阿部定 川本三郎 末井昭数奇な人生情夫の逸物を切り取り、太腿に「定、吉二人」と血で書いた阿部定が生存している可能性があるという。明治38年生まれだから、生きていれば101歳になる勘定だ。 9月11日付毎日新聞憂楽帳に、「台東区役所に彼女の戸籍は残っている。死亡連絡がまだ、どこからも来ないからだ」とあった。 懲役6年で出所後、バーの店員、おにぎり屋さんなどをやっていたが、71年、勤めていたホテルからこつ然と消えたという。関西で死亡説、熱海で生存説などがあったが、その後の消息ははっきりしないようだ。 阿部定を取り上げた大島渚の「愛のコリーダ」(藤竜也 、松田瑛子)は、ニューヨーク駐在中ノーカット版で見た。厭らしさを感じさせない映画であった。尤も、大島渚にエロは撮れない、という評価は定着しているようだが。 男を滅ぼす女はいるが、定と吉の二人の場合は、それ以上に、二人の相性がこれ以上ないというほど良過ぎたのだろう。吉にとっては、ある意味で幸せな人生である。 それにしても、天下の阿部定である。どこかで人知れず亡くなっているのだろうが、もし、生存しているのであれば、我々の前にもう一度出てきて欲しいと思う。 マイ・バック・ページを観た 映画評論家や街歩き作家として、おいらは川本三郎氏のファンである。氏の評論にぬくもりを感じるからである。 その川本三郎氏の著書「マイ・バック・ページ」が復刊された(写真上)。昨年の11月のことである(平凡社、オリジナル(河出書房新社)の初版は1988年)。 東京堂書店で著者のサイン本を見付けたので早速求め、パラパラと前半をめくっていたら、時代の持つ感傷的な匂いが強すぎるかなと思ってそのままにしていた。 さて、その著書がこの度映画化されたので渋谷の東映で観た。 著者が朝日ジャーナル編集部にいたことは知っていたが、おいらの勉強不足で氏がまさか朝霞事件に関与していたとは知らなかった。 だから、映画は大変面白く観ることができた。 その理由は、おいらの青春時代とオーバーラップするからである。おいらは当時心情左翼(反代々木系)で、ベトナム戦争反戦デモにも参加したことがある。 だから、山本義隆や滝田修が映画に登場すると、当時のことがフラッシュバックしてくるのである。 しかし、この映画自体は失敗作ではないだろうかと思う。特に最後のシーンがなければ(すまん、まだ観ていない人のために詳細は省く)、この映画は破綻している。映画の中での主人公(著者)や過激派の心情が充分表わされているとは云えないからである。 それに当時、学生運動をしていた組織の内部はもっとドロドロだったはずである。そこが描き切れていない。 ただ、そうは云いながらも、妙に記憶に残る映画であり、それは主人公と年齢が違いながらも同じ時代を共有したからだけの理由ではないであろう。 なお、映画鑑賞後、著書を読了した。人生で筋を通すことの大切さとそれができない挫折感が痛いほど表わされており、丸谷才一氏が褒めたのも充分に頷ける。 この映画、月並みな表現ではあるが、久し振りにおいら自身を見つめ直すきっかけを作ってくれた作品となった。失敗作と云いながらも、同世代の人たちにこの作品を鑑賞することを薦める。 ダイナマイト心中(前篇) 「ダイナマイト心中」と聞いただけで末井昭氏(エッセイスト、編集者)のことと分かる人はツウである。 おいらがこの末井氏のことを知ったのは、神田の東京堂書店のサイン本コーナーで氏の「自殺(2013年、朝日出版社)」という名著を手にしたときに始まる。 人を喰ったようなサインで(写真下)、また、お母さんが岡山の山奥でダイナマイト心中をされたという内容に思わず買ってしまい、ほどなく読了したほどの優れ本だったのである。 日を絶たずしてこの本は同年の講談社エッセイ賞を受賞する。 しかし、おいらは末井氏が同世代(昭和23年生れ)で画期的エロ雑誌であった「写真時代(1981年、白夜書房から創刊)」の編集長だったということを見逃していたのである。 ところが今月、この末井氏の自伝のような映画「素敵なダイナマイトスキャンダル」が公開されたのである。 おいらの映画情報源は、映画評論家S氏からである。この映画は人気が高く、また、実際観ても面白い、いや、是非観るべきとの評をいただいたので、新宿テアトルまで足を運んだ。 で、その感想はこのエセーの最後に述べるとして(悪くはない。合格点である)、この映画が何を云いたかったのかを考えてみる。 人生で一番大切なものは、いや、重要なものは何か、だろうか。 この主人公には徹底して思想がない。 何をしようとしているのか、何がしたいのかが分からない。しかし、それは主人公である末井氏だけではない。周りの人物も皆、同じ穴のムジナである。 確かなことは、確実に時代は動いているということであり、その時代の流れにうまく乗ったものは勝ち組、時代にとり残されたものは負け組ということである。 しかし、考えてみれば、思想を持った人間が世の中にそうそういるわけではない。凡人にとっての人生とは、いわば行き当たりばったりの連続である。 そうしてみるとこの映画は70年代の日本人の若者の記録である(この項続く)。 |