2025冬 東北へ・・・(その5 とみおかアーカイブ・ミュージアム)
先日東北へ行ったときの話の続きです。 福島県の白河へ行った後、仙台空港まで移動しましたが、その途中に立ち寄ったのが「とみおかアーカイブ・ミュージアム」へ行きました。2011・3・11の東日本大震災の原子力災害において、富岡町の住民の方は震災直後に移動したにもかかわらず、避難区域の変更により再び移動することになるなどかなりバタバタな状況だったとのこと。日本で初めての原子力災害だったこともあるんでしょうけどね・・・。 建物の外には、津波で流されたJR常磐線の線路の一部が展示されていました。JR常磐線は茨城県の東海までしか乗ったことはないのですが、津波で流された場所は乗ったことがある人の話では海に近くて風光明媚なところだった、と聞いたことがあります・・・。 さて、このミュージアムにおいては、富岡町の歴史はもちろんのこと、あの震災のこともたくさん紹介されていました。その中で一番印象に残ったのがこれです。 東日本大震災の津波の影響で、津波にさらわれた車がこんな感じで大きな被害を受けたものがたくさんありました。この車両もその一つ、「福島県・・・」と書かれたこのトランク部分からなんとなく想像はできるかもしれませんが、これは福島県警察のパトカーだったものです。当時40歳代と20歳代の二人の警察官が住民避難の支援の最中に津波に流されてお亡くなりになったとのことです。あの震災においては、他にも警察官や消防関係者の方、役所の方も津波の被害で命を落とした方がたくさんおられたと思います。 警察官や消防、役所の人たちは、逃げ遅れた人がいないか避難できていない人がいないか、そういうことを自分の仕事として最後まであきらめずに全うしようとしていたと思えば、頭の下がる思いです。住民の皆さんも「それがこの人たちの仕事なんだから当然だろ」って思う人もいるかもしれません。 ただ、私は決して当然だとは思わないし、避難しようとする人が自力でどうしようもない時は、警察官などの人が共倒れにならないようにしてほしい、と常々思っています。つまり、警察官などの人たちが困っている人たちが確実に避難させられる、共倒れにならないということであれば、手を差し伸べなければならないと思います。でも、共倒れになる可能性が高いのであれば、他の助けられる人を助けてほしい、そう思っています。 そのように思っているのは、私が以前足の肉離れをして歩くのにも不自由な生活をしていた時、「ここで地震や火事になった場合は逃げ切れない」と思ったことからなんです。普段ならなんてことない歩行すらできない、そんなときに逃げようとしても自力で逃げ切れるわけがない。仮に手を貸してくれる人がいたとしても、場合によってはその人も共倒れになるのであれば、怪我したのは自分が悪いわけだし、災害は自分の運命と思えば、手を貸してくれる人が生き残れるようにしてほしいと思っています。 だから、私としては「逃げてほしかった」と思いました。もちろん、目の前で困っている人がいるのに逃げることはできないのかもしれません。でも、助けられる十分な手立てや余裕がないのであれば、まずは自分の命を守ってほしい、だから「逃げてほしかった」ということなんです。 こんな考えは私だけだと思うのでこの考えに対する批判はいりませんから・・・。 この展示を見て説明文も見て、最後まで活躍された二人の警察官に対して最敬礼していました・・・。