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あけやんの徒然日記

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TV・ドラマ・サスペンス・映画・芸能

2021年12月09日
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今日は、夕方に休みをもらって神戸三宮へ。12月7、9、10日に神戸国際会館こくさいホールで行われているPerfumeのコンサート、「Reframe Tour2021」に行ってきました。このようなコンサートに行くのは初めて、いつもならもっと大きなホールでするんでしょうけど、新型コロナウイルスの感染拡大がやや収まったとはいえ、新たな感染も見つかるなどしていることもあって、今回は完全着席性となっておりました。
 ちなみに、私はこんな歳ですが、Perfumeファンなんですよ・・・。



 今回のチケットはこのようにスマホからアクセスしてスマホに表示させるものとなっておりました。これならスマホの電源が落ちない限り、チケットを表示することができますね。昔のような紙のチケットではないし、これなら非接触だから今の時期にはいいのでしょうね。
(写真のチケットは、あえて座席番号を消しています)
 
 また、座席はチケットをゲットした時点ではどこになっているのか全然わからず、これも当日表示されたQRコードをかざして入場してから表示されるものでした。



 その表示されたところに行ってみると、こんな感じのところ。「ゴンドラ席」とでもいうようなちょっと特別な席みたいでした。



 例えば一階席や二階席のように正面から見えるかもしれないけど距離は遠い。でもここなら正面からは見られないけど距離は近い。私にとっては、今回の席がよかったなぁって思いました。
 さて、観戦は私一人で行きましたので連れはいません(苦笑)。でも、他の人の状況を見ていると、意外とひとりで来ている人も多く、私のようなおじさんファンの人もちらほらとおられました。また、Perfumeファンっていわゆるオタファンは少ないようで、意外と女性ファンが多いのが特徴のようです。
 今回座った私の席の横は、姫路から来たという高校生の女性でした。なんでもお父さんもPerfumeのファンだとか・・・。でも、チケットは取れなかったので今日は外で待っているとのことでした。チケットを予約するタイミングが悪くて取れなかったとか・・・。私も仕事の関係で散々迷いながらギリギリチケットをゲットしましたからね。
 開演までの間は、その女性とPerfumeの話をして待っていました。その女性も一人なので横にどんな人が来るのか不安だったそうですけど、私のようなおじさんはセーフだったようで(爆)。

 1830に開演、前出のとおり声援を送ったり立って応援するなんていうことは一切できないという約束事がありましたので、座席に座ったままPerfumeのパフォーマンスをみていました。ネタバレになるので一切内容は書きませんが、いつものコンサートと比べて短い時間だったそうです。それでも、私にとっては十分楽しめました。最後にPerfumeの三人があいさつでお話ししてくれましたが、普段のコンサートと違って声援は出せないのは仕方ないとしても、手拍子がないから「ん?」ってなったとか。もちろん、最後の曲ではみんな手拍子しましたし、あいさつの時も拍手が鳴りやまないくらいでした。

 さて、私にとって初めてのPerfumeのコンサート、これまでのコンサートはが行きたくてもチケットが取れなかったからいけなかっただけでなく、そんな歳になってPerfumeのコンサートって、と思われるのもなあっということで行くことができていませんでした。ただ、今回は普段のコンサートと比べると制約はかなりあるものの、その制約のあるコンサートならわたしのようなおじさんでも見られるかなっていうことで行ってみました。
 行ってみてわかったのは、先にも書きましたが意外とおじさんがおられたし、一人で来ている人もいたし、オタはいないし、これなら十分楽しめるなぁって思いました。
 まぁこのような制約の多いステージではなく、演者と一体になれるのがコンサートだと思うのですが、今の時点ではこの辺がギリギリなのかもしれませんね・・・。

 いろいろ書きましたが、私は楽しめたのでよかったと思っていますよ。






最終更新日  2021年12月09日 23時52分19秒
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2021年08月24日
 1966年(昭41)にTBS系で放送された、人気特撮ドラマ「ウルトラマン」のイデ隊員​​​​​で知られる、俳優の二瓶正也​​​へい・まさなり)さん(本名二瓶正典=にへい・まさのり)が21日午前0時に誤嚥(ごえん)性肺炎で亡くなっていたことが24日、分かった。80歳だった。関係者によると、既に家族葬を執り行ったという。​  ​二瓶さんは、専大附属高から東宝芸能学校に進み、1960年(昭35)に第15期東宝ニューフェイス​として入社。61年の映画「暗黒街の弾痕」など、岡本喜八​監督作品の常連となった。63年には、加山雄三​​​​主演の若大将シリーズの「ハワイの若大将」で、運動部のマネジャー江口役を演じた。また加山ら6人で62年に組んだグループサウンズのバンド「ザ・ランチャーズ」の第1期メンバーでもあった。  同年の「妖星ゴラス」で特撮映画に初出演し、66年にTBS系特撮ドラマ「ウルトラQ」に出演したのを足掛かりに、同年の「ウルトラマン」で、科学特捜隊の開発担当として、武器や装備を開発した発明マニアのイデ・ミツヒロ隊員役でレギュラー出演を果たした。  近年も、96年の映画「ウルトラマンゼアス」など、円谷プロダクション作品に出演し、イベントなどにも登壇していた。【日刊スポーツから引用】
 初代のウルトラマンの科学特捜隊(科特隊)で、ひょうきんながらも兵器開発も手掛けるという役だったイデ隊員を演じていた二瓶正也さんがお亡くなりになったとのこと。初代ウルトラマンは、私は再放送で見ているのですけど、ウルトラマンが怪獣をやっつけるだけの話ではなく、時折考えさせられる話がありました。例えば、「ウルトラマンがいたら科特隊は不要なのでは」といったものは、後で気が付きましたけど「それは・・・う~ん・・・」というようなものでした。あと、ジャミラの回もそうだったかな。
 そういえば、初代ウルトラマンはムラマツキャップを演じていた小林昭二さん(故人)が「ジャリ番といえどもしっかり演技をする」という方針の下で、今とは比べ物にならない特撮技術の中で作られたものなので、演者の人間臭さとか当時のせいいっぱいの特撮技術は今見てもよくできたものだと思っています。そんな中でのイデ隊員の明るいキャラクターは一服の清涼剤のようだし、共演していたアラシ隊員(毒蝮三太夫さん、当時は石井伊吉さん)との掛け合いも面白かったです。
 晩年は、ビルのオーナーをされていたということで、テレビでお見掛けすることはほとんどなかったのですが、ウルトラマン当時のスマートな体形からかなり恰幅がよくなっていました。
 最後に、二瓶正也さん、お疲れさまでした。






最終更新日  2021年08月24日 21時53分33秒
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2021年08月20日
 上方落語界の重鎮で、ラジオの深夜放送やテレビのバラエティー番組などで全国区の人気を誇った笑福亭仁鶴さんが17日、骨髄異形成症候群のため、大阪府内の自宅で死去した。84歳。大阪市出身。「どんなんかな~」などのギャグも多く残し、全盛期には「視聴率を5%上げる男」と称された。吉本興業特別顧問で、「吉本中興の祖」と言われる。通夜・葬儀は近親者、関係者によって執り行われた。
(中略)
​ ​​​60年代の落語ブームに乗って、月亭可朝や桂三枝(現・六代目桂文枝=77)とともに吉本の顔として花月劇場チェーンへの出演を重ねたほか、テレビ、ラジオ、映画と幅広く活躍。とりわけラジオ大阪「オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に!」や朝日放送ラジオ「ABCヤングリクエスト」内の「仁鶴・頭のマッサージ」などの深夜放送で若者層の絶大な支持を集めた。​​​  ​​その人気を全国区に押し上げたのは69年に始まった「ヤングおー!おー!」(毎日放送)だった。「視聴率を5%上げる男」と呼ばれたのはこの頃のことで、テレビ関係者は出演してもらうために奔走した。72年にはNHK「紅白歌合戦」に応援ゲストとして出演。72年からオンエアされた「ボンカレー」(大塚食品)のCMで「子連れ狼」の拝一刀に扮し、「3分間待つのだぞ」のフレーズも受けに受けた。【スポニチアネックスから引用】

 関西にお住まいの方ならおなじみの方ですよね、落語からバラエティまでこなして、キャッチフレーズやギャクもおもしろかった笑福亭仁鶴さんがお亡くなりになったとのこと。ここ最近は、めっきりテレビなどでの出演が減っていて体調が悪いのかと気にしていたんですけどね・・・。
 さて、仁鶴師匠は本文にもあったように、落語家でありながら落語だけにこだわることなく、テレビのバラエティやラジオでも大活躍、私も子どものころからそれをよく見ていました。ボンカレーのCMもよく覚えています。
 でも、落語家ですからその落語の話も面白くて、テレビのバラエティーで出演されているときとはまた違った表情が見られたものです。
 そういえば、私が子どものころに仁鶴師匠の表情がウルトラマンの怪獣、レッドキングに似ているって思っていました。四角い顔(真四角じゃないけど)とレッドキングの顔かたちがなぜか似ていると思っていたんですよね・・・。
 私が子どものころに活躍していた方がだんだんなくなっていくのはさみしいものですね。私も先日54歳になったところで、私自身も年取ってきているんだもんなぁ、そりゃそうか。
 最後に、仁鶴師匠お疲れさまでした。






最終更新日  2021年08月21日 17時19分40秒
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2021年07月11日
 ​​​​​​​​大村崑さんといえば、オロナミンCのホーロー看板で有名​で、またその前だったらダイハツミゼットのCMでも有名、テレビ黎明期からのタレントですよね。​このブログでも紹介したことがある​のですが、今回再び新聞に載っていましたので紹介します。​​​

​今年90歳を​迎える現役喜劇俳優の大村崑​​が10日、都内で行われた映画『ロボット修理人のAi(愛)』初日舞台あいさつに登壇。27年ぶりの映画出演となった本作を軽快なトークでしっかりPRした。(中略)
​​ 映画出演は実に27年ぶりとなる大村は「まだ生きております大村崑です。ワクチンの注射は2回ちゃんと打ってきました」と冗談を交え軽快にトーク。「新幹線乗ったのは1年ぶり。『東京』ってアナウンスが流れた時に涙が出ました」としみじみ語った。(中略)
 ​「​この映画を見てスカッとするでしょ? 元気ハツラツ、オロナミンCみたいになるでしょ?」と、かつて出演していたCMになぞらえて作品をアピール。「おかげさまで90歳になりました。現役です。喜劇人は300人くらいいましたが、ほとんどいなくなりました。残ってるのは伊東四朗と私だけです。どうぞみなさん喜劇役者を大事にしてやってください」と笑顔で呼び掛けた。【オリコンニュースから引用】​​​


 前回紹介したのが2015年、あれから6年が経過して大村崑さん、まだまだお元気しておられるとのこと。御年90歳になるそうで、今回は27年ぶりに映画にご出演だそうで。いつもなら「赤い霊柩車シリーズ」で秋山さん役でせわしく動き回っている役がはまり役なのですけどね。
 それにしても今年90歳ということは、1931年(昭和6年)生まれということか。​​​今回のように映画に出られたり、前出のようにドラマにも数多く出演されているのに、ご本人のコメントにもあったように俳優ではなく「喜劇人」と称しているんですね。これは本文にもあった伊東四朗さんが「元々はお笑いの人ですから」とコメントされているのに共通していますね。そんな伊東四朗さんも1934年(昭和9年)生まれ、私が子どものころから普通にテレビで活躍されていた人もそんな年齢になっていたんですね。私自身も来月は54歳になるんだもんな、時代って早く流れているんだって思いました。
 話を戻して、いつまでもお元気で活躍してほしいですね。

​​​






最終更新日  2021年07月11日 21時50分16秒
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2021年07月05日
 ザ・ドリフターズの高木ブー​​​​​(88)が4日、都内でメンバーを描いた画集「高木ブー画集 ドリフターズ​​​とともに」(ワニ・プラス刊)の発売記念イベントを行い、サイン本お渡し会中に居眠りしてしまうハプニングが発生した。トークショーでは昨春に新型コロナウイルス​​に​よる肺炎で亡くなった志村けん​​​​​さんとの思い出話などに花を咲かせ、ミニライブも開催。ファンとの久しぶりの交流を楽しんだが、イベント終盤に体力の限界を迎え、レジェンドの愛らしい姿に会場は大笑いだった。​​​​​​​​  高木ブーの画集には、ドリフのメンバー6人だけが登場する。空想のコントなどがイラスト化されており「僕じゃなきゃ描けない絵だと思ってます。キャラクターの顔だもん」と、長い時間を共に過ごしてきたからこその味が魅力だ。題材のストックが多く残っているといい「続きを描いたらいいのかね?」と続編に触れると、会場は大拍手。客席にはリアル・ドリフ世代ではない20、30代のファンも多く「ドリフってものが残るようにと思ってます」と思いを明かした。【デイリースポーツから引用】

 高木ブーさん、もう88歳だったんですね。私の子どものころはドリフのコントで育った世代ですけど、その中で高木ブーさんというとあまりコントに積極的に絡まないキャラだった(っていうか、周りのキャラがすごすぎ!)のですけど、やはりいないといけないキャラでしたよね。ドリフに入る前からいろんなバンドで活躍していたそうですけど、本来は東京ガスの内定が決まっていたのにそれを蹴ってまで音楽活動がしたかったとか・・・。ギターやウクレレはかなりの腕前というのは知っていましたが、本文にあったように絵心もあるようで。ニュースで紹介されていた作品の一部をみると、ドリフのメンバーの特徴をよくとらえたものになっていました。絵心があるって、うらやましいです。そう考えれば、高木ブーさんが長生きしているのも、いろんなことに興味を持っているから、それがいいんでしょうね。

 ドリフのメンバーも高齢化して、なかなか番組で見ることはなくなってしまいましたが、いつまでも元気でいてほしいなぁって思いました。






最終更新日  2021年07月05日 22時32分30秒
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2021年06月14日
 作曲家として都はるみ​​​​​北の宿から​」や日立グループ​日立の樹​」などの名曲を生み出し俳優としてもTBS系ドラマ「寺内貫太郎一家​に主演するなどマルチに活躍した小林亜星​​​​​(こばやし・あせい)さんが5月30日、心不全のため死去したことが14日、分かった。88歳だった。
(中略)
 61年にCMソングの処女作となるレナウンの「ワンサカ娘」が大ヒット。続けて同社の「イエイエ」も爆発的ヒットになり、CMソング作曲家の第一人者の地位を築く。その後もブリヂストン「どこまでも行こう」、トヨタ自動車「ちょっとうれしいカローラ」、ファミリーマート「あなたとコンビにファミリーマート」などを手掛けた。「ひみつのアッコちゃん」「魔法使いサリー」や「科学忍者隊ガッチャマン」「超電磁マシーン ボルテスV」「超電磁ロボ コン・バトラーV」などのアニメ主題歌の作品も数多い。  また76年の日本レコード大賞を受賞した「北の宿から」やフジテレビ系ドラマ「裸の大将放浪記」シリーズの主題歌として親しまれたダ・カーポの「野に咲く花のように」を作曲。フジテレビ系「ママとあそぼう!ピンポンパン」の「ピンポンパン体操」や西武の球団歌「地平を駆ける獅子を見た」も手掛けた。最盛期は1年に300曲を制作し、生涯で手掛けた作品は6000曲を超えた。  74年、役者デビュー作となった向田邦子さん脚本の「寺内貫太郎一家」ではいきなり主演を務めた。東京・谷中の石材店兼茶屋を営む寺内一家を舞台としたホームコメディー。久世光彦プロデューサーが「ドラマのアカがついていない方が、存在感が強烈に出る」と狙ったキャスティングが見事的中。小林さん演じる昭和の頑固オヤジがはまり役で、シリーズ化されるほど人気を集めた。【スポーツ報知から引用】

 仕事の帰りにみたスマホでこのニュースを見てびっくりしました。小林亜星さんといえば、私にとっては上の本文にはなかったのですが、「クイズ ヒントでピント」で驚異的な正解率を誇る回答者のイメージですね。16分割のヒントが出る問題では、2つのヒントくらいで正解を答えることもあって、その博識におどろいたものです。
 もちろん、本文にあった「寺内貫太郎一家」、当時のフィルムを見るとかなり強烈な個性で、「昭和の頑固おやじ」という感じが出ていてしっかりとした役作りをされていたんですね。
 ただ、小林亜星さんは俳優ではなくて、れっきとした「作曲家」だったんですね。あまりそうは見えなかったので、私は作曲家と聞いても「ホント?」って思っていました。そんな時に都はるみさんが「北の宿から」で賞を取った時に、その曲の作曲は小林亜星さんだったとわかり、びっくりしたのを覚えています。

 作曲家としての小林亜星さん、本文にもいくつか紹介されていますが、日刊スポーツに手掛けた曲の一部が紹介されていました。
​​〔CM曲(カッコ内は企業名)〕 64年 ワンサカ娘'64★(レナウン)弘田三枝子 66年 どこまでも行こう★(ブリヂストン)山崎唯 67年 イエ・イエ★(レナウン)朱里エイコ 68年 人間みな兄弟★(サントリー)サイラス・モズレー 69年 ブルー・ダイヤ★(ライオン)シンガーズ・スリー 69年 モクセイの花(日本生命)デューク・エイセス 70年 積水ハウスの歌(積水ハウス)スリー・グレイセス ​70年 酒は大関こころいき★(大関酒造)加藤登紀子 71年 チェルシーの唄(明治製菓)シモンズ 72年 紀文のはんぺん(紀文)シンガーズ・スリー 72年 ふりむかないで(ライオン)ハニー・ナイツ 73年 アクロン★(ライオン)深町純 73年 日立の樹(日立製作所)ヒデ夕木 78年 カメラのさくらや(さくらや)山川ユキ 80年 仲よしソフト(雪印)トランザム 82年 新三共胃腸薬(三共)ダーク・ダックス 82年 マックロード(松下電器)富田伊知郎 84年 パッ!とさいでりあ(新興産業)富田伊知郎 95年 ファミリーマート(ファミリーマート)ジャッキー高橋 01年 クラシアン(クラシアン)森末慎二​

 まず、CMではレナウンの「ワンサカ娘」「イエ・イエ」は、後年まで使われていたように記憶していますし、「ブルー・ダイヤ」「アクロン」もそうでしたよね。ファミマは「あなたとコンビニ」なのかな?
 ここにないCMで印象に残っているのは「夜が来る」ですね。サントリーウィスキーの「オールド」(通称・ダルマ)で今でもyoutubeで見ることができますが、しんみりとしたいいCMです。リ・ヴァン・クリーフさんを起用したCMのバックでも流れていて、このCMもよく覚えています。

〔アニメソング(カッコ内は作品名)〕 63年 狼少年ケンのテーマ(狼少年ケン)ビクター少年合唱団 66年 魔法使いサリーのうた(魔法使いサリー)スリー・グレイセス 69年 ひみつのアッコちゃん(ひみつのアッコちゃん)岡田恭子 69年 すきすきソング(ひみつのアッコちゃん)水森亜土 72年 ガッチャマンの歌(科学忍者隊ガッチャマン)子門真人 72年 風よ光よ(快傑ライオン丸)秀夕木 73年 ドロロンえん魔くん(ドロロンえん魔くん)中山千夏 80年 ユカイツーカイ怪物くん(怪物くん)野沢雅子 84年 にんげんっていいな(まんが日本昔ばなし)中島義実 ​​​

 アニソンもたくさん手掛けられているのですが、この中ではダントツに「ガッチャマン」でしょう。子門真人さんの独特の歌声もさることながら、1972年当時にこんなかっこいい主題歌って、なかなかないんじゃないでしょうか。これも今でもyoutubeで見られますが、今見てもかっこいいと思います。

​〔歌謡曲・その他〕 71年 あわてんぼうのサンタクロース 岡崎ひろみ 71年 ピンポンパン体操 杉並児童合唱団 75年 北の宿から 都はるみ 79年 地平を駈ける獅子を見た 松崎しげる 83年 野に咲く花のように ダ・カーポ

 「あわてんぼうのサンタクロース」もそうだったんですね。私の子どもたちが保育所当時、クリスマス前にはこの曲を歌っていたのを覚えています。また、「ピンポンパン体操」もそうだったのか、いやはやすごすぎますね。
 ちなみに、小林亜星さんが手がけたCM曲などをCDに集めたら、何枚組くらいになるんでしょうね。

 
 このほかにも企業の社歌をつくったりもしていたとか。日立製作所の「この樹 なんの樹」もその一つかもしれませんね。

 ところで、小林亜星さんといえば、寺内貫太郎のスタイルを思い出してもそうですけど、かなり恰幅のいい体形でしたよね。太っている人は短命なんて言われるけど、そうとは言い切れないような気がします。
 それにしても、誰しもが知っているCMや主題歌を広く手がける作曲家は、もう二度と現れないかもしれませんね・・・。

 小林亜星さん、お疲れさまでした。






最終更新日  2021年06月14日 22時18分40秒
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2021年06月04日
今日は、仕事が終わってから久しぶりに映画を見てきました。毎年春の映画の楽しみといえば、「劇場版名探偵コナン」なのです。



 今回は、まだ開業していませんが東京~名古屋間で工事が続けられているリニア新幹線とこれまた本当に開催できるかどうかわからない東京五輪を題材にした物語となっておりました。本来なら去年封切予定だったのですが、新型コロナウィルス感染拡大のために1年延期になってしまっておりました。だから、待ちに待った劇場版のコナンでした。
 ネタばれになるから話の内容は書きませんけど、いつものごとく多少無理やり感はあるものの、楽しめました。今回は登場人物が多くて、あっという間の時間でした。
 また、来年春も制作されるようでそれも今から楽しみです。

 ところで、レイトショーのタイミングで見に行ったのですが、感染防止対策のため席は1つずつ間隔があけられていたし、今日は天気も悪かったこともあってか私を含めて11人だけでした・・・。






最終更新日  2021年06月05日 00時05分18秒
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2021年01月08日
テーマ:ニュース(97587)

​​​​​ 東映アニメーシ​ョンは1月7日、漫画「SLAM DUNK(スラムダンク)」のアニメーション映画化が決定し​たことを発表し、ティーザーサイトと作品公式Twitterを公開した。あわせて、著者の​​井上雄彦​氏は自​身のTwitterにメッセージを投稿した。​​  同作は、『​週刊少年ジャンプ​​​』(​​集英社)で1990年から96年まで連載された人気バスケ漫画。93年から96年にかけてテレビ朝日​​​​系列でアニメが放送され、作品の影響から青少年の間でバスケブームが巻き起こった。  『ジャンプ』での連載終了後も人気は根強く、2018年に集英社は全20巻の再編版を刊行。20年にはイラスト集『PLUS / SLAM DUNK ILLUSTRATIONS 2』を発売するなど、コンテンツの展開は続いている。  連載開始から30周年を迎え、当時のファンが中学生や高校生の子を持つ世代に差し掛かっている。東映アニメはアニメーション映画を公開することで、親子2世代を巻き込んだ再ヒットを狙う。【ITmediaから引用】


​​「アンビリーバブルや~」(by彦一)​​

 スラムダンク(スラダン)をご覧になった方にとっては、このセリフが出たのではないでしょうか?​ バスケのアニメといえばこのスラダンが出てくるという人も多いと思われます。今でも人気なのは、登場人物のキャラがたっているのはもちろん、ストーリー性もいいのではないかと思っています。そして、よくありがちなチームが勝ち進んで最終的には優勝する、というのではなくて敗れ去るところも残念なんだけど、それが逆にリアリティがあっていいのかなってね。
 私は野球はよく知っていますけど、バスケはあまりよくわかりません。それなのに、このスラダンが好きになったのは、私の子どもたちが小さいころにCSで放送していたのをそれこそDVDに録画して繰り返し見ているのを一緒になってみているうちに、前出に書いたようにそのストーリー性に面白さを感じた、ということなんですね。それを見てバスケのルールがわかるようになったかといわれると、未だにわかりません(苦笑)。ちなみに、私の下の息子はこれがきっかけになったのかどうか、バスケが好きになって、中学・高校とバスケ部で現在も大学でバスケ部に入っています。

 さて、映画化されるということでネットのコメントを見ると、スラダン好きな方のうれしいというコメントが数多くありました。私もコナンの映画以外に楽しみな映画が見られるということで、封切を心待ちにしたいと思います。ただ、気になることが4つあります。
 一つめは、「どの時点からの映画の内容になるのか」。スラダンファンの方ならアニメ版の続きとか全国大会から、っていうことになるんでしょうけど、新たなファンを確保するためにはちょっとさかのぼらないといけないのか・・・。
 二つめは、「声優さんはオリジナルメンバーなのか」。アニメ版の終了から20年が経過していることから、そのあたりは気になるところです。
 三つめは、「バスケのルールは20年前のままで行うのか」。前出のとおり私はバスケのルールに詳しいわけではないのですが、今のルールと若干異なっているところをどうするのでしょうね。
 四つめは、「ここまで盛り上がったのに、作者の都合で延期になることはないのか」。こればかりは仕方ないことなんですけど、何とか先生には作成をお願いしたいところです。

 とまぁ、バスケファンでもバスケに詳しいわけではない私ですけど、多くのスラダンファンとともに、首を長くして待ちしたいと思います。

 それにしても、実写でなくてよかった!!







最終更新日  2021年01月08日 22時49分55秒
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2020年12月11日
​​​​​​​​ コメディアンの小松政夫(本名・松崎雅臣)さんが7日午前6時45分、肝細胞がんのため東京・三鷹市の病院で死去した。78歳だった。葬儀は近親者で行われ、喪主は妻・松崎朋子さんが務めた。  福岡市出身で、「クレージーキャッツ」の​植木等​さんの運転手兼付き人となり、バラエティー番組「シャボン玉ホリデー」でデビュー。​伊東四朗​​​​さんらと「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」に出演し、番組内で歌った「しらけ鳥音頭」「電線音頭」がヒット。「サヨナラ、サヨナラ」と話す映画評論家の淀川長治さんの物まね、「表彰状、あんたはエライ!」、「知らない!知らない!知らない!もー」「どうかひとつ」「なが~い目で見てください」などのギャグでも人気を集めた。俳優としては、映画「駅 STATION」、ドラマ「前略おふくろ様」などに出演した。【スポーツ報知ネット版から引用】

 今年もあと20日ほどですが、今年も著名な方がお亡くなりになりましたけど、今日また私が子どものころにテレビで楽しませてもらった方が亡くなりました。
 本文にありましたように、小松政夫さんがお亡くなりになったとのこと。小松政夫さんといえば、1977年頃だったと思うのですが「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」で伊東四朗さんとともに舞台狭しと動き回ったり、様々なギャグで笑わせてもらいました。特に、「電線音頭」はテレビではこたつの上なのですが、学校では机の上とか朝礼台とかでもやって、親や先生に怒られた人もおられるのではないでしょうか? 当時私は小学生だったからどまんなかの世代です(笑)。
 その「電線音頭」では、伊東四朗さんはサーカスの団長のような井出立ちで「ベンジャミン伊東」を名乗り、小松政夫さんは軽妙なトークで盛り上げる、といったスタイルで、ゲストをこたつの上にあげて電線音頭を踊る、というものでした。ちょうど、youtubeにあげていただいている方がおられて、久しぶりに見てみましたけど懐かしかったし、あのばかばかしさがいいんですよね。

 その当時はもちろん知らなかったのですが、元々は自動車のセールスマン(たしかトヨペットのディーラーだったと思うのですが、トップセールスマンだったとのこと)でかなりの稼ぎがあったにもかかわらず、芸能の世界の飛び込み、植木等さんの運転手兼付き人を務めていたんでしたよね。トップセールスマンだったということは、それだけ弁が立つしいろんな切り替えができるし、持って生まれた才能だと思うんですよね。芸能界ではその才能をいかんなく発揮された方だったと思います。

 それにしても、子どもの時からよく見ていた方が亡くなるのはさみしいものですね・・・。
 小松政夫さん、お疲れさまでした・・・。







最終更新日  2020年12月11日 23時48分58秒
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2020年11月01日
​​​​​​​​​​​​​​​ 英​BBC放送によると、人気映画「​​007​」シリーズの初代​​ジェームズ・ボンド役で知れる英俳優​ショーン・コネリー​さんが滞在していた大西洋の島国バハマの自宅で死去した。90歳だった。家族が明かした。体調を崩しており、眠っている間に息を引き取った。死因は伝えていない。  1930年、英スコットランドのエディンバラに生まれ、シリーズ第1作「​ドクター・ノオ​​」(62年)を皮切りに初代ボンド役を務めた。年齢を重ねていぶし銀の魅力を増し「​​​アンタッチャブル​​​​​​​​​​​​」(87年)でアカデミー賞助演男優賞。「レッド・オクトーバーを追え!」(90年)など多数の作品に出演した。【共同通信ネット版から引用】

 ショーン・コネリーさんがお亡くなりになったとのこと。ショーン・コネリーさんといえば、「007」のジェームス・ボンド役がはまり役とのことですが、実は私は「007」のシリーズは見たことがなくて・・・。だから、私にとっては本文にあった「アンタッチャブル」における老刑事役が印象に残っています。

 「アンタッチャブル」は、古くから映画やドラマで取り上げられているのですが、私にとっては1987年公開、ブライアン・デ・パルマ監督の「アンタッチャブル」なんです。主演のケビン・コスナーさんが財務省主任捜査官のエリオット・ネス、それに協力する老警官役がショーン・コネリーさん、ギャングの親玉、アル・カポネ役がロバート・デ・ニーロさんでしたが、私は主演のエリオット・ネスよりも老警官ジム・マローンの方に思い入れがありました。というのも、ジム・マローンが『
警官の仕事は手柄を立てる事ではなく、無事に家に帰る事だ』とエリオット・ネスに説くところが特に印象に残っていて、これって自分の仕事もそうだよなぁって思ったものです。
 ショーン・コネリーさんは、「007」では二枚目の風貌だったのですが、年齢を重ねた「アンタッチャブル」では禿げ頭でしたね。
禿げ頭というとマイナスイメージがあるのが一般的に思えるのですが、ショーン・コネリーさんなら逆にそれがとても格好よく見えました。
 
 「アンタッチャブル」の話を書いていたら、久しぶりに「アンタッチャブル」を見たくなりました。そういえば、封切のあった1987年当時、同僚と見に行ったのを思い出しましたよ。やはり映画館で見たいなあ・・・。
 ショーン・コネリーさん、安らかに・・・






最終更新日  2020年11月01日 21時20分27秒
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