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テーマ:気になったニュース(30225)
カテゴリ:雑感
「ドカベン」「あぶさん」など国民的人気野球漫画で知られる漫画家の水島新司(みずしま・しんじ)さんが10日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。82歳。新潟県出身。葬儀・告別式は家族のみで執り行った。喪主は妻修子(しゅうこ)さん。 漫画家デビューは1958年、18歳のとき。以来、2020年12月、引退を発表するまで、野球漫画を描き続け、常に野球界に寄り添ってきた。プロ野球関係者をはじめ、野球界に親交もあり、昨年野球殿堂博物館が長年の球界への貢献に対して贈られる特別表彰の候補にも挙がったが、水島さんは辞退していた。 引退発表時、水島さんは「今日まで63年間頑張って参りましたが、本日をもって引退することに決めました。これからの漫画界、野球界の発展を心よりお祈り申し上げます」とコメントしていた。【中日スポーツから引用】
水島新司さんがお亡くなりになったとのこと。2020年に引退を発表されたのには驚きましたが、もしかしたら体調の異変を感じておられたのかな・・・。 その辺はわかりませんが、水島新司さんの漫画はよく読みました。「ドカベン」の中では、土佐丸高校との死闘が一番印象に残っていますね。そのほかの話も、散髪屋さんでよく読んだっけかな。プロ野球編も読んだことがありますけど、ちょっと無理やり感があって違うかなって思ったかなぁ。 あと、本文にはありませんでしたが「野球狂の詩」。これも何冊か単行本を持っていました。「野球狂の詩」といえば、女性のプロ野球選手の水原勇気編が有名ですが、それ以外もいい話があって「北の狼 南の虎」とか代打屋稼業、当て馬なんて覚えていますよ。それから「よれよれ18番」と言われた岩田鉄五郎とかね。そういえば、その当時の漫画では岩田鉄五郎は53歳でよれよれって言われていましたけど、私はその年齢を超えてしましたが、あそこまでよれよれじゃないけどなぁ。投球はよれよれかもしれないけど(爆)。 そういえば、水島新司さんといえば「あぶさん」の看板を今はなき大阪球場のレフトスタンド上段に掲出されていましたね。戦後すぐからの南海ホークスファンだった父親に連れられて大阪球場へ行くと、「あぶさん」の看板がよく目に入りました。当時から「あぶさん」の漫画は知っていましたが、あまり読んだことはないんですよね・・・。ちなみに、この「あぶさん」の看板って南海球団が掲出していると思っていたのですが、水島新司さんが出されていると聞いてびっくりしたものでした。 私は最近、漫画雑誌を見ることはほとんどなくなりましたけど、「野球漫画」といえば水島新司さんっていうくらいの作者だったと思います。 水島新司さん、お疲れさまでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
水島新司さんといえば、野球漫画。高橋陽一さんといえば、サッカー漫画、
考えたら子供って漫画に影響されやすいのかも。 拙も、野球する時は、男どアホ甲子園を真似て「いくぜマメタン」と言ってからボール投げていました。 (2022年01月18日 20時38分12秒)
MoMo太郎009さん、いつもありがとうございます。
水島漫画ではありませんが、「侍ジャイアンツ」はみんな影響されていたのではないでしょうか。ハイジャンプ魔球とか分身魔球とかね。 (2022年01月19日 23時25分38秒) |