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あけやんの徒然日記

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鉄道

2022年04月05日
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テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
先月のダイヤ改正でおおさか東線から撤退した201系。大和路線での運用も少し減少しているのですが、引退した201系はどうしているのか。いきなり解体になるのではなく、しばらく留置されているようです。



 これは王寺駅の構内、南側の電留線で留置中の201系です。クハ201-125の編成で。JRマークもすっかりはげてしまっています。解体のために吹田工場などに運ばれるまでの間、ここで留置されるんでしょうね。
 現状は、解体される前の疎開中っていうところですね。






最終更新日  2022年04月05日 23時49分03秒
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2022年04月03日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
昨日、奈良へ行った帰りはJR奈良駅から大和路線に乗車しましたが、列車を待っている間にJR奈良線の普通京都行きが反対側のホームにやってきました。



 先月の改正後も普通列車は205系が残りました。依然として阪和線で使用されていた当時の水色の帯で使われています。おおさか東線は221系に統一され、奈良線でも最後まで残っていた2編成の103系は置き換えられましたが、205系はしばらくはこのままのようです。
 でも、その103系のようにいつの間にか運用終了する可能性もありますから、気が付けば写真に収めるようにしたいと思います。
 ちなみに、この編成はクハ205-1002の編成でした。






最終更新日  2022年04月03日 17時49分26秒
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2022年03月31日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
先日、大阪城公園へ行ったときにちょっと懐かしいものを見つけました。



 蒸気機関車の動輪です。これは国鉄の8620形のもので、プレートナンバーが台座のところにありまして、「68660」と書かれています。8620形は1914年から1929年まで672両が製造された蒸気機関車で主に客車牽引用として作られましたが、客車だけでなく貨車もけん引して活躍していました。そして、北海道から九州までの路線で活躍、1975年まで活躍していたそうです。

 ところで、蒸気機関車といえば「D51」に代表されるわけですが、この8620形は「D」ってつかないですよね? 大正後期から製造されたC51やD50は称号変更されたものの、大正初期から製造されていた9600形やこの8620形はこのような数字の羅列のままとなっていました。
 ちなみに、この「68660」が示す意味は、8620形の第1号機の8620から数えて640番目の登録車両であることを示しています。(製造番号っていう人もいるのですが、決してその順番で作られたわけではないので正確ではない)
 それと、この動輪の形、自転車のスポークみたいで格好よく見えませんか? これが回転すれば結構速そうにも見えます。蒸気機関車の動輪って、実はこのような形のものはより古い時代のものなんです。

 さて、冒頭に「懐かしい」と書いたのは、この蒸気機関車が懐かしいというのではなく、この動輪が置かれているのをはじめてみたのは、1983年に大阪城築城400年祭りというのが大阪城周辺で行われて、高校の遠足で行ったときにこれを見つけたんです。こういうのは決して珍しくはないのですが、大概は有名なD51はC57といったところが設置されると思いきや、大正時代の名機8620形を持ってくるとは、って思った印象に残っていました。その後も何度かここは通りかかっているのですが、あまり意識してみていませんでした。

 その後は大阪城公園は行ってもこれがある場所へは行っていませんでしたので、ここ最近の大阪城公園の整備の際になくなってしまったのではないかと思っていました。そして今回、久しぶりに通りかかってみると、まだあったことに懐かしさを覚えたというものです。
 屋外に置かれていますけど、このように手入れされているようでよかったです。






最終更新日  2022年04月01日 00時04分47秒
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2022年03月24日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
先日、出張した際に少し足を延ばして武庫川団地へ行ってみました。武庫川団地は、1976年に建設開始、1990年に完成。URとしては全国4番目の規模の総戸数5643戸のマンモス住宅団地です。かつては川西航空機(現・新明和工業)の工場があったそうですが、今ではすっかり住宅都市となっています。そして、1984年に阪神武庫川線の洲先~武庫川団地間が延伸されて現在の形になっています。
 その武庫川線で長らく運行されていた阪神7890号が引退後にこの武庫川団地に保存されたことはんニュースで知っていましたが、どの場所に置かれているかまではわかりませんでした。ネットのニュースでも取り上げられているものの、正確な場所までは書いていませんでした。そこで、行ってみて探してみようと考えました。
 しかし、私もかつては団地っこの端くれでしたが、ここまで大きな団地だと正確な場所がわからないとかなり無駄足になるんです。そこで、ポイントとして次の2点を考えました。
 (1)人の集まりやすいところに置かれるはず。
 (2)鉄道車両を搬入するので、陸橋のあるところや大きな既存の建物、
    植樹されているところは避けるはず。
 このうち、(1)はだいたいお分かりいただけるとかと思いますが、(2)は長さ19mの車両を搬入するわけですから、陸橋のようなところをくぐるのはなかなか面倒だし、既存の建物や植樹のあるところを避けながら奥まったような場所に置くのもありえないわけです。
 ということで、武庫川団地駅のある東側にポイントを定めて探してみました。ここには、「メルカードむこがわ」というショッピングセンターがありますから、この辺りにあるのではないかと。ところが、どうしても見当たらない・・・。(1)の条件は満たしていても、(2)の条件に合わないところばかりで、無駄な時間が過ぎました。
 そこで、ネットニュースの写真を見てみると、背景に写る建物のデザインを見てその建物を手掛かりにしてっ見ました。すると、似たようなものを見つけたのでその方向へ行ってみると、武庫川団地駅のある東側ではなく西側であることがわかりました。そして、ついに発見しました。



 ありましたよ、7890号が・・・。



 側面の行き先表示は「武庫川団地」としていますね。
 車内にはつり革も残っているようです。



 妻面の「7890」と書かれているところもそのまま残してくれています。阪神の車両は、この妻面にも車番表示をしています。



 阪神電気鉄道のマークも車体に残されています。
 ちなみに、このマークはかつては阪神百貨店のマークでもありました。



 この保存されている7890号は、ただ展示されているだけでなく、地域のコミュニティスペースとして活用されているようです。
 ちなみに場所は、阪神バスの「武庫川団地中央」バス停のすぐ近くでした。車で何度か通っているはずなんだけど、気づいていなかったなぁ・・・。
 それと、URのHPによると車両を設置するにあたって、本来の鉄道と同様の線路やその下の基礎などを設置するなど本格的に作られていました。あと、場所的に海に近いのですが、海からの風や直射日光が当たらないような工夫も見られて、末永く活用していこうという姿勢が感じられました。



 7890号は武庫川線専用だったので現役当時は乗ることはほとんどなかったのですが、個人的には妻と結婚して住んだ阪神沿線で、このいわゆる「赤胴車」で毎日通勤していたことが懐かしく思い出されるので、このような形で保存されるのはうれしいなぁと思いました。






最終更新日  2022年03月24日 23時04分35秒
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2022年03月15日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
二日連続の鉄道の話題で恐縮です。

 今日は仕事で阪神武庫川線に乗って移動しました。阪神武庫川線は、武庫川~武庫川団地前を結んでいる阪神の支線の一つです。わずか1.7kmの距離で、途中駅は東鳴尾、洲先の二駅しかありませんが、終点の武庫川団地前にはURの団地があるので利用客が多いのです。
 ここを走るのは、かつては7861形や7890形が運用されていましたが、2020年6月からは5500系が活躍しています。この5500系は今も本選で活躍しているわけですが、元々4両編成だったのを2両編成×2本としたものです。



 この日は5911+5511の2両編成が運用されていました。



 もう一編成の5512+5912は、こんな感じで待機していました。
 この編成は改造前は5512+5612+5611+5511の4両編成だったのですが、5612と5611に運転席を取り付けて5612は5912に、5611は5911に改番されています。
 ちなみに、5513+5613+5614+5514の編成も改造されて、5513+5914と5914+5514に改造され、武庫川線用として2両編成4本が作られています。

 ところで、先にも書きましたように7861形や7890形の後継として5500系が使われるとは思いませんでした。このような支線で使われる車といえば、古い年次に製造された車両が使われることが多いことから、私は5000系が使われるのでないかと思っていました。



 これが5000系、阪神伝統の加速が驚異的に速い車両で登場当初は2両編成でも使われるようになっていました。今では中間車両の運転台は撤去されていますが、これを再度復活させるのかと思っていました。
 しかし、改造に選ばれたのは5500系。5500系は阪神大震災後の1995年に登場した車両ですからそんなに古いわけではないのですが、車種を統一していこうとすれば支線用に古い車両を残すよりも、普通に新しい車両を改造した方がよいと考えたのかもしれませんね。



 車内には製造銘板と改造銘板がありました。このように銘板を見るのが楽しみなのですが、最近の車両はなぜか取り付けられているのが少ないように思います。5500系、というよりもかつての阪神の車両の多くは、阪神の子会社の武庫川車両というメーカーで作られていました。1998年製造ということは、私が甲子園に住んでいた時に新車として投入されていたんですね。



 ちなみに、武庫川線用の5500系は編成ごとにコンセプトがあるようでして、今日乗った5911+5511の編成は、阪神タイガースのTORACOバージョンとなっていました。阪神ファンの人たちにとってはうれしいでしょうね・・・。カープファンの私は複雑です(苦笑)。



 それから、前出の5512+5912の編成は特別仕様だったんですね。このピンクの色はそれだったようで・・・。

 この車両に乗って出張先へ行きました。最寄駅からは結構遠かったのですけどね・・・。






最終更新日  2022年03月15日 20時46分43秒
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2022年03月14日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
 2022年3月12日のJRグループダイヤ改正​​​​で、​JR西日本の奈良線から103系​​​電車​が引退した。​​​​  これで京都府・奈良県からも103系は撤退し、残存線区は兵庫県と福岡県、佐賀県に残るのみに。かつては在来線最多の3447両を数え、国鉄の通勤型電車の代表格になった形式は100両足らずが残るだけだ。  改正前日の3月11日をもってJR奈良線(京都~木津・奈良)から103系は撤退し、京都府と奈良県での定期運用を終えた。事前にJRからプレスリリースなどでの告知はなく、ひっそりとした引退になった。ここの103系は吹田総合車両所奈良支所に在籍し、かつては大和路線・大阪環状線・おおさか東線でも運用に就いていたが、奈良線を最後に奈良地区の定期運用から撤退した。【J-CASTニュースから引用】



 JR奈良線に4両編成の2本が残っていた103系が今回のダイヤ改正で引退したとのこと。写真のクハ103-216ほかの編成とクハ103-226の編成が最後まで残っていたのですが、引退イベントを開くことなくひっそりと引退になったそうです。コロナ禍では仕方ないのですけど、それ以上に葬式鉄とかいうバカタレ対策でしょうね。あんなバカタレのために余計な人員を割かなければならないし、これからもこのような形でいいんじゃないですかねぇ。
 それはさておき、103系は1963年から1984年まで3447両も製造され、改造車や派生車はまだ残っていますが、オリジナルの車両は通称・和田岬線の6両だけとなりました。改造車や派生車をあわせても55両しか残っていないそうですけど、基本がしっかりと作りこまれた国鉄車両の出来の良さと丈夫さゆえに長持ちしているんでしょうね。
 ところで、今回引退したクハ103-216やクハ103-226(その反対側のクハ103-215、クハ103-225も共に)は、1973年に製造された当初は山手線を走っていた車両だそうです。その1年後に関西にやってきたので、そのほとんどが関西での運用になるのですが、スタートは山手線だったということに驚きました。
 それにしても、この写真は今から3年ほど前に京都駅で撮影したものですけど、何気ないときに撮影しておくものですね・・・。
​​






最終更新日  2022年03月14日 22時04分21秒
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2022年02月20日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
来月12日のJRのダイヤ改正では、新型コロナウイルスの感染拡大にかかる利用者減により列車本数がかなり削減されることになっていますね。現状から考えればやむを得ないとは思うのですが、新型コロナウイルスの感染拡大が落ち着いたら元に戻してくれるのでしょうか? 地方ローカル線はこれまででもかなり厳しかったのに、いい機会だから削減したまま、なんていうことになるのでしょうか? そう言ったところが気になりますが、車両の運用変更も今回の改正で行われます。
 
 その一つがおおさか東線で普通列車用として使われている201系の置き換えです。201系は2008年3月のおおさか東線部分開業時から使われていたのですが、今回の改正で大和路快速などで使用されている221系に置き換わります。だからあと一か月足らずなんですね。



 先日の出張では、帰りにJR河内永和駅からおおさか東線に乗車しました。
 当たり前ですが、まだ置き換え前なので黙っていても201系はやってきます(笑)。



 この日撮影したのは、クハ200-123(上)ほかとクハ200-135(下)の編成でした。こういう写真も貴重なものとなるんでしょうね。できれば、後ろに映る近鉄奈良線にも列車が走ってきてくれたらよかったんですけどね。
 あと、置き換え前になると「葬式鉄」の連中が増えてくるので、このような普段の何気ない光景を写真に残せてよかったと思っています。

 さて、この201系はおおさか東線からは引退しますが、私の地元のJR大和路線ではもうしばらく使用されるそうです。






最終更新日  2022年02月20日 17時32分01秒
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2022年02月17日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
​​ 先月着任したばかりのラーム・エマニュエル​​​駐日アメリカ大使は、公務で在日米海軍横須賀基地を訪れるにあたり、2022年2月17日(木)、夫人を伴い京急​電鉄を利用しました。大使クラスの外国要人が、公務で新幹線などの優等列車​ではなく、一般の通勤電車を使うのは極めて異例のことです。​  これは電車好きとして知られるエマニュエル大使のたっての希望だったとのことで、公式ツイッターにおいて「日本が誇る鉄道システムはまさに世界トップクラス。期待を裏切らない体験でした」とコメントしています。  この日、大使が乗車したのは品川~横須賀中央間で、種別は特急。これに合わせて横須賀市の上地克明​​​​市長も横須賀中央駅で出迎えています。  なお、今回の大使移動に伴い、アメリカ大使館の駐在武官らも制服姿で京急電車に乗り、自動改札を利用していました。【乗り物ニュースから引用】

 アメリカ人にも鉄分の多い人がいるんですね。しかも、駐日米国大使ってメッチャ偉い人やん。そんな方が鉄分多めって、なんだか親近感がわきますね。
 そんな鉄分多めの駐日米国大使が横須賀基地へ行くのに、車ではなく列車で移動。それもカーブが多くてメッチャ飛ばす京急を利用されたとか。乗られたのは先頭車両の運転席直後ろ、いわゆる「かぶりつき」だったのかな? もし、そんなところでずっと見ていたとしたら鉄分濃厚かもしれないなぁ~
 ​それにしても、当日運転担当の運転士もかぶりつきがあまりにも物々しくて「ド緊張」だったかもしれないなぁ・・・。​
​ ところで、駐在武官も制服姿で乗ったということは、当たり前ですが警護もバッチリだったんでしょうけど、いろんな面で大変だったでしょうね。「鉄分多めも結構ですが、大使今回限りで・・・」って事務方や武官は思っているでしょうね。
 そんな状況だったそうですが、大使の乗車しての感想はどうだったんでしょうね。もしかしたら、事務方や武官の心配をよそに「ツギモ、ケイキュウデヨコスカヘイクゾ!」って言っているかも(笑)。
​​






最終更新日  2022年02月17日 19時31分05秒
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2022年01月28日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
先日、出張で加古川方面へ行ったときに、途中の明石の次の駅、人丸前で降りました。この駅はJRに乗っているときも山電に乗っているときも、気になる駅だったんです。
 それはなぜか? 明石といえば東経135度線、子午線が通っているのですが、この駅のホームに何かあるのかなって思っていました。



 この駅のすぐ近くには明石天文台があります。子午線の上に立っているそうですが、まだ行ったことはないんです。
 明石天文台も含めた東経135度線がこの人丸前駅に伸びていて・・・



 当たり前ですが、駅のホームにも東経135度線が通っているわけです。よって、この写真のように東経135度線を通っていることを示すラインが書かれています。こういうのも珍しいですね。



 山電の名物である駅名標にも、その旨が書かれていますね。
 
 この人丸前駅は、1991年に現在の高架駅になったことにより、明石天文台との位置関係がよくわかるようになったかもしれませんね。






最終更新日  2022年01月28日 22時09分48秒
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2021年12月18日
テーマ:鉄道(17803)
カテゴリ:鉄道
先日の広島出張では、路面電車の広島電鉄(広電)に乗る機会がたくさんありました。その中で、懐かしい車両をみたり、乗車することができました。



 まずこの車両。これは1971年に神戸市電から移籍してきた582号です。神戸市電時代の1931年に製造、戦後車体更新を行ったもので神戸市電から移籍してきて今年で50年になるんですね。それを記念して神戸市電当時の塗装に復元されて活躍しています。
 私が1988年頃に初めて広島に旅行して、一日乗車券を買って乗り倒したことがあったのですが、その時はこの車両も主力の一つとして活躍していました。当時は冷房装置がなくて、車内灯の傘部分が特徴的なデザイン(神戸市電当時のもの?)だったのを覚えています。17両が神戸からやってきて車体が大きくて長く活躍するものと思っていたのですが、残ったのはこの582号だけです。
 ちなみに、この写真本通電停で撮影したものですが、思いがけなくやってきたので慌てて撮影しました。



 なぜ慌てていたかというと、その前に乗っていたのがこの写真の1156号。この車両も神戸市電からの移籍車両です。1956年に高性能車両として製造されたものの、故障がちだったことから従来型の吊り掛けモーターに交換されて現在に至っています。塗装は神戸市電当時のものではなく、動物の絵が描かれています。この1156号を含む神戸市電1150形は6両が移籍してきましたが、残っているのはこの1156号だけです。この車両も1988年に初めて来たときには、かなり高い確率で乗ったのを覚えています。
 それにしても、広電ではここ数年で急速に新しい車両が導入されており、各所から移籍してきた古い車両は引退しているのは残念です・・・。



 ところで、新しい車両の中でもこの写真の5000形だけは様子が違うようです。1999~2002年に導入されたものの、海外製部品が多いことやその精度が合っていないのか最近では半分近くが稼働していないとか・・・。そんな話を聞いていたので思いがけなく撮影することができたのでした。



 ちなみに、古い車両の中でもこの写真の京都市電だった1900形だけはよく見かけました。車体が大きいのと、前側の出口扉の幅がかなり広いことがあるのではないかと思っています。



 ところでこの電停、やたらと幅の狭い安全地帯ですよね。ここは天満町電停ですが、電車を待つ人もこの安全地帯に立って待つのではなく、道路の端っこで待っていました。交通量がさほど多くないところだからできるんでしょうけどね・・・。



 それから、広電の電停には次にやってくる行き先を表示する案内が設けられています。この天満町電停は、広島駅方面(表示は『駅』)と、本通や広島港方面(表示は『宇』)の二つの方面に運行されているので、この表示を見て安全地帯に移動するっていう感じです。
 ちなみに、広島港電停は2001年までは「宇品」だったのですが、この表示は今でも「宇」の表示が使われているんですね。まぁ広島の人は「宇品=広島港」って認識しているからそのままでも大丈夫なんでしょうね。

 それにしても、久しぶりに広電に乗って懐かしい車両にも会えたし、乗れたし、よかったなぁと思いました。






最終更新日  2021年12月18日 17時50分03秒
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