そのグループは2月に来日し、今月6日から21日まで、日本人の遺伝子調査を行うといいます。
 
 古代ユダヤ人の末裔、その流れを話すにはその歴史を紹介しなければなりません。
 
 ユダヤ民族は12部族。
 ユダヤ王国を統一していたのは、有名なダビデ王でありました。
 その子供がソロモン、そしてソロモンの子がレハブアムでした。
 このレハブアムの時代にユダヤ王国は北朝と南朝に分裂したのです。
 そのとき北朝を統治したのはダビデの直系ではなく、ヤロブアムという人物でした。
 あまりにもレハブアムが横暴な政治をするために、その反動から分裂に至ってしまいました。

 ヤロブアムから生まれた北朝は10部族が集まり、首都はサマリア。一方、南朝は残り2部族でレハブアムの下に置かれ、首都がエルサレムでありました。そして北をイスラエル、南がユダという国になりました。
 思えば、日本歴史の中にも南北朝時代がありました。このようにユダヤ民族も南北朝が激しく対立した歴史が残っているのです。
 ところが、ユダヤ民族は南北朝の争いで決着がつくことはありませんでした。それは外部の勢力により、ユダヤ国家は分裂し、崩壊し、そして離散していったのです。

 失われた10部族と呼ばれる北朝イスラエルは紀元前722年、アッシリア帝国の侵略を受け滅びます。そして10部族はアッシリアに連れていかれました。
 その後、アッシリアはスキタイという騎馬民族に滅ぼされます。ところがその時点でスキタイは10部族を元の地に帰すことなく、引き連れていくのです。
 スキタイは黄金文化を築き、当時の最先端技術である騎馬軍団を使用し、多くの国を崩壊させました。馬に乗り、ユーラシア大陸を移動する騎馬集団、彼らは東へ東へと移動を続けていたと思われます。
 昔、あるロシア人がアイヌ人の先祖は実はスキタイであると述べたことがありました。
 それは、彼らのお墓である環状列石(ストーンサークル)がロシアや日本において発見され、特に東北地方に多く見られ、また東北といえば馬の文化が残っています。
 おそらくスキタイは10部族の人々を引き連れ、自分たちもそのまま日本に土着するようになったものと思われるのです。

 一方、残された南王朝ユダ。
 その国家もまた崩壊へと導かれていきました。
 当時のバビロン(今のイラク)の王ネブカデネザルは数回にわたりエルサレムに降伏を促した。
 その後、紀元前586年、バビロンは武力でユダを破壊したのでした。
 そしてユダの人々はバビロン捕囚として連れ去られます。
 ところがバビロンは南王朝ユダを滅ぼした後にペルシャによって滅ぼされ、そこに捕われていた2部族は元の国に帰ることができたのです。
 しかしそれから多くの年月が流れ、紀元後になり、ローマ帝国によって離散されます。
 ローマによって散らされたことは「ディアスポラ」といわれています。これは実際にはユダ族とベニアミン族の2部族のことをいうのです。

 この2部族は主に二回に分かれて日本にやってきたという噂があります。
 最初はバビロンに滅ぼされる前、預言者イザヤが、かの有名な「契約の箱」を携えて渡来したこと。
 そして二度目は紀元後になって、イエスを救世主と認めた景教を信仰するユダヤ人秦氏。この人たちがシルクロードを通って中国や朝鮮を経由し、長い年月を経て日本に渡来したのです。

続く






Last updated  2007.03.12 06:31:02

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