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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

メジャー、カットボール、永久欠番

日米野球のあだ花

 日米野球が終了した。米国5戦全勝で、米国の圧勝である。


伊良部


 やっぱり野球は面白い。久し振りに日米野球を堪能させて貰った。今回は日本チーム出場者に辞退が続出したのでアメリカの圧勝に終わったが、日本側に実力のある者が出て入れば、面白い試合になっていたはずである。

 ニューヨークに住んでいた頃、ヤンキー・スタディアムとシェイ・スタディアムには何回ずつか行った。

 感想を述べると、日本で見る野球とあまり変わりがないと思った。理由は簡単である。一定のレベル以上になれば、野球の試合そのものに変わりはない。そこが、日本で観た野球とほとんど変わらないと思った理由である。

 つまり、日本のレベルも一定のレベル以上に上がった証左だと思ったのである。もしこれがイタリアとか中国レベルの野球であれば、レベルが全く違うため(凡打とエラーの連続など野球にならない)、はっきりとその差が分かるのである。

 したがって、日米野球やWBCなどの野球を見ることが出来るとなると、これは面白い。一つは、日本が実力を備えたからである。何せ、WBCで優勝したのだ。二つ目は、実力が変わらなくなっているとはいえ、お国柄の差が出る。米国の圧倒するパワーに対して日本の小細工の野球がどこまで通用するかというのも楽しみである。今回の日米野球でいえば、結論ははっきりしたが。

 ここでは、別の視点から、おいらは大リーグに軍配を上げる。

 今でも耳に残っているのは、ヤクルトに戻った石井がドジャースに在籍していたときの言葉である。

「大リーグではちょっと手を抜いたら、実力のある人間が無数に控えており、何時でも交代させられる。常に安心してはいられません」

 これを聞いて、流石大リーグだと思った。日本は、そういうシステムになっていないのだ。ここに今の日本のプロ野球の問題があるのではなかろうか。旧態依然のシステムでは、活性化を望むべくもない。だから、若者の嫌気がさすのである。野球の人気がなくなるのである。

 しかし、誤解しないで欲しい。野球の魅力そのものがなくなったのではない。だから、この問題は解決が可能だと思う。深刻になる必要はない。


キューバ野球

 オリンピックである。水曜日の夕方は早めに自宅に帰り、星野ジャパンのキューバ戦を自宅で見ることにした。


 お盆もである。缶ビールとつまみを片手に最後まで試合を見た。結果はご存知のとおりである(4-2で敗戦)。


花


 じっくりと見て良かった。一言でいえば、野球が違う。日本の野球が世界に伍しているなどちゃんちゃらおかしい。それが分かった。

 まず、バッターのスイングである。速さが違う。敵は当たればホームランか長打だ。打球の速さも全く違う。キューバのバッターの後に日本人のスイングを見ると、蚊が止まることが分かる。

 次に、選球眼。キューバの連中は苦もなく四球を選ぶ。しかも、球種まで見破り、フォークであってもわざと見逃す。これは、訓練以前の資質ではないか。ピッチャーはたまらない。

 そして、意外にも緻密な野球。盗塁、しかも三盗を予想もしない場面で行う。 コントロールが定まらないダルビッシュの頭を真っ白にさせただろう。

 しかも、キューバの右ピッチャーは、日本の右バッターに対するインコース攻めが見事なのである。バッターがボールだと思って見送ると、ストライクである。手も足も出ない。

 野球が違うのである。

 しかも、試合運びが悪い。相手に威圧感を与える先制点が取れない。ノーアウト、1・2塁でバントを失敗する。併殺も3つ。星野監督の采配に疑問も残る。

 それにしても、日本選抜メンバーに怖さを感じないのはおいらだけだろうか。素朴な疑問であるが、あれだけ勝負強い金本をはずすなど、本当にこれで世界一のメンバーなのだろうか。

 もう一つ。北京の湿度は90%であった。条件は相手も同じだから云うまいと思ったが、敵は本能寺かも知れない。日本人のほとんどは冷房の効いたドームで野球をしている。

 相手のキューバは自然児? 先が思いやられるのう。

(付録)
 中継を見て良かったと思うことが一つある。ボールカウントの数え方である。日本のアナウンサーが「ワンボール、ツーストライク」と、大リーグと同様にボールを先に数えていた。これは良い。これでおいら達は同じ土俵の上である。


そうだったのかカットボール

 イチロー選手(以下、敬称略)の200本安打10年連続記録がいよいよ途切れようとしている。


マツダスタジアム2


 本日を入れた残り2試合で後17本達成は、物理的に不可能である。

 そのイチローは1973年10月22日生まれ。来月38歳を迎える。

 おいらはさしもの天才イチローも年齢には勝てないのか、と当初そう思っていた。

 しかし、ウエブ上で見た記事「【MLB】急増する「カッター」がイチローを苦しめる最大の敵」(Webスポルティーバ 9月20日11時42分配信)によって、あながちそうでもないと思い知るに至った。

 記事は長いので要約すると、今シーズン、大リーグではカットボールが隆盛になったというのである。

 カットボール。

 正式名称は「カット・ファスト・ボール」。もともとは、ヤンキースの名火消しであるリベラの専売特許であった。何せリベラはこのカットボールだけで600セーブを挙げているのである。

 このカットボール、直球に近い球速にもかかわらず、バッターの手元で微妙に変化(縦、横、斜めに)する。このため、バッターは直球と思って打ってもバットの芯を外され、凡打になるという難儀なボールである。

 ところが、このカットボール、大リーグのピッチャーが今年から揃って投げ始めたのだ。同記事によれば、フィリーズのエース、ロイ・ハラデー(18勝)は今シーズン、全投球の半数近くもカッターを投げているという。また、レッドソックスのジョシュ・ベケット(12勝)も今年から本格的にカッターを投げるようになって復活したという(成績は9月15日現在)。

 実は、このカットボールの犠牲になったのがイチローだというのだ。

 イチローは今シーズン、ストレートやカーブなどの通常の球は問題なく打っているのだが、カッターボールのようにバッターの手元で微妙に揺れるボールが打てなくなったのである。

 同様に過去の歴史を調べると、70年代はスライダーが大流行したために74年、ピート・ローズは打率3割を切り、シーズン200本安打を逃している。

 80年代になると、魔球SFF(スプリットフィンガード・ファストボール)によって、7年連続200本安打という当時の近代記録を更新していたウェイド・ボッグスも8年連続を阻まれている。

 なるほど、野球も革新によって、新しい時代が作られているのだということが分かる。

 そうだったのだ、イチローは年を取ったから打てなくなったのではないのだ。カットボ-ルが原因だったのだ。だったら、解決は簡単である。原因となった新しいボールに対し、新しい打ち方を編み出せば良いだけである。

 来年のイチローに再び期待をかけたい。


スイッチ・ピッチャー(前篇)

 本日より三日間は、関ネットワークス「情報の缶詰7月号」に掲載した「スイッチ・ピッチャー」をお送りします。


スイッチ・ピッチャー

 スイッチ・ピッチャー、つまり、左右両投げの投手が今年の6月、アメリカ大リーグにデビューした。大谷は投げると打つの二刀流だが、投げるだけの二刀流も面白い。


パット・ベンディット1-2.jpg


1.スイッチ・ピッチャーのメジャーデビュー

 6月5日、左右両投げの投手がメジャーデビューし、2回無失点だったという。

 試合は、レッドソックス対アスレチックス戦である。

 余談だが、おいらがNYに住んでいたころのヤンキースの天敵はレッドソックスだった。このレッドソックスには日本の松坂もいたので、松坂がいた球団かと理解される方も多いと思う。

 レッドソックスの本拠地はボストンであり、ケネディが学んだハーバード大学のある街である。おいらは仕事で行ったこともあるので、レッドソックスには愛着もある。

 このレッドソックスのヤンキースへの対抗意識はすさまじく、日本で云えば、巨人に対する阪神と考えると分かりやすい。つまり、松坂はヤンキースを倒すためにレッドソックスに請われたのである(しかし、右ひじ故障でメジャー8年間の通算成績は56勝43敗)。

 さて、このスイッチ・ピッチャーは、アスレチックスのパット・ベンディット(29)である(写真上も)。メジャー昇格後すぐにデビューし、2回を無失点(1安打、1三振)に抑えたというから面白い。


パット・ベンディット1.png


 どうでもいいことだが、アスレチックスの本拠地はオークランド(カリフォルニア州)である。だから、普通はオークランド・アスレチックスと呼ぶのだが、マスコミはツウぶってアスレチックスとしか呼ばない。それは、日本でも広島カープを単にカープと呼ぶのと同じである。

 だが、大リーグを理解するにはこの本拠地名が欠かせない。どこに本拠地があるのを知っているのと知らないのでは、野球の面白味が全く変わるからである。

 日本でも東京ドームでカープが試合をする場合、広島カープを名乗るから広島の弱小球団が出稼ぎに来ていると分かるのである。

 そして、その弱小チームが金満読売ジャイアンツに鉄槌を下すから(下せないことが多いが…)野球は面白いのである(この項続く)。


スイッチ・ピッチャー(中篇)

2.大谷と違う二刀流

 さて、大谷の二刀流と違って、おいらは左右両投げの投手がいてもいいはずだと昔から思っていた。


パット・ベンディット2.jpeg


 ここで野球教室になるが、右バッターには右投げの投手をぶつけるのが野球の基本である。

 これは野球をやったことのある人ならすぐに分かる理屈である。

 右打席に立った場合、右投げ投手の投げる球は打者のインコースからアウトコース方向に入ってくるので、体をめがけて球が投げられているように見える。だから、打ちにくい。逆に左投手の投げる球は球の出どころから打席まで直線に飛んでくるので打ちやすい。

 したがって、巨人の柴田はスイッチ・ヒッターになったのである。彼は右投げ投手がマウンドに立つと左打席に入り、左投げの場合は右打席に入った。

 そうしてみると、逆もまた真なりで、あの世界の王さんも監督時代は味方がピンチになると右バッターには右の、左バッターには左の投手を必ず起用をした。

 このため王監督の采配はワンパターンと酷評されたが、実はそれなりの理由があるからなのである。王さんも左ピッチャーは嫌いだという実体験があったに違いない。だから、スイッチ・ピッチャーが出てくるのは必然なのである。


パット・ベンディット2-2.jpg


 調べてみると、メジャーでの左右両投げは、95年のモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)のグレッグ・ハリス以来の二人目で10年ぶりのことだという。

 日本のプロ野球記録では、88年にドラフト外で南海ホークスに入団した近田豊年がいる。彼は同年4月14日ロッテ戦に登板し、1回1安打1失点の結果であった。ただし、実際には利き腕の左しか投げていない。1軍登板はこの1試合だけである。

 他にも吉成昭三(巨人)と野崎進(ヤクルト)がいたが、1軍登板はなかった。

 高校野球では、14年、所沢商(埼玉)の増田一樹投手(当時3年)がいる。右ひじが故障したので左投げを始め、その故障が完治して左右両投げのエースになったのである。最後の夏は3試合に出場したが、甲子園出場はかなわなかった。

 こうしてみるとスイッチ・ピッチャーは希少だということが分かる(この項続く)。


スイッチ・ピッチャー(後篇)

3.スイッチ・バッターとスイッチ・ピッチャーの戦い

 では、ここで重要な問題である。


パット・ベンディット3.jpg


 スイッチ・バッターとスイッチ・ピッチャーが対戦するとどうなるのであろうか。

 08年6月19日、当時はヤンキース傘下の1Aスタテン・アイランドに所属していたベンディットが初登板した。ブルックリン・サイクロンズ戦で相手の打者はスイッチ・ヒッターのラルフ・エンリケスである。

 ベンディットはエンリケスが右打席に入ったのを見て右で投げようとすると、今度はエンリケスが左打席に入った。ベンディットは左で投げようとするとまたもやエンリケスは右打席に入る。

 このやりとりが続いたため、業を煮やした審判が打者に打席を選択するよう指示したのである。エンリケスが右打席に入ったため、右右対決となり、この勝負はベンディットが三振を奪って勝っている。


パット・ベンディット3-2.jpg


 これを機に野球規則が変更となり、投手は投球する前にどちらの手で投げるかを明らかにしなければならないことになった。

 実は、漫画の世界でも「ドカベン」に登場する「わびすけ(木下次郎)」は投球モーションに入るまで左右どちらで投げるかがバッターには分からなかったのである。

 これでは、バッターはたまらない。新ルールでは投げる方が先に決めなさいとなったので、スイッチ・ピッチャーには厳しい結論となっている。

 なお、以前のルールでは1球ごとに左右の投げる手を変えることができたが、現在では打者1人を終えるまでは左右を変えることができない。

 う~む、こうしてみると野球とは奥が深いものよのぅ(この項終わり)。



背番号42を知ってるかい

 野球のシーズンが始まるので、楽しいぞ。


ジャッキーロビンソン1.jpg


 ところで、今年も多くの新外国人選手が日本にやってくる。その助っ人の多くが背番号42をつけているが、皆、とまどうだろうなぁ(写真上は、ジャッキー・ロビンソン)。

 日本では背番号42は「シニ(死に)」につながり、不吉な番号としてよほどのことがない限りはつけない番号である。

 しかし、メジャーリーグでは名誉ある永久欠番である。しかも、1チームだけではなく、全チームの永久欠番。

 これは、初の黒人選手として活躍したジャッキー・ロビンソン(ドジャース)へのオマージュのためである。

 今から約70年前の昭和22年(1947年)、大リーグのドジャースがジャッキー・ロビンソン(ジャック・ルーズベルト・ロビンソン)を自球団でプレーさせると発表した。

 そうしたら、メジャーリーグのオーナー会議で、ドジャースを除く15球団の全てが黒人のメジャーでのプレーに反対したのである。

 当時のメジャーリーグは白人選手のためのものであり、黒人選手はニグロリーグでプレーすることしか許されていなかったのである。

 だから、フィラデルフィア・フィリーズやセントルイス・カージナルスに至っては、ドジャースとの対戦でロビンソンが出場するなら対戦を拒否するとまで云い放ったのである。

 いやはや何ともひどい話しである。

 おいらは黒人選手といえば思い出すのがバルボンである(写真下)。バカボンではない。阪急ブレーブスの二塁手であった。関西弁だよ。野球に肌の色の違いなんかあるものか。


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 さて、ジャッキー・ロビンソンに戻る。当時、まともだったのは当時のコミッショナーである。ドジャースを支持し、また、ナショナルリーグ会長も対戦を拒否したら出場停止処分を課すと黒人選手のプレーを擁護したのである。

 ドジャース監督のレオ・ドローチャーも「わたしは選手の肌が黄色であろうと黒色であろうと構わない。わたしはこのチームの監督だから、優秀な選手であれば使う。もしわたしに反対する者がいたら、チームを去ってほしい」と語っている。

 しかし、ドジャースの中にも黒人選手と一緒にプレーするのが嫌だと云うチームメイトもいた。開幕前、ロビンソンを嫌がって移籍した選手も実際にいたのである。実際、彼と同じテーブルで食事をしたり、一緒にシャワーを使うのを嫌がったチームメイトもいたという。

 だが、ロビンソンは常に紳士的に振る舞い、シーズンでは一塁手として打率.297、12本塁打、29盗塁という好成績を残してチームの優勝に貢献し、新人王を受賞したのである。


ジャッキーロビンソン2.jpg


 トレードを志願していたディキシー・ウォーカーもロビンソンに打撃や守備について教えるようになるなど、シーズン終了時にはロビンソンは誰からも受け入れられるようになったという。

 野球の歴史を振り返ると、こういう話しがあったことを知ることができるのが嬉しいよねぇ。


永久欠番

 前回、メジャーリーグの永久欠番42について触れたので、その他の永久欠番にも触れる。


ベーブルース.jpg


 何と云っても永久欠番のオンパレードは、ニューヨーク・ヤンキースである(写真はベーブ・ルース)。

 ひとケタ台はジータのつけていた2番を除いてすべて欠番である。

 1番がビリー・マーチン、3番ベーブ・ルース、4番ルー・ゲーリッグ、5番ジョー・ディマジオなどである。しかし、ジータの2番も永久欠番になると云われているので、ついにひとケタ台はなくなってしまうことになる。

 ヤンキースでは、バーニー・ウィリアムズの51番、ホルへ・ポサダの20番、アンディ・ペティットの46番も永久欠番になったと先日発表されたので、総勢21人が永久欠番である。何だか現役の背番号だけみるとヤンキースは二軍の選手が出ているみたいだ。

 ひるがえって本邦はどうだろう。

 思い出すのは、長嶋の3番や王の1番であるが、おいらは筋金入りのカープファンなので、3番と云えば衣笠である。山本浩二の8番も永久欠番である。

 だが、意外なことに日本の永久欠番は全員合わせてもわずか16しかない。

 セ・リーグでは、巨人が6人、阪神が3人、中日が2人、広島も2人である。パ・リーグは、西武が1人である。

 ただし、変わり種として、日本ハムと楽天にもそれぞれ欠番が1つずつある。

 日本ハムは前オーナーである大社義規氏の100である。楽天の永久欠番は10で、レギュラー9人に続く10人目との番号してファンのための欠番という。

 さて、巨人の永久欠番は、王(1)、長嶋(3)、黒沢(4)、沢村(14)、川上(16)、金田(34)。

 阪神は藤村(10)、村山(11)、吉田(23)。

 中日は服部(10)、西沢(15)。

 広島は衣笠(3)、山本(8)。

 西武は稲尾(24)。

 なお、案外知られていないのが、準永久欠番である。

 広島では前田の1番と黒田の15番である。カープは黒田が帰って来るまでは15を欠番としていたのである。

 巨人では松井の55番(一時使われたが、14年から再び欠番)、阪神では金本の6番と掛布の31番である。江夏の28番が入っていないのが寂しいが、いかにも阪神らしい(現在は福原が使用。なお、どうでもよいことだが28は「完全数」である)。

 ま、野球選手と背番号は切っても切れないので、永久欠番とは野球のロマンであると思いたい。




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