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テーマ:地震だ~~!!(868)
カテゴリ:雑感
また今年も1・17がやってきました。もう12年経つんですね。昨年のブログではその当日のことを書きましたが、今回は1・17以後のことです。
95年1月17日当日は私の当時の職場である神戸へは行くことが出来ませんでしたので、自宅待機となりました。翌日、大阪の事務所へ出てくるよう指示があって大阪の事務所へ行きました。そして、神戸のトップ(所長)から「本日のうちに神戸の事務所へ行って必要最低限のものを取ってくることにしたが何があるか」と聞かれました。余震もまだあった中での物品を取りに行くのは無謀だと思ったのですが、お客さんの安否確認しようとするとその連絡先等のデータがなければどうしようもなかったので、神戸の事務所へ行かれる方にお願いしました。私はそれ以外にいろんなトラブル等をまとめたトラブルファイルもお願いしましたが、そのファイルは結構分厚かったのでそれはムリかもって言われました。でも、「私のこれまでの汗の結晶だから」ということでお願いしました。 神戸の事務所に行かれた方から連絡先等が載ったデータファイルとトラブルファイルが壊滅状態になった事務所内から探し出されて私の手元に届いたときは、ホントうれしかったです。 さて、翌日以降からお客さんへの安否確認が始まりましたが、私はこれに対してはあまり乗り気ではありませんでした。いくら上司からの指示とはいえ、まだ震災後2日あたりで火災になっているところもあったり、混乱しているところもあるのに電話連絡するというのはいかがなものかって思っていたのですけどね。 そんな中でも私に関係するお客さんはそんなにたくさんおられなかったし、順調に安否確認ができました。ただ、2箇所だけどうしても連絡がつきませんでした。 まず1箇所のお客さんは火災の被害が大きかった長田区のお客さん(社長さん)で会社は自宅住所になっていました。その場所は海側ではなかったので多分大丈夫って思っていたのですけど、電話そのものがつながらなかったんです。そこで当時はまだ普及が少なかった携帯電話をその社長さんがもっていたのを思い出したので、名刺に書いてある番号へ連絡してみました。すると、奇跡的につながって、「わしは大丈夫やし、ワイフ(奥さんのことですね)も大丈夫。ただ、息子が帰ってこないねん。家はつぶれていないけど、家の中はぐちゃぐちゃや。今、家の近くまで火が来ているからこれから逃げるわ。落ち着いたら連絡するから。」と切羽詰まったような状況でした。 もう1箇所は灘区の海側にある会社でしたが、何度電話しても呼び出し音は鳴るけどつながらない。そこで、FAXに安否確認の内容を書いて送ったところ、しばらくして『FAXありがとう。電話機が壊れてしまったけど、FAXの回線は大丈夫みたいですね。従業員も会社も何とか大丈夫です。』との返信があってホッとしました。 後日、長田区のお客さん(社長さん)が来られて、「あの状況であんたのところから電話があるとは思わんかったで。心配してくれているんやなってうれしかったで。」と話してくれました。幸い息子さん(当日は早朝からバイトされていた)も帰る手だてが道路の寸断で時間がかかっただけで無傷でもどってきたとのことでした。私は混乱したときに電話することに異議があったんですけど、時と場合によるのかなって思いました。 ちなみに、仕事の関係で知り合いになった阪神間の自治体の方にも安否確認したところ、私の安否確認の電話が震災後の初めての電話であったとのことだったので大変喜ばれていました。その方にとっても、震災で回線は使えないだろうし、電話機も壊れてしまっただろうと諦めていたところに私から電話がかかってきたとのことでした。 あの震災から12年、今日は12年前と違って雨で気温も比較的高かったですが、あの日とあの翌日は寒かったのを覚えています。 今日も午前5時半に起きて、5時46分に神戸の方向を向いて黙祷していました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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