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テーマ:鉄道(21807)
カテゴリ:鉄道
私の住む王寺町は、JRの大和路線と和歌山線、近鉄の生駒線と田原本線が合流する鉄道の街なのですが、このうちの田原本線は2018年に前身の大和鉄道から数えて100周年となりました。そしてこの度、生駒線も前身の信貴生駒電鉄から数えて100周年となりました。
5月16日に記念のイベントがあったそうですが、平日の月曜日ということでそれは見ることができず、職場でニュース映像として見ました。そして今回、イベントはありませんが信貴山下駅まで行ってみました。 私にとって生駒線は、JR大和路線がトラブルで不通になった時の迂回ルート的な存在であるので、何度も乗ったことがあります。開業100周年を記念して、王寺町役場や三郷町役場で制作されたヘッドマークが一部の列車に取り付けられています。 これは、王寺町のものだそうです。王寺町のキャラクターの雪丸が描かれたもので、三郷町のものはもう少しかわいい雪丸になっていました。王寺町のものは、キャラクターを忠実に書かれています(笑)。 信貴山下駅に到着しました。ここからはかつてケーブルカーが運行されていて、それはこのブログでも過去に紹介しました。 ここからケーブルに乗り換えて・・・というのが昔の光景だったんですね。 ケーブルカーが運行されていた時の装置が駅構内に保存されています。 1983年に廃止されているので、その当時の生駒線からケーブル線へのルートがどのようになっていたのかわかりませんが、これが現在の信貴山下駅の駅舎です。 駅前には、廃止当時まで使われていたケーブルカーの車両が保存されています。 当たり前ですが、急坂を上がりますからこのように横から見ると平行四辺形のような形をしています。 信貴山下駅からのルートは、過去にこのブログでも紹介しましたが、ほぼまっすぐに山を登っていっている様子がこの図からもお分かりいただけるかと思います。 この車両は、1933年に藤永田造船所で製造されたコ9型という車両。藤永田造船所という車両メーカーは今はなく、1967年に三井造船に吸収合併されているそうです。 車体に銘板がありまして、近鉄のマークになっています。 この生駒線は、元々信貴生駒電鉄として1922年に王寺~信貴山下間(当時は山下)の鉄道線と山下~信貴山間のケーブル線が開業しました。信貴山への参拝客を輸送するために開業したもので、鉄道線の方は1927年に生駒まで開業して今の形になっています。だから、このコ9型は信貴生駒電鉄当時に造られた車両ということになります。 その後、1964年に近鉄に合併されて近鉄生駒線となり、前出のとおり1983年にケーブル線が廃止になっています。 ちなみに、私の亡き義母さんは生駒線のことを「信貴電(しぎでん)」と言っておられましたし、年配の方は今でも「信貴電」って言われているかもしれません。(田原本線のことも「やまてつ(大和鉄道)」という方もおられますし) 話を戻して、今回は近鉄生駒線の王寺~信貴山下の開業100周年ということでしたが、それを記念したイベントとしてかつての王寺駅周辺の様子を表したジオラマ展示もあったそうです。どの時代のものかわかりませんが、昔は料理屋さんとか旅館などがあってかなりにぎわったところだそうですから、どのような感じだったのか見てみたかったなぁってね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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