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テーマ:ニュース(99430)
カテゴリ:TV・ドラマ・サスペンス・映画・芸能
呼吸器疾患で療養中だった俳優の渡哲也さんが8月10日午後6時30分に肺炎のため死去した。78歳だった。所属事務所の石原プロモーションが14日、発表した。昭和の大スターがまた1人、息を引き取った。 1941年12月28日、島根県安来町(現・安来市)で生まれ、兵庫県淡路町で育った。高校卒業後に上京し、進学した青山学院大では空手道部に在籍した。 もともとは航空整備士を志望していたが、故・石原裕次郎さんに憧れ、一目会いたいと訪れた日活撮影所でスカウトされ、64年に日活入社。翌65年に映画「あばれ騎士道」で主演デビューを飾った。初対面の石原さんにあいさつをした時、握手とともに激励の言葉をもらったことに感動。後に自らも後輩たちに対して同じように振る舞うようになった。
(中略) 悪化していた石原プロの経営を立て直すため、76年からはテレビドラマにも本格進出。同年開始の主演作「大都会」シリーズ、79年オンエアスタートの「西部警察」はサングラスの似合うダンディーな姿が国民的な人気を呼んだ。 87年に石原さんが52歳の若さで死去した後、後継の社長に就任。2011年に退任するまで、弟分の舘ひろしとともに若手の「石原軍団」育成。2015年6月、急性心筋梗塞で緊急入院。約1か月後に退院、リハビリを続け、11月には仕事復帰を果たした。【スポーツ報知ネット版から引用】 体調が悪いという話はネットニュースなどでも見たことがあるし、また石原プロの解散という話も最近聞きまして、渡哲也さんのことを気にしていたんですけど、お亡くなりになったんですね・・・。 私にとって渡哲也さんと言えば、そりゃもう「西部警察」の大門さん、団長なんです。レイバンのサングラスにレミントン、ベタかもしれないけどそれがとても格好良かったんですよ。毎回ドンパチの銃撃戦に、カーアクション、爆破炎上と目まぐるしいのですけど、スケールが大きくて毎回楽しみにしていました。その中で、画を引き締めていたのが渡哲也さんでした。 ちなみに、「西部警察」の前には、「大都会パート2」「大都会パート3」があって、それはリアルタイムではなくCSで見ましたけど、それももっと男臭かったかなってね。 ところで、時代がそうだったといえばそうかもしれませんけど、「西部警察」や「大都会」のスケールの大きさやアクションのすごさは、今のテレビでは絶対できないことですよね。今ではCG多様ですけど、当時なら爆破シーンは本当に爆破させるし、迫力は全然違います。また、主役に絡む脇役の人たちや犯人役の人たちも味のある人が多くてわくわく感があったものですけどね・・・。 話を戻して、CSでは「西部警察」を今でも放送しているし、「大都会」のシリーズは、DVDを持っているからゆっくりみてみようかな・・・。 最後に、渡哲也さん、お疲れさまでした・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年08月14日 22時25分02秒
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