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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

今村昌平 黒澤明 実相寺昭雄 熊井啓

今村昌平死す

 巨匠墜つ。いまへい、79才であった(写真は「にっぽん昆虫記」)。


今村昌平


 日本を代表する監督である。深作も凄いが、独自の世界を創ったいまへいは別格だ。惜しまれるのは、日本よりフランスで人気が高かったことである。日本人の目は節穴である。

 カンヌ国際映画祭でパルムドール賞(最高賞)を二度も受賞している。世界で4人目、日本人では初の快挙だ。横浜映画専門学校(現日本映画学校)の創始者でもあった。氏は小津安二郎監督、川島雄三監督(名画「幕末太陽伝」の監督)に師事した。良い師匠に恵まれたといえる。

 人間の本能を追求した監督だった。人間は欲張りだ、スケベだ、嘘つきだ、見栄っ張りだ、食いしん坊だ、喧嘩好きだ、インチキだ、滑稽だと、手を変え、品を変え、その救われることのない業をひたすら映画化したのだ。

 一番凄いと思ったのは、楢山節考(83年)である。特に坂本スミ子の演技は突出していた。

 もう一つ思い出した。泥臭さである。9・11を題材に、世界の映画監督が11分15秒の映画を製作したオムニバス映画(02年)の日本代表に同監督が選ばれた。この映画の、反戦思想を表わす泥臭さも群を抜いている。

 氏の映画は、観る人の心がそのままその人に跳ね帰ってくる映画である。そういう映画を創る監督は、日本にはもういない。誠に惜しい人を失くした。合掌。


font style="font-size:20px;">祝アクセス数、127,000突破

 11月14日(土)、謎の不良中年のブログアクセス数が127,000を突破しました。栄えある127,000達成者は、「松尾竹文」(ブログ「長崎浦上の松尾竹文と佐世保の湊屋潤が全世界・全国に呼びかけます」)さんでした。ありがとうございます。

 127,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


生きる


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「黒澤明監督『生きる』ポスター」をお披露目します。

 おいらは黒澤映画でナンバーワンは「七人の侍」だと思っています。しかし、この「生きる」もそれに匹敵する傑作と云っても過言ではありません。

 この映画の素晴らしさは、1.死の宣告 2.放浪 3.再生 4.通夜という場面構成で、4.の長い通夜のシーンを最後に持ってきた点にあります。

 市井の人間が死の近いことを宣告されると、どうなるのでしょうか。

 黒澤明はそのモチーフを、仕事(腐りきった役所)と家族との関係とを混ぜ合わせて見事な映画に描き上げたのです。何度見ても、唸ります。

 死を意識して、主人公は初めて生きることが出来たのです。

 それにしても、このポスターの志村喬と小田切みき(小田切は、この一作のみで日本映画史上に残りました)の笑顔の何と素晴らしいことでしょう。


 次回は、128,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年11月16日(月)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


実相寺昭雄展に行く

「実相寺昭雄展」が現在、川崎市市民ミュージアムで開催されている(9月4日まで)。


実相寺昭雄展


川崎市民ミュージアム


 実相寺昭雄(映画監督)は天才である。奇才だと云う人もいる。

 一般に有名なのは、ウルトラマンシリーズでの演出(監督)だが、多数のATG作品を撮っており、その中の「無常」(ATG、1970年)は「ロカルノ国際映画祭最高賞」を受賞している。

 CMでも傑作を残しており、17歳当時の薬師丸ひろ子を使った資生堂の「初恋編」では「カンヌ国際広告祭グランプリ」を受賞している。

 おいらは実相寺監督の独特の詩的映像が好きだねぇ。

 映画「乱歩地獄『鏡地獄』」では、江戸川乱歩のイメージと氏の幻想的な映像とがマッチしていたなぁ。

 2006年に胃がんで亡くなった3年後(氏は昭和12年生まれ、享年69歳)、百合が丘(川崎市)に在住していた関係から、氏の遺品が川崎市に寄贈されている。

 今回の展覧会はその寄贈資料を中心とするものであり、実相寺ファンのみならず美術芸術に興味のある人には見過ごすことのできない内容になっている。

 この展覧会、少々表現しづらいのだが、一言で表せば、氏の芸術的迫力においらが圧倒されたということか。ドラマだとか、映画だとか、絵画だとか、オペラだとか、シュールだとか、そういう一面的なものを通り越して、多才かつ、天才、奇才であり、果ては、氏が怪物であると認識した。こういう人と同時代に生きることができたことは幸せである。


武蔵小杉駅


 入館料600円。武蔵小杉駅前(写真上)から市営バスに乗車、10分。半日は優に過ごすことができる。


熊井啓監督作品を観る(その1)

 8月14日から18日まで、池袋にある新文芸座で「終戦の日特別企画(第2弾)」が開催された。


新文芸座2.jpg


「第二次大戦と日本の戦後」と銘打って、映画「帝銀事件 死刑囚」と「日本の熱い日々 謀殺・下山事件」とが上映されたのである。

 共に熊井啓監督作品であり、「帝銀事件」は第1回監督作品(昭和39年作品)、「下山事件」は昭和56年の作品である。

 おいらは、この「下山事件」が観たかったのである。

 実は、最近、神田古書街のワゴンセールで「謀殺下山事件」(矢田喜美雄、講談社、昭和48年)をゲットして読了したということもある。

 この本、何と、目次に映画「謀殺・下山事件」のコマ割りが書き込んであり、どうやらこの映画の関係者が所有していたものらしい。熊井啓の映画の原作は、この著書なのである。

 しかも、この映画はDVD化されていないようで(ビデオにはなっているが、数万円の高値が付いている)、観る機会には恵まれていなかったのである。

 だから、観る機会を伺っていたところ、新文芸座で上映するというので、広島への介護帰省の前日、池袋に足を運んだという次第である。

 8月15日。終戦(=敗戦)の日。この日も東京は猛暑であった。

 久し振りに池袋に着く。

 昔ながらの風俗店が立ち並ぶ中、新文芸座を探す。某パチンコビルの3階だというので、うらぶれたイメージを想像していたが、これが立派なビルで真新しい。おっ、文芸座もやるじゃないか。


新文芸座1.jpg


 入場する。シニア(還暦以上)料金は千円。そう思っていたら、入場者のほとんどがシニアである。こういう映画を観るのは年寄りばかりなのかと少し複雑な気持ちになる。

 係の人が「本日は混雑していますので、ご迷惑をおかけします」と大声を出している。満席である。

 場内は横約20名、奥が約15列で約300名の収容である。

 やや前の席だが中央部に座れたので、ほっとする。

 スクリーンはでかい。シネコンの小さなスクリーンとは違う。やっぱ、映画館で観るスクリーンは大きくなければいけないのぅ(この項続く)。


熊井啓監督作品を観る(その2 帝銀事件)

 帝銀事件そのものについては触れないが、この熊井啓監督作品は今でも十分に鑑賞に耐えうる映画である。


新文芸座3.jpg


 何と云っても帝銀事件を扱った秀作は、テレビ朝日が作成したドラマ「帝銀事件・大量殺人獄中32年の死刑囚」(松本清張原作、森崎東演出、仲谷昇主演。昭和55年)である。おいらは幸運にもこのドラマを録画している。

 さて、この映画でまず驚いたこと。

 しょもないことであるが、サイズが「シネスコ」(シネマスコープ)でスクリーンが横に拡がっている! 

 おいらは前から6番目位の席だったので、圧倒されてしまった。右端から左端に場面が移ると、目が追い付かないのである。

 この映画は日活であるが、当時の映画は東宝でもシネスコサイズであり、映画界が活況を示していたことが分かる。

 本論に入る。

 平沢貞通氏が犯人に仕立て上げられる手法のこの映画での取り上げ方はオーソドックスである。誰が観ても平沢氏が犯人でないことは分かるのだが、今でも不明なのは平沢氏に盗まれた金額に匹敵する入手不明金があったことである(平沢氏の描いた春画の代金とも云われている)。

 塀の内外に詳しい安部譲二氏によれば、平沢氏は共犯(それも見張り役などの下っ端)であるという説を採られており、なかなかの推論である。だから中途半端に犯人に間違えられた可能性はあり得る。

 しかし、おいらはそうであったとしても犯人に利用されたに過ぎず、または、犯人にでっち挙げられるように仕組まれたのではないかと推測している。

 比較的最近の説では、当時のソ連がアメリカに持ち帰った731部隊のデータ欲しさにわざと社会的に目立つ事件にしたという話しがあるほどである。

 当時、731部隊のことを世間は知らない。

 それを世に知らしめるという意味でソ連が仮想敵国であるアメリカの占領下にあった日本で731部隊の手口で事件を起こしたという説には信憑性がないとは云えない。現に12人も殺していながら、わずか16万円しか盗んでいないなど、事件には謎が多い。

 帝銀事件は、平沢氏の死後(昭和62年、享年95歳)なお、養子と支援者が名誉回復の再審請求を続けられており、認めてあげなければならない事件である(この項続く)。


熊井啓監督作品を観る(その3 下山事件)

 下山事件については、このブログでも言及している(ただし、昭和24年当時、日本で革命が起きると本当に信じられていたことについての言及である。フリーページ「下山事件」の怪参照)。


新文芸座4.jpg


 事件の真相は、今では「矢板機関」によって自殺と見せかけられたという他殺説が有力になっている(森達也「下山事件 シモヤマ・ケース」平成16年、新潮社、柴田哲孝「完全下山事件」平成19年、祥伝社)。

 特に、柴田氏の説が有力となるのは、氏の祖父が事件に関与していたことを匂わされておられるから、事実の可能性が強い。

 しかし、それを抜きにしても、矢田美喜雄氏が足で調べた「謀殺下山事件」の資料は膨大であり、米軍防諜機関に命じられて死体を運んだとする人物に行き着いた点は抜きん出ている。

 実際、この映画も矢田氏の著書をベースに作られているので、最後まで観る者を飽きさせることはない。

 ただし、一つだけ注文がある。

 それは、この映画が諸般の事情によって、俳優座の役者によって演じられていることである。

 だからという訳でもないが、この作品は映画でありながら俳優座の舞台を観ているようである。特に仲代達矢の演技は、舞台そのものである。一言で述べれば、演技過多、すなわちやり過ぎである。舞台や歌舞伎であれば、そうすべきであろうが…。

 こうしてみると、仲代の演技が円熟味を出すまでには時間がかかったことが分かる。心の中で思ったことをそのまま言葉にするなど、実生活では普通しないものである。しかし、舞台ではそうしないと観客には何が何だか分からない。

 ま、それを抜きにしても面白い映画であったことには違いない

 もう一つ。

 事件は夏、7月5日に発生した。だから、映画のスクリーンから昔の日本の熱さがむんむんと伝わって来るのである。

 オフィスに冷房など無論ない。あって扇風機である。

 驚いたのが氷柱である。

 昔はオフィスの真ん中にでかい氷を置いていたのである。おいらも思い出した。当時は氷屋が大盛況だったのである。

 それに皆が暑いので水を飲むのだが、今のようにペットボトルなどない。蛇口に口をつけて水道水を飲むのである。

 それが当たり前の時代のことを思い出させてくれた。隔世の感があるが、考えてみれば今のこのご時世の方がおかしいのかも知れない(この項終り)。


銀座シネパトスで「黒い潮」を観る

 また、一つ、映画館が閉鎖する。


シネパトス1.jpg


 銀座シネパトスが3月末をもって閉館するのだ。この映画館は昭和の雰囲気をもろに醸し出しているので、残念としか云いようがない。


シネパトス2.jpg


 何しろ、晴海通りの地下に映画館があるのだが、その地下通路が黒澤明の映画に出てくるような怪しい雰囲気なのである。ご存じない方は、是非とも閉館前にこの映画館を訪ねることをお勧めする。

 さて、このシネパトスの閉館を飾るシリーズは「銀幕の銀座」と銘打ち、銀座の懐かしの風景とスターを中心とした映画となった。

 その中で、先週、下山事件を扱った「黒い潮」(昭和29年日活、山村聡主演監督作品)が上映されたのである。

 これは、見過ごす手はない。

 下山事件は、このブログに書いているとおり、既に秀作「謀殺下山事件」を観ているのだが、この「黒い潮」は自殺説とした毎日新聞をモデルとする希少作品である(原作は井上靖氏)。

 この事件で不思議なことは、他殺説の東大医学部と自殺説の慶大医学部とが正反対の結論を出していたことであるが、現在では柴田哲孝氏からなる「下山事件 最後の証言」によって他殺説が主流となっている。

 この映画を観て、何故、当時の毎日新聞が自殺説を取ったか(正確に述べれば、下山事件の事実のみを伝えようとしたか)が分かったが、作品としては不出来である。

 要は、毎日新聞が事実を知りたい、事実のみを報道したいと云いながらも、他殺説の根拠が曖昧という理由から、結果的に自殺説に肩入れしたと云われても仕方がない仕上がりになっているのだ。

 そこのところが中途半端な映画で、自殺とする客観的な根拠も示されることなく、独りよがりのストーリーになっている失敗作ではないかと思うのである。

 昭和はますます遠くなっているが、下山事件の真相は未だに解明されているとは云えない。この事件の背景を含めた真実は、永遠に迷宮に入るのだろうか。




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