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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

吉田首相暗殺計画 国策捜査 民主主義

吉田首相暗殺計画

 服部卓四郎(1901~1960年)という男がいた。

 旧日本軍参謀本部作戦課長で、敗戦後、GHQ(連合国軍総司令部)歴史課に勤務していたが、裏の顔は、G2(GHQ参謀2部)の下、隠密工作を行っていた男である。


吉田首相


 その服部卓四郎が率いるグループが、1952年7月に吉田首相(写真中央。写真はサンフランシスコ講和条約の調印時)の暗殺を計画していたという。CIA(アメリカ中央情報局)の文書で最近明らかになった。

 当時の吉田首相(自由党)が、公職追放された者や右翼、国粋主義者に敵対的だという理由で首相を暗殺し、クーデターを蜂起、民主党の鳩山一郎を首相に祭り上げようとしたのである。

 しかし、辻正信(服部同様、元参謀。とんでもない男だが、懐かしい名前じゃのぅ)に反対され、クーデターを思いとどまったという。

 この服部何某、只者ではない。その後も日本を再軍備させるために奔走し、G2に全面的に協力するかの如く装い、しかし、悟られないようにして、米軍から物的支援を受けさせていたというのである。

 戦後、まだ日が浅いとはいえ、ついこの前まで日本にもこのような男がいたのである。

 ことの是非はさておき、今の日本人にこのような輩がいるのか。時代が違うという話しだけでは済まない問題だろう。


「高橋洋一教授、窃盗事件」の不可解


 本日より二日間は、関ネットワークス「情報の缶詰7月号」に掲載した「『高橋洋一教授、窃盗事件』の不可解」をお送りします。


「高橋洋一教授、窃盗事件」の不可解(前編)

 今年3月に発生した事件である。元財務官僚で小泉政権のブレーンであった元東洋大学経済学部の高橋洋一教授(53歳)が温泉施設から高級腕時計と現金を盗んだと報道された。
しかし、窃盗容疑であれば逮捕されるのが普通だが、書類送検だけで、しかも、新聞報道は犯行当初伏されたなど、この事件には不可解な点が多い。

 実は、高橋容疑者がピック病ではないかと、噂されているのである。えっ? ピック病? それって何?


1.窃盗事件

事件は今年3月24日の午後8時頃、練馬区内の温泉施設で発生した。同区内の男性が脱衣所ロッカーに入れておいた高級腕時計(ブルガリ)と財布(合計で30万円相当)を盗まれたのである。
警察は防犯カメラに映っていた不審な男を探し出し、風呂場から出てきた高橋教授を捕捉した。本人は素直に容疑を認め、動機を「いい時計で、どんな人が持っているのか興味があった」とした。

不可解なのは、窃盗容疑なら逮捕されるのが普通だが、書類送検で済まされたことである。しかも、犯行は当初伏され、事件後約一週間経ってから報道されたのである。それに、時計や財布を盗んだのであれば、犯人はその場から直ぐに逃げ去るのが普通だが、その後も本人は悠々と風呂に入っていたのである。なんだかなぁ~。


2.不可解その1(何故逮捕ではなかったのか?)

 この事件が異例なのは、処分が書類送検に留まったことである。警視庁練馬署は「逃走の恐れがない」などを理由としたが、高橋容疑者は万引きをしたのではない。30万円相当の窃盗をしたのである。
このような事件では一般に余罪を考えるのが普通であり、逮捕して家宅捜索をすれば他の犯罪が出てくることがある。また、そうしなければ証拠隠滅を図る恐れもあるからである。

だが、警察側はそうしなかった。

この理由は、権力側が「第二の植草事件と思われること」を避けたのではないかと云われている。「植草事件」とは、元早稲田大学大学院教授の植草一秀氏が東京都迷惑防止条例違反の疑いで逮捕、起訴された事件である。植草容疑者は当時の小泉政権を批判していたことから、「逮捕は国家権力による陰謀」との推測が出ていた。また、最近では、小沢民主党代表秘書の大久保隆規容疑者も逃走の恐れはなかったのに逮捕、起訴されたとして、一部から非難されたばかりである。

さて、高橋容疑者は従来から「霞ヶ関埋蔵金」の活用を訴えており、これに反対する財務省と真っ向から対立していた。いわゆる抵抗勢力からすれば、最も厄介な人物である。
この高橋教授の履歴は興味深い。東大理学部を卒業し、文部省に勤務後、経済学部に再入学し、大蔵省(理財局)に入省。プリンストン大学客員研究員、国土交通省国土計画局特別調整課長を歴任後、小泉内閣において竹中平蔵大臣の補佐官、安倍内閣では内閣参事官に就任。

 著書「さらば財務省」では山本七平賞を受賞している。「官僚国家日本を変える元官僚の会」の発起人でもあり、一連の郵政民営化のシナリオを実際に書いた張本人ともいわれる。

このため、警察側が「国策捜査」との批判が上がる可能性を避けようとしたという説も有り得ない話しではない。しかし、それにしても腑に落ちないのだ(続く)。


「高橋洋一教授、窃盗事件」の不可解(後編)

3.不可解その2(何故報道量が少ないのか)

 警視庁練馬署は30日に書類送検し、新聞各紙は31日の朝刊で報道した。
マスコミはこの事件を早くから知っていた可能性が強い。それにもかかわらず約一週間も報道を自粛し、しかも、事件が公になった後でも、植草事件と比較して圧倒的に報道の量が少ない。前述した捜査批判を回避するために権力側からの要請を受けていたのだろうか。それとも表に出せない機密事項でも出て来たのだろうか。

 マスコミが沈黙を守っているから、ますます臭うのである。


邪鬼


4.不可解その3(何故立ち去らなかったか?)

 三つ目の特異な点は、高橋容疑者が高級時計を盗んでいながら、その後も悠々と風呂に入り続けていたことである。犯罪心理からは、直ぐに現場を立ち去るのが普通ではないか。それに犯行動機も考えてみれば不思議である。高級時計をどんな人が持っているのかなど、いい大人がそんなことで時計を盗むのか。

 実は、高橋容疑者が警察に供述したとされる犯行動機が不可解なことから、自分が何をしたのか分からないまま、万引きなどの犯罪をしてしまう「ピック病」の疑いが持たれているというのである。


5.怖いピック病

 ピック病は怖い病気である。若年性認知症の一種(働き盛りの40歳~60歳に発症)なのだが、「何かをした後で、そのことに気付く」と云うのが特徴である。

 妻子のある公務員のAさん(五〇歳)が帰宅途中にコンビニに立ち寄ると事件が起こった。何も覚えていないのに万引きをしたというのだ。それも別に欲しかったものではなく、無意識の内に盗んでしまったのだという。勤務先の役所からは公務員にあるまじき行為ということで解雇されている。こりゃ、怖いわ。ピック病で社会的地位を失う人が多いというのは、どうやら本当である。

 ピック病の典型的な症状は、「散歩・食事などを、毎日同じ時刻に行うようになる(同じことを繰り返す)」「場違いの行動をする」「怒りっぽくなる」というものだ。

 この病気が進行すると、記憶障害や失語症などの神経症状が現れ、最後は重度の認知症に陥る。器質的障害は、脳の前頭葉から側頭葉にかけての部位が委縮することである。残念ながら、現在のところ有効な治療法は見付かっていない。

 どうやら高橋教授の真相はピック病である可能性も否定できないようだ。4月20日付けで東京地検は「被害品は直ぐに戻され、社会的制裁も受けている」として起訴猶予処分としたが、東洋大学は同日付で懲戒免職とした。

 万引で社会的地位を失うのか、ピック病と診断されて療養生活に入るのか。ピック病とは怖い病気である(この項終り)。


ハブとマングース

 少々鼻に付いてきた。連日の小沢幹事長報道である。


小沢一郎事件


 天下の暴論を云う。

 小沢幹事長は確かに胡散臭いが、検察も輪を掛けて胡散臭い。

 おいらの見立てでは、小沢幹事長がハブで検察がマングースだと思っていたのだが、このマングース、昨日の日刊ゲンダイによれば、

 佐久間特捜部長は、

1.彼が主任検事だった長銀事件は、全員無罪

2.副部長として手掛けた佐藤栄佐久福島県知事の贈収賄事件でも無罪

3.特捜部長として挑んだ西松建設事件でも検察側証人が証言を翻す

 などと、3連敗らしい。

 おいおい、これって、どういうこと?


 暴論を云う。今の世の閉塞感を生みだした元凶は、官僚支配(官僚利権)にあるのではないのか。

 その官僚の頂点が検察であるとすれば、敵(検察)の敵(小沢幹事長)は味方ではないのか。

 佐藤優氏の意見を是非とも聞いてみたいものである。


名記者会見

 これまでおいらが一番気に入っている名会見は、雪印だったと思うが、社長が「私は寝ていなんだよ」と居直ったあれである。


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 絵に描いたような悪代官である。

 最近での同じような記者会見は、あのメイク議員である。ここまで書いただけでおいらの品性まで悪くなるよう気がするので、今日は短くやめる。

 記者会見で云わなければならないことは、二つである。

 なぜ会見をするかという背後の説明と、会見をしている自分が今後何をするかというだけである。

 後は不要。言い訳など論外である。

 だから、メイク議員の場合は、「スジを通して」自ら辞めるという選択を示せば良かったのである。それが会見の本質である。

 辞めていればまだ道は開けたが、無所属で議員を続けたとしても誰も支援をすることはない。あれでは、一生を棒に振ったも同じである。もう政治はできない。

 ああいうのを醜悪と云うのである。それだけである。



云って良いことと悪いこと

 ときどき教養人の箴言を思い出すことがある。


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 そのうちの一つが「云って良いことと悪いことがある」である。

 何を今更、と思われるかもしれないが、吉行淳之介が北杜夫のことについて同じニュアンスで、「酔っ払ってしまうと正論を云ってしまう」と評していたことを思い出す(表現が異なっているかも知れないので、その場合はご容赦あれ)。

 つまり、大の大人にもかかわらず、正しいことは「云って良いことと悪いこと」のルールから外れて、正しいから云っても良いと思う人がいるのである。

 これを一言でいえば、正論を云うのは野暮なのである。しかも、正論は時には毒になる。相手に対するデリカシーが必要なときもある。片親の子供に向かって、片親と叫んでどうするのだということと同じである。

「強くなければ生きていけない。やさしくなければ生きている資格がない」

 だが、正論は一面において正しいからやっかいである。

 何が云いたいかと云うと、一番困ることは「正論だから許される、正義なら何をやっても許される」という考え方である。

 特に権力サイドが正論や正義を云い始めたときは気を付けたほうがよい。

 国民を守るためだとか、領土を守るためだとか一見、正論や正義と思われる主張が政府によって声高に喧伝されたときである。

 そういうときの正論や正義にはろくなものがない。戦前の日本は、正論と正義ばかりを振りかざして「正義のため」の戦争に突入したのである。

 当たり前だが、戦争に正義のためのものなどあるわけがない。何のことはない、当時の日本人は皆バカになっていたのである。

 さて、今の政府がやろうとしていることは正論と正義のオンパレードである。

 正論とか正義などはこの世にはないと思うしかないが、正論と正義を盾にして権力が多数決を通してしまうことは民主主義の破壊である。

 しかし、民主主義とはかように元々もろいものなのである。愚かな民は愚かな政治家を選んでいたのである。

 民主主義のもろさのツケである。

 いやな世の中になろうとしているような気がするなぁ。



猿の惑星

 昨日のおいらは休みだったので、テレビで一日中、国会中継を観戦していた。


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 観戦とは、安保法制案についての与党対野党の攻防である。

 感想。

 猿の惑星である。

 特に、あの強行採決はいただけない(鴻池委員長は強行採決ではないと云い張っておられるようだが、そのこと自体が猿の惑星である)。

 固有名詞を出して申し訳ないが、韓国や台湾などで放映される国会の映像と同じである。

 国会のレベルは、そのまま民度を表す。だから、そういう国はB級国家と云われても仕方がない。

 しかし、昨日の我が国の国会の有様は何だろう。

 冗談じゃないよ、日本は立派なB級国家じゃないか。いや、猿の惑星である。

 なんだかな~。本日はこれ以上、云う気が起こらない。



本日から来週の水曜日まではお休み

 本日から来週の水曜日までは休日につき、お休みです。


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 写真上は、エゴン・シーレ。

 本日は、いわゆる「戦争法案」可決の日として日本の歴史に残る日になりました。西暦2015年9月19日。

 その意義を一言でいえば、本日から、パラダイムが変わったのです。

 日本国の軍隊に対する考え方の根幹が180度、変わったからです。いよいよ、わが国は欧州先進国やカナダなどと同様に軍隊の海外派遣を行う国になりました。

 おいらは、昨日までは外人に「日本には憲法9条があるから」と説明してきましたが、本日からはどうやって説明するのかを考えなければならなくなりました。

 日本は、とうとう一歩を踏み出したようです。しかし、この一歩は重い。


平成27年9月19日(土)


 謎の不良翁 柚木惇 記す



安全保障法の成立

 安倍首相の今回の安全保障法(別名「戦争法」)成立のさせ方は乱暴であった。誰が考えてもやり過ぎだろう。


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 おいらは思うのである。

 そこまでやると云うのは、首相は我々に何かを隠しているのではないだろうか。

 安倍外交の背後には、実は国民に知られては困る何かがあるのではないのか。

 おいらはミステリーファンなので、例えば、中国や北朝鮮などについてのトップシークレットが米国から首相にもたらされているのではないかと勘ぐるのである。そして、その内容は日本がひっくり返るようなものだったりするのである。

 そう考えるとつじつまが合うのだが、おいらの考えすぎだろうか。

 さて、おいらの知る限り、歴代内閣が転覆した理由のほとんどは米国に反旗を翻した内閣ばかりである。

 代表的な例は田中内閣だが、最近では第一次安倍内閣(2006年~7年)がひっくり返った理由も米国から見捨てられたからだと云われている。

 ま、安倍首相もこの春先にワシントンまで出向いて夏には法律を成立させるとコミットしたのであるから、この法案が成立していなかったら安倍内閣もどうなっていたかは分からない。

 そうしてみると、日本はやはり米国の顔色を伺わなければ何もできない国だと分かる。外交とは何かが分かっていない国の悲劇である。

 ところで、このたびの安全保障法の成立について、巷間、この法律は憲法違反だと主張されている。

 恐らく司法の判断を仰いでもそういう結論になる可能性が強いだろう。そうであれば、日本は三権分立なので司法の出番である。さて、良識が勝つかどうか。

 最後に、9月19日未明の参院本会議での戦争法案の議決では、福山哲郎民主党幹事長代理の演説が秀逸であった。

 おいらは朝の3時過ぎまでテレビに噛りついていた。歴史的瞬間を自分の眼で確かめるためである。

 その本会議では持ち時間を15分に制限すると云う前代未聞の与党のやり方にあきれてしまったが、それにも負けず福山哲郎氏は朗々と自分の意見を陳述したのである。ここ十年の政治家の中で最高の演説であったと評したい。この演説の前では、米議会での安倍首相の演説などは霞むほどである。

 また、NHKが国会中継の後に放送した「時論公論」では解説者の二人が堂々とこの法律についての問題点を指摘していた。あっぱれである。おいらはこの二人が今後「ほされる」のではないかと心配したほどである。

 まだ、日本はまともである。


封建主義とは(佐倉の武家屋敷で考えたこと)

 佐倉(千葉県佐倉市)は何もないところだと述べたが、実は由来のある街である。


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 佐倉藩の城下町と日清戦争での旅順攻防に従軍した歩兵第2連隊で有名である。つまり、武士の街だったのである。

 だから、江戸幕府を囲む佐倉藩と川越藩はともに城下町として栄えたが、川越は観光の波に乗ったのに対し、佐倉は質実剛健、歴博と川村美術館しか目立っていないのである。

 さて、おいらは佐倉見物で欠かすことのできない武家屋敷を訪問した。

 関東地方では最大級の武家屋敷群であり、佐倉に数多く残る武家屋敷のうち5棟が保存されている(うち、3棟が公開中)。

 佐倉駅(JR)から徒歩20分程度(ゆっくり歩きで)旧佐倉藩武家町に着いた。

 城下町だけあって、武家屋敷は城から近い。土塁と生垣の通りに面して、「旧河原家住宅」(千葉県指定文化財)、「旧但馬家住宅」(佐倉市指定文化財)、「旧武居家住宅」の3棟に入る(入場料210円)。


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 ここで興味深かったのは、現存する屋敷の武士の禄高が少しずつ異なっていたことである。

 おいらはほぼ同年齢のボランティアのガイドさんに説明を聴きながら、封建制の厳しさをひしひしと感じたのである。

 それは、例えば、門構えは禄高に応じてサイズが決まっており、部下は上司(例えば家老)の門よりも大きな門を建ててはならないという決まりである。

 畳であっても、おいらたちは畳に縁(へり)があるのは当たり前と思っているが、武士であっても一定の身分以上にならないと縁を付けてはならなかったのである。

 これはもう生まれたときから決まっていたのである。だから、佐倉藩最後の藩主であった堀田正倫が建てた「旧堀田邸」の門構えや玄関棟などの素晴らしさを観ると、封建制のヒエラルキーの凄みに驚かされるのである(家来は藩主以上の家を建ててはならない)。

 そうなると封建制の下では、そもそも身分を超えて何かをするという発想がなくなるのである。スタティックな世界なのである。江戸時代が続いた200年以上、その間はひたすらスタティックの中に美を見出すしかなかったのである。

 何が云いたいのか。

 江戸時代は何もかも身分によって現状が決まる世界だったのである。身も蓋もない言い方をすれば、究極の現状維持である。現状維持とは言葉を変えれば未来は今と同じだから、自分の将来は生まれたときから変わらない。

 だから、自分が何者か、つまり、江戸時代では自分探しをする必要などなかったのである。

 それが封建制である。

 ひるがえって現代は民主主義、自由主義である。自分が何者かは自分が決めなければ誰も決めてはくれないと気付くのである。

 佐倉観光に行くと、こういうことを考えるようになる。


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