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さすらいの天才不良文学中年

富士山の噴火 振袖火事 東日本大震災

富士山は噴火するか

 宝永4年(1707年)、今から丁度300年前、富士山は大噴火した。「宝永の大噴火」である。


Mt.FUJI


 富士山の噴火は過去2,000年で約10回発生しており、その最後が300年前の「宝永の大噴火」だ。

 この噴火は只者ではない。

 歴史上最大の噴火であり、5合目の山腹に新たな火口が現れた。噴出されたマグマは東京ドーム560杯分にのぼり、降灰は山麓で3メートル、遠く離れた横浜であっても10センチほど積もったという。

「宝永の大噴火」の前の噴火は、その約200年(196年)前である。2,000年で約10回噴火が発生しているから、ほぼ200年おきに噴火が発生している勘定になる。それが、直近では、300年間まだ噴火が起きていないのだ。

 さて、「宝永の大噴火」は、噴火発生の49日前に起きた「宝永の大地震」が引き金である。

「宝永の大地震」は、東海、東南海、南海地震が同時に発生した。この大地震によって、地殻のひずみが生じ、地下にあるマグマが押されて噴火に繋がったと考えられている。

 噴火はマグマが溜まれば、外にでる。繰り返すが、既に300年間、噴火はない。マグマは満タンかも知れない。そのマグマは地震が引き金になって、一気に噴出する。

 おいおい、それはないよ。そうだとすると、今度関東大地震が起きた場合、富士山も噴火するって訳?

「何時起きてもおかしくない」とされる関東大地震である。

 しかし、富士山の噴火はこれまで「起きるか起きないか分からない」であった。それが今後「何時起きてもおかしくない」となるのだけは、ご勘弁を願いたい。


振袖火事(明暦の大火)をご存じか(前編)

 本日から3日間は、関ネットワークス「情報の缶詰2009年2月号」所収の「振袖火事(明暦の大火)をご存じ」を掲載します。


 冬は火災の季節である。しかし、振袖火事のことを詳しく知らないことに気付いた。調べてみると興味が尽きない。


振袖火事


1.江戸の三大大火

 江戸の歴史は大火の歴史である。江戸時代の265年のうち、江戸で火元から長さ15町(約1.6キロメートル)以上焼けた大火は96回にも及び(実に三年に一度の大火である)、1週間に一度は必ず小火(ぼや)があったという。

 今も昔も江戸の冬は乾燥しており、北西の風が吹くと直ぐに大火になった。当時は火を消すのではなく(消防ポンプなどない時代である)、破壊消防であったのが大火の理由だ。

 その江戸の三大大火とは、明暦の大火(振袖火事、1657年)、明和の大火(行人坂の火事、1772年)、文化の大火(芝車坂の火事、1806年)であり、最も被害の大きかったのが振袖火事である。

2.振袖火事

 振袖火事は、ロンドン大火、ローマ大火と並ぶ世界三大大火の一つといわれる。振袖火事による被害は、関東大震災、東京大空襲を除き、延焼面積、死者とも日本史上最大であった。実際、振袖火事では江戸城の外堀から内側の市街地は全て焼失している。江戸城の天守閣まで焼失し、今でも天守閣は当時のまま東御苑に城壁の姿を残している。

 記録によると、振袖火事は前年の11月から80日間降雨がなく、明暦3年1月18日は辰の刻(午前8時)から乾(北西)の風が強く吹いていたという。当日未の刻(午後2時)、本郷4丁目の本妙寺より出火し、広がった火の手は湯島天神、神田明神を焼き、その後、浅草、京橋、佃島、深川へと拡大した。

 振袖火事は放火が原因だと云われているが、その理由は、翌日まで続いた大火が鎮火しようという矢先、今度は巳の刻(午前10時)に小石川伝通院表門下、新鷹匠町の大番衆与力の宿所より再び出火、さらに同日申の刻(午後4時)に麹町5丁目の在家より三度目の出火となったからである。

 焼死者は10万8千人と云われ、身元不明の遺体は幕府の手により本所牛島新田で埋葬された。その後、供養のため現在の回向院が設立されている(続く)。


振袖火事(明暦の大火)をご存じか(中編)

3.振袖火事の謂(いわ)れ

 上野の商家、大増屋十右衛門の娘、お菊(麻布の質屋の娘、お梅という説もある)は上野寛永寺への花見のとき、前髪立の寺小姓を見初める。

 当時、不邪淫戒を守る僧侶は美しい寺小姓を置いて寵愛したが、その中でも寛永寺の寺小姓は粒選りであった。小姓は人混みに紛れ、その面影はお菊を虜にしたのである。

 お菊は小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖を誂えてもらい、小姓を想い続けた。


男女の仲


 しかし、恋の病のまま、承応4年(=明暦元年、1655年)1月16日、16歳の若さで亡くなる。両親は憐れみ、お菊の棺桶にその振袖を掛けて葬儀を営んだ。

 棺桶に掛けられた振袖は、持ち込まれた寺の湯灌場の者たちの酒代になるのが当時の通例であった。

 古着屋に売られた振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘、お花の手に渡ったが、そのお花も病気になり、翌明暦2年の同じ日に死亡した。

 振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋、伊勢屋五兵衛の娘、おたつのもとに渡ったが、おたつも同様に明暦3年の同じ日に亡くなった。

 二度目までは気に留めなかった寺の者も三度同じ振袖が棺桶に掛っているのを見て、流石に気味悪くなり、おたつの葬儀に十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦を呼び寄せた。三家は相談し、因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにしたのである。

 和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、折しも突風によって火のついた振袖が宙に舞い上がり、本妙寺の本堂に飛び込んだ。

 火は瞬く間に本堂を焼き、それが燃え広がって、江戸中が大火になったという。

4.幕府陰謀説

 幕府が江戸の都市改造を行うために放火したという説がある。

 当時の江戸は急速な発展で都市機能が限界に達していた。しかし、住民の立ち退き補償などが障害となるため、幕府が大火を起こして江戸市街を焼け野原にし、一気に都市改造を実行しようとしたというものである。

 実際に大火後の江戸は都市改造が行われている。

 しかし、当時の幕府の権限は絶大であり、そんなことをしなくても都市改造は出来たはずである。それに江戸城まで焼失させることはない。下手をすれば、幕府転覆である。この説はあり得ない(続く)。

振袖火事(明暦の大火)をご存じか(後編)


5.本妙寺引受説

 真相はこうだ。実際の火元は、本妙寺に隣接する、老中、阿部忠秋の屋敷であった。

 しかし、老中の屋敷が火元となると幕府の威信が失墜してしまう。そこで、幕府が因果を含めて阿部邸の風下にあった本妙寺に火元を引き受けさせたものである。


執金剛神


 これは、火元であるはずの本妙寺が大火後も取り潰しにあわなかったどころか、その後は大火以前よりも大きな寺となり、さらには大正時代にいたるまで阿部家から毎年多額の供養料が納められていたことなどを論拠としている。

6.何故、寺社が放火されたか

 放火は火炙りの刑とされ、親族や雇い主にも連座が適用された。また、失火であっても火元は罪に問われ、大火の場合は厳罰主義(死刑や流罪)とされた。

 このため、放火は寺社が標的とされることが多かったが、この理由は、寺社からの出火が町奉行ではなく、寺社奉行が捜査責任者であったからだといわれる(寺社奉行の捜査能力は低く、ほとんど逮捕されなかった)。

 さらに、不況期は放火が後を絶たなかった。資材を大量に使用して再建するため、大火後は再建需要で景気が良くなったからである。


 なお、天和2年(1683年)に発生した天和の大火は、別名「お七火事」と呼ばれる。

 この大火により焼き出された本郷の八百屋の娘、お七は檀那寺であった吉祥寺に避難し、そこの寺小姓を慕うようになった。お七はこの小姓に会いたい一心でその後も再三放火事件を起こし、最後は鈴が森刑場で火炙りの刑に処せられた。

 江戸を語るに、火事を抜くことは出来ない。誠に「火事と喧嘩は江戸の華」である(この項終り)。



東日本大地震災害のお見舞い

 謹んで東日本大地震災害のお見舞を申し上げます。

 この度の大震災により被害を受けられた方に心からお見舞い申し上げます。一日も早い復旧をお祈りいたします。


志功1103


 さて、時間の経過とともに、今回の地震災害が阪神淡路大震災をも超え、世界最大級の災害と判明するに至りました。

 マグニチュードが9で太平洋側の広域に渡る災害であり、特に津波による被害が甚大で壊滅的な打撃となっています。また、原発の事故など、これまでの危機管理の予測を超える大問題が噴出することになりました。

 これは、もはや国難と云っても過言ではありません。

 乱時に必要なことは、一国のトップのリーダーシップです。それに我々一人一人の支援が何よりも大切です。国を挙げて被害の復旧に邁進することが急務であると考えます。

 また、この大災害を機に、今後の日本の防災、特に首都圏の防災対策を根幹から考え直す必要があると思われます。

 これに伴い、この大災害が落ち着くまでの少々の期間、おいらのブログをお休みにいたします。

 恐れ入りますが、よろしくお願いします。


平成23年3月14日(月)

 柚木 惇 記す


東日本(東北関東)大震災お見舞

 未曾有の大地震で今なお被災地の避難所にいらっしゃる皆さん、被災地で頑張っておられる皆さん。

 あの大震災から一週間が経過しました。

 インターネットを見ることができないでしょうが、もし、ご覧になられるかも知れないと思い、ブログを再開しました。


志功1102


 こういう状況では、ハードボイルドの精神が重要です。ハードボイルドの精神とは、絶対にあきらめないことです。

 自分でダメだと思ったら、本当にダメになります。どんな状況であっても、生き抜くことと思うのです。

 夜明けの来ない夜はありません。朝は必ずやって来ます。希望を持つことです。心が折れたら終わりです。

 心を強くしてください。タフになってください。

 この国の危機管理は頼りになりません。今の政府やエスタブリッシュメントは、自分のことだけでアップアップのようです。

 政治家は保身の塊りで、役人は省益しか眼中になく、某企業は自己防衛に奔走しているようにしか思えません(東電とJALとがダブるように思えるのはおいらだけでしょうか)。

 しかし、この国の一人一人は、至極まともです。

 おいらはそれが救いだと思うのです。

 だから、心にハードボイルドの精神を持ち続けていれば大丈夫です。自分の身は自分で守るという強い執念を持ち続けてください。

 繰り返します。朝の来ない夜はありません。

 救援物資もピストン輸送で届きます。仮設住宅の建築も始まっています。未来は必ず開けます。だから、今は苦しいかも知れませんが、強い心を持ち続けてください。

 さて、おいらが皆さんを励ます以外に今何ができるかを考えてみましたが、まずはこの地で節電だけでも協力しようと思います。

 心に太陽を。心に希望を。Be hardboiled !


東日本(東北関東)大震災に思う(その1)

 千年に一度の大地震だというのだが、それにしても今回の津波の破壊力には圧倒された。


白モクレン


 過去のNHKスペシャルなどの津波番組で、これまでCGを使った津波の映像を見ていたのだが、建物が破壊されながら津波が進んでいくと云うシ-ンは作られていなかったように思う。

 だから、建物が解体されるような音と土煙を上げながら津波が進んでいく映像には恐怖を覚えた。

 しかも、今回の津波が去った後は、広島の原爆投下後と同様、鉄筋コンクリート造りの建物しか残っていない。戦場とも云える様相である。その光景に茫然とせざるを得ない。


 さて、鎌倉の大仏が奈良の大仏と違って大仏殿に安置されていないのは、過去の地震による津波によって大仏殿が破壊されたからではないかと推測されていたが、今回の津波でどうやら証明されたようだ。海岸から離れていても、津波は容赦なく建物を破壊し尽くすのである。

 また、従来の大型地震による津波被害は、残されている写真が津波の去った後の写真のみであった。瓦礫だけ見せられても津波の恐怖は実感できない。しかし、今回、日本で始めて巨大津波到来の映像が録られたことになる。今後の津波対策に活用して欲しいと心より願う。


 ところで、テレビでは津波が襲ってくるシーンが繰り返し放送されている。受けを狙ってかのように、わざと酷いシーンが中心となる。

 それに対し、ラジオは被害情報を始めとして前向きである。情報は、優先順位に合わせて放送されているように思う。

 こうしてみると、被害にあったときに本当に役に立つのは、ラジオだ。実際、停電になれば、テレビは役にたたない。

 もともとラジオ大好き少年だったので、今でも身近にラジオを置いているのだが、これを機に今一度ラジオを見直してみるのも良いかも知れない。

 それに今回の計画停電である(新聞は「無計画停電」と見出しに書いている。確かに東電のやり方は疑問だらけである)。停電になれば、ラジオしか頼りになるものはない。

 おいらが学生時代、テレビはクールで、ラジオはホットだとマクルーハンが云っていたが、今回はそれを実感することになった。テレビはいざというときに有害の場合もあり得る。


 さて、話題を変える。

 おいらの酒友(学生時代からの信頼できる旧友)N氏から次の様なメールが入った。

「某スーパーで被災地東北の酒をと思い探していたら、日本酒『酔仙』を見つけました。陸前高田市の産です。

 NHKのニュースで津波が押し寄せてきて高台のすぐ下にあった『酔仙』の看板が出ている工場を押し流していく映像が放映されました。『酔仙』の社長もニュースに登場していました。

 初めて呑む銘柄ですが、これが最初で最後にならぬよう祈るばかりです。

 我々呑ん兵衛ができる被災地支援はこんなことでしょうね(抄)」


酔仙


 そうなのだ。おいらたちにできる支援というのは、実は、こういう形かも知れない。

 日本酒『酔仙』を応援しよう。酔仙が復興するためには、一人でも多くの酔仙ファンが必要だと思う。今、東北の酒を呑もう(この項、不定期に続く)。


東日本(東北関東)大震災に思う(その2)

 昨日、震災後のテレビ報道について触れたので、もう少し書く。


桃


 震災後ほぼ1週間は、NHKテレビが総合テレビ、BS1・2、ハイビジョン放送を同一内容とし、教育テレビが安否情報を中心として放送していたのは良かった。

 チャンネルで棲み分けをしていたからである。

 民放も当初の数日間はCM抜きで一日中、震災ニュースを流していた。それぞれの局が報道合戦をしており、それなりの映像が被災地から流されていた。評価すべきだと思う。ただし、どの局も似たり寄ったりであった。

 おいらは思うのだが、こういうときの民放は各社が共同して報道番組を作ることができなかったのだろうか。各局が得意分野で協力し合えば良いのである。

 もしそれができないのであれば、NHKのように各局が役割分担をすれば良いのである。例えば、A局は被災地のみの報道、B局は原発、C局は余震予知や天気予報などに特化するということである。そういう棲み分けも可能だったのではないだろうか、収入源であるCMだって無視していたのだから。

 さて、その民放は震災後数日して通常番組のオンエアーを再開した。

 被災地ではまだ救援物資が行き渡っていないのにおちゃらけ番組のオンパレードである。バラエティ番組を見る気がしないのはおいらだけではないだろう。デリカシーに欠けると思われても仕方がない。

 だからと云う分けでもないが(節電に協力するためでもあるが)、おいらは無意味なテレビ番組を見ないことにする。

 そういう観点から考えれば、今、必要な情報を得る手段はラジオとネットで充分かも知れない(この項続く)。


東日本(東北関東)大震災に思う(その3)

 記憶違いだとご容赦願いたいのだが、地震の当日または翌日、テレビで東電の経営陣が今回の地震と津波を想定外の規模だったと話していたような気がする。

 これにはのけぞった。そうだとすると、あたかも責任回避の発言である。

 通常の火力発電や水力発電ならそれでも良いだろう。しかし、ことは原子力発電である。絶対安全だったのではないか。自然の猛威を計算外とするなら、原発はもういらない。


ぼろ市サボテン


 ところで、今回、驚いたことがもう一つある。

 原発の冷却が水で冷やすということである。何と原始的なことであろうか。本当は、冷却用の薬剤などがあるのではないのか。実際、米軍は用意していたという。

 ヤカンのお湯が熱すぎるときはどうするか。今の時代に急速冷凍できないというのはお粗末極まりない。NASAのスペースシャトル発射のときは発熱を抑えるため、大量の氷の塊を散布しているではないか。

 週刊誌などによれば、米軍の冷却用の薬剤を使用すると原子炉がダメになるので断ったという記事もある。しかし、答えは自明の理である。大切なのは原子炉ではない。人命である。


 だからであろうか、今回の東京消防庁の某隊長の記者会見は素晴らしかったと思う。東京消防庁の注水活動は称賛に値する。

 それに較べて原子力保安院や菅総理の会見での如何に誠意のないことか。

 保安院は何を云っているのか全く分からなかった。彼らは自分の言葉で話してはいけないのだろう。だから、理解するには通訳がいる。

 しかし、もっと酷いのは菅総理である。

 総理は、何故記者の質問から逃げるのだろうか。質問を受けても、何故会見の説明の繰り返ししかできないのだろうか。総理はどうして自分の言葉で話せないのだろうか。

 ここでも、総理に通訳が必要である。

 おいらは怒っている。いつの時代に総理に通訳が必要なのだ。


 かてて加えて、某官房長官の記者会見も、説明してやるという雰囲気が充満している。もう、顔を見たくないのぅ。

 マキャベリの君主論を持ち出すまでもなく、政治家が軽侮されたらお仕舞いである。


 これに反し、東京消防庁の会見は見事であった。人の上に立つリーダーだと思った。自分の言葉で喋っていた。誠意が際立っていた。

 ああいう人が真の英雄というのだろう。東京消防庁に総理と官房長官の両方をやってもらいたい(この項続く)。


東日本(東北関東)大震災に思う(その4)

 今回の大震災で、おいらの心の中にずっと澱(おり)のようなものが溜まっている。


執金剛神


 それが何であるかとずっと考えていたのだが、仏教の根本思想である諸行無常を感じたからだろうか。

 まず、月並みな表現だが、自然の猛威である。人知の及ばない世界を容赦なく見せつけられたのである。人間の思い上がりを見透かされたのである。キリスト教の教えである、この世の終わり(apocalypse:終末)の到来を実感したのである。


 同時に、大地震の発生のメカニズムは自然の摂理、いわば必然と考えられるが、どこでいつ起きるかは偶然である。

 だから、今回の大地震が首都圏で発生していたとしてもおかしくはない。

 つまり、たまたま東北沖が震源地だっただけであって、もしこれが首都圏で起きていたら、おいらが今生きているかどうかも不明であり、その差はいわば紙一重である。

 どこかで書いた記憶があるが、おいらは2年前の9月、某会場にボランティアでいた。詳しい経緯は省くが、舞台の設営を手伝っていたのである。

 おいらは、その作業中に舞台から舞台下の地べたに落ちたのだ。

 落ちた高さは1メートルもなかったように思う。しかし、左脚を踏み外した理由が、あるべきはずの舞台がそこになかったからであり、足許に当然舞台があるものと思ったものだから、おいらの身体は思い切り宙を舞った。

 だから、おいらの躯はバランスを失った方の左半分を下にして、そのままの形で地べたに叩きつけられた。一瞬の出来事である。幸い大事には至らなかったが、左腕の腫れは約1ヶ月間ひかなかった。

 実は、こういう事故は二度目である。もう一回は、おいらが40代に成り立てのころである。JR山手線渋谷駅の構内で、電車車両と駅ホームの間に身体が半分落ちたのである。このときは朝のラッシュで、電車に駆け込んだのがまずかった。足がスリップしてあわや惨事である(結果は、駅員に助けられて無事)。

 このときも一瞬の出来事である。

 では、その瞬間に何を考えていたのか。両者とも共通しており、何も考えなかった。考えるだけの時間がない。それだけの余裕などないのである。

 いや、正確に云うと、「あっ、落ちる」「えっ、何故」と一瞬思っただけである。しかし、それは何かを考えて死ぬのとは根本的に違う。

 ただ、今おいらが生きているからそう思うだけで、そのときに死んでいたら、事実上何も考えないまま死んでいたのと同じだと思うのだ。実際に経験した本人が云っているのだから間違いはない。

 死ぬときは、あっという間なのである。人生とは所詮その程度のものである。

 うつし世は夢、よるの夢こそまこと(乱歩)。(この項続く)


東日本(東北関東)大震災に思う(その5)

 昨日の続きを書く。


愛染明王


 そうであれば、やはり生きている間に死を考えておく必要がある。

 某週刊誌の見出しの記憶によると、医者が一番死にたい病名はガンだという。

 中身を読んでいないので軽率に云うことはできないが、今の時代、ガンで死ぬのが一番幸福かも知れない。ガンだと確実に死ぬことができるからである。長患(ながわずら)いで寝たきりとなることがない。介護で周りに迷惑をかけることもない。だから、ピンピンコロリに準じる死に方である。

 しかも、ピンピンコロリにはない、死ぬまでの間に自分の人生を振り返ることが可能である。

 三島由紀夫はガンで死ぬことを恐れていたが、それは彼が終生「死に場所」を求めていたからである。

「死に場所」、我々の時代には死語になった言葉だ。戦前までの日本人は死に場所を求めて生きていたから、潔い生き方が出来ていたのだと思う。

 戦前まで、日本人にとって死は身近なものであった。だから、立派な生き方とは立派な死に方と同義だったのである。

 しかし、今や延命治療によって、立派な死に方など無くなってしまったのである。現代人は、死に方を忘れ(死に場所の意味も分からず)、生き方まで忘れてしまったのである。

 良く死ぬとは、良く生きることである。

 だから、良く生きることは、良く死ぬことでもある。

 人間、どうせ一度は死ぬのだ。死ぬときには、そういうことを噛みしめながら死んでいきたい(この項続く)。


東日本(東北関東)大震災に思う(その6)

 ここで、外資の強欲資本主義にも触れておかなければならない。


邪鬼


 日本政府は「ゆるふん」を見透かされており、為替と株は外資の餌食である。あろうことか、円は先だって史上最高値をつけてしまった。

 外資は、儲かるためなら震災でも何でも利用する。

 金融の世界に足を突っ込んでいた身でありながら、弱肉強食の世界に「今更、何を甘いことを」と云われればそれまでである。

 だが、そういう資本主義が今後も長く続くとは思えない。

 ただ、今回の唯一の救いは、投機的な円高に対して各国が協調介入に同意したことである。

 日銀や財務省にとっては嬉しい誤算のようだが、まだ、各国の金融首脳にも見所があることが分かった。モデラートな資本主義、過度でない資本主義を理想とするおいらには一縷の光明である。


 さて、震災への今後の復興ビジョンである。

 少し早いかも知れないが、おいらのアイデアは、仙台近郊または福島近郊に首都機能を移転するというものである。ワシントンはニューヨークの南だが、仙台と福島は東京の北で、距離的には日本の方が近い。

 特に福島原発近郊に首都機能が移転すれば、原発対策も完備したということの証にもなる。

 もちろんグリーンシティとして、東日本の太平洋岸は環境に配備した都市造りとする。それに今回の被災者にはタダで高層住居を提供するのである。

 おいらの持論である、首都圏一極集中の問題も解決できるというものである。

 あながち荒唐無稽とも云えないと思うのだが、如何だろうか。



 ところで、おいらもここいらで自分の心に区切りを付けなければならない。

 浮世に戻ろう。数日間はお休みをいただいて、その後、おいらのブログを再開する予定である(この項終り)。


大地震は再び来るか

 一部の間では、先週の金曜日に大地震が再来するとのことで(8月12日大地震説)、騒動になったらしい。


警告


 無論、デマだった訳であるが、怖いのは小さな余震が連日続いているにもかかわらず、その地震に不感症になっていることである。

 ちょっとした地震など、テレビでもほとんど無視されているような気がするのはおいらだけだろうか。

 そこで、先日、訪問した神社での警告(写真上)。

 怖いねぇ。

 それとはまったく関係ないのだが、おいらは最近エレベーターを極力使わなくなった。

 このブログでも書き込んだ記憶があるが、首都圏で地震が起きた場合、エレベーターは問答無用で止まるのだそうだ。そして、あまりにもストップするエレベーターの数が多すぎるため、救助は直ぐにはできないのだそうである。

 つまり、地震=>エレベーター自動ストップ=>エレベーターの中に缶詰という図式らしい。しかも、助けが来ない。旧建設省の要職の人に聞いたのだから、間違いない。

 この暑さの中で半日も缶詰になったら、パチンコ屋の駐車場の車内に放置された幼児と同じである。節電でクーラーが聞いていない訳だから、炎熱地獄だろう。熱中症となり、まず一巻の終わりである。

 よって、現在の勤務先は中層ビルの7階なのだが、それ位なら歩いて上がるのも洒落だと思って、実行している。やれやれ。

 世の中は地獄の上の花見かな


首都圏に地震は来るのか

 先週、首都圏で体がやばいと感じる地震を経験した。


邪鬼


 政府(東大地震研究所)が首都圏に大地震が発生する確率が4年以内に70%と発表したものだから、ちょっとでも揺れると遂に来たかと思うほどである。

 しかし、これも週刊新潮によれば与太情報であり、東日本大震災の余震をデータに取り入れて今後の地震発生確率を出したものだから、必然的にああ云う結果になった訳で、そもそも前提が誤りだとこの地震予知はボロクソにけなされている。

 現時点の科学で分かっていることは「地震予知は不可能だ」ということだけである。

 そうだとすれば、日本が地震の活動期に入ったと必要以上に怯えることもないし、地震とセットと云われる最近の火山活動に対しても心配することはないのかとも思う。

 ただねぇ、おいらたちが子供の頃、一番覚えているアフォリズムは寺田寅彦の「天災は忘れたころにやって来る」だ。

 だから、仕事で都心に行くときは憂鬱である。地下鉄に乗っているときだけは地震に遭遇したくないと思う。その昔、ネズミ捕りで捕獲した檻の中のネズミは水に浸けて殺したものだが、恐らく地下鉄は水浸しになるだろう。因果応報。

 さて、首都圏で大地震が起きた場合は帰宅難民だらけになる。そのときに考えるべきことは、一にも二にも自分の命を優先させることである。会社に留まった方が良いのか、避難所に向かった方が良いのか、火災は発生していないのか、津波は来るのか。

 こういうことの咄嗟の判断を行政に頼っているとロクなことはない。自己責任である。命を守るのは結局自分自身でしかない。



電車に乗っているときの地震

 先週の土曜日のことである。


DSC04843.JPG


 夕方の午後5時59分。

 おいらは所要があって横浜駅を終着駅とする私鉄電車に乗っていたのである。丁度その時間、電車は横浜駅の隣の某駅に入り停車していた瞬間であった。

 おいらの座っている椅子が妙に揺れるのである。

 最初は何が何だか分からなかったのだが、この駅はよくバウンドするのだなぁと思ったのである。しかも、その時間が長い。1分間程度はそのバウンドに従って電車の長椅子が揺れるものだから、座っているおいらは前後に揺すられる格好となったのである。

 それでも、珍しい駅だなぁ、と位にしか思わなかったのである。

 だから、電車は直ぐに発車するだろうと、おいらは読んでいた文庫本(これが団鬼六の「大切腹」(新潮文庫「檸檬夫人」所収))から目を離さなかったのである。何せ、幕末の堺事件を扱ったこの歴史小説が滅法面白い。だって、団鬼六だよ。

 しかし、電車は一向に発車しない。

 暫くすると、「只今この電車が地震を感知しましたので、沿線の状態を確認するため、様子を見ることにします」という趣旨の車内放送があったのである。

 ひえ~。地震だったのじゃ~。

 車に乗っているときに地震があっても気付かないと良く云うが、電車のときもスプリングが良く効く電車だなぁという感じでしかなかった。いやぁ、アブナイわぁ。おいらの危機管理能力はゼロである。

 幸い横浜の震度は4で大事には至らなかったが(電車はその後安全確認をし、間もなく発車した)、大地震の場合の電車は脱線していてもおかしくはないのである。

 電車に乗っているときの地震、心しておいた方が良さそうである。



そうだったのか関東大震災(前篇)

 本日より三日間、関ネットワークス「情報の缶詰」(2013年7月号)に掲載した「そうだったのか関東大震災」をおおくりします。


「そうだったのか関東大震災」

 南海トラフ大地震がマスコミを賑わしている。実際に南海トラフ大地震が発生したら日本は終わりになる可能性が高いが、その前に首都圏を襲う大地震は来ないのだろうか。

 ノンフィクションを書かせたらそこまで書くかと云う鬼才、吉村昭の「関東大震災」を読んでみた。驚いたのは、おいらがまるで関東大震災のことを知らなかったことだ。


関東大震災.jpg


 そこで、今回は「そうだったのか関東大震災」をお送りする。


1.群発地震

 関東大震災は大正12年9月1日に発生している。しかし、ある日突然地震が起きた訳ではない。それまでも群発地震が発生していたのである。

 まず、大正3年1月には桜島大噴火に伴う「鹿児島大地震」、同年4月には「秋田大地震」が発生している。

 大正4年11月の大正天皇即位式の翌々日には千葉県九十九里を震源とする強い地震が東京を襲っている。この年は安政の大地震から丁度60年後に当たっていたのである。

 当時も大地震60年周期説が唱えられており、しかも、この年の地震の余震は65回という異常に多いものだったため、東京市民の不安は増大していた。

 東京に大地震が来るのではないかと云う心配である。関東大震災が起きるわずか8年前のことであった。


2.大森説対今村説

 当時、地震学者の意見は対立していた。地震学会の第一人者は東大の大森理学博士であったが、彼は長く続く余震が大地震の前兆とみるべきかどうか悩んでいた。関東大震災の予兆だと発表することの社会的な影響を恐れていたのである。

 これに対し、博士の部下であった今村助教授は

「江戸の大地震は慶安2年、元禄16年、安政2年の3回であり、平均百年に1回の割合で発生している。安政の大地震後既に相当年数経過しているので、今後大地震の可能性がある」

 と論文を発表していた。

 しかし、事態は思わぬ方向に発展する。この論文を真に受けた東京二六新聞が今村助教授の地震可能性を掲載したため、大騒ぎになったのである。

 そこで火消に走ったのが大森博士であった。

「東京に地震が起きるのは数百年に一度で心配はない」

 と今村助教授を叱責したのである。そうこうしているうちに余震は収まり、東京市民は地震のことなど嘘のように忘れていったのである(この項続く)。


そうだったのか関東大震災(中篇)

3.震源は相模湾

 大正12年9月1日は蒸し暑い日であった。その日の東京の空は雲に覆われ、午前10時までは驟雨のところもあった。

 正午近くになったので、各家庭では竈や七輪に火を入れて昼食の支度を始め、飲食店も昼の稼ぎ時が始まったばかりであった。

 午前11時58分44秒、東京市内に設置されていた中央気象台と本郷の東大地震計が突然生き物のように動き始めた。15秒後には観測室に置かれていた地震計の針が一本残らず飛び散り、全ての地震計が破壊されてしまったのである。

 関東大震災は直下型の地震というイメージが強いので、東京の地下に震源があったと思いがちだが、震源は相模湾の海底であった。したがって、関東大震災の被害は最初、神奈川県に集中し、鎌倉から小田原までは壊滅状態となった(写真は鎌倉鶴岡八幡宮、鎌倉大町)。


鎌倉鶴岡八幡宮」.jpg


鎌倉大町.jpg


 藤沢の吉村別邸では東久邇宮(ひがしくにのみや)師正王殿下が、鎌倉の由比ヶ浜別邸では山階宮(やましなのみや)紀がそれぞれ圧死されている。

 津波の被害も甚大であった。伊東では12メートル、剣ヶ崎で6メートル、鎌倉でも3メートルの記録が残っている。

 関東大震災は10分近い激震の後、静まるまで1時間20分もかかる長い地震であった(写真は銀座)。


銀座.jpg


 激震地は関東のほか静岡、山梨、茨城までおよび、地震のあった地域は北海道と九州を除く、日本全域という大地震であった。


4.死者20万人

 東京市で最も悲惨だったのは本所区横網町にあった被服廠(ひふくしょう)跡である。陸軍省被服廠の建物があった広大な場所(2万430坪)で、絶好の避難所であった。

 地元の警察も避難を誘導し、多くの人が大八車に乗せられた家財道具とともにあふれかえったのである。誰もがそこに避難して安心しきっていた。

 だが、地震とともに発生した火災が四方から襲い、燃えやすい家財に引火した。

 その後、火災旋風(大竜巻)が発生し、この旋風によって家財ともどもほとんどの人が例外なく空中に飛ばされたのである。阿鼻叫喚の中、推定3万8千名が焼死するという大惨事であった(1坪に2名の遺体が折り重なった。写真)。


本所横網 被服廠跡 9月4日.jpg


 関東大震災による東京市内の半数以上はこの被服廠で亡くなっている(この項続く)。


そうだったのか関東大震災(後篇)

5.人心の錯乱

 しかし、関東大震災で一番怖かったのは、情報の途絶から来る人心の錯乱であった。

 東京の中心部にあった新聞社は壊滅していた。ラジオ放送もなく、無線や電話も機能しなくなった。鉄道も不通である。

 そのため、自分たちの地域の被害状況はもとより、周辺地域の被害状況まで全く分からなかったのである(日本全国が地震で壊滅したと思った人までいる)(写真は、上から「大蔵省跡」、「新橋」、「神田より九段方面を望む」)。


大蔵省跡.jpg


新橋.jpg


神田より九段方面.jpg


 地方のマスコミ対応もおそまつで、福岡日日新聞などは「駿遠地方稀有の大地震」と報じている。

 それだけならまだ良い。余震が続いたので、再び大地震が来るという噂(富士山が爆発するもあった)は住民を恐怖のどん底に陥れた。

 さらに、関東大震災特有の人心の錯乱は、朝鮮人が地震にかこつけて来襲するという流言飛語であった。

 関東一円で自警団が設けられ、竹槍で武装した集団は事実上のリンチ集団と化し(警察以上の攻撃力を持つまでになった)、罪のない朝鮮人2,600名以上を殺戮したのである。

 また、今では信じられないことだが、地震にかこつけて大規模の集団泥棒が発生している。


6.震災の後

 震災の規模が大きく、一時は無政府状態になったため、遺体の処理ができないことはもとより、下水道のない時代であったために排泄物は東京市内を埋め尽くした。

 風呂も長期間入れず、畢竟、伝染病が蔓延した。また、物資は極端に不足し、売り惜しみも手伝って物価は高騰した。


7.そうだったのか関東大震災

 こうしてみると、実は現在も当時と同じではないかという危惧を感じるのである。

 もし首都圏に大地震が起こったら、命があるだけまだマシということか(この項終わり)。


最近、地震が多くないか

 最近、地震が多くないか。


関東大震災.jpg


 横浜に住んでいる。気のせいなら良いのだが、この1か月間、地震が多いと感ずる。

 先週も震度4を観測したばかりだ。しかも、余震のような小さな揺れも続く。おいらの寓居は木造だから、揺れが増幅されるのだろう。

 今週発売の週刊誌(「週刊ポスト」13年11月29日号)が「地震がくるぞという特集」がはずれた特集をしていたが、この手の類のものは、皆、オオカミ少年である。

 しかし、南海トラフ地震を始めとして大地震がいずれ発生することは誰でも分かっていることである。いつ来るかが分からないだけだ。

 曾野綾子女史ではないが、結局、自分のことを守るのは自分しかない。行政や他人に守って貰おうと思っているお人好しにはなりたくない。最低限の防災グッズの見直しを今一度しておくしかなかろう。

 だがねぇ、地下鉄に乗っているときだけは地震が来て欲しくないのぅ。東京の地下鉄は水浸しになる恐れがあり、そうなったら金網に捕えられたネズミと一緒である。溺れ死ぬしかない。

 仕事もあって都心に出なければならないのだが、極力地下鉄には乗らないようにするしかない。無力じゃのぅ。


深海魚の水揚げは大地震の予兆か

 今週の始めに首都圏で震度4の地震があった。


ダイオウイカ.jpg


 先々週も地震があった。震度4だったが(ただし、千代田区は震度5弱)、拙宅の書斎の本の山が崩れ、歌麿の「上品の女房」を入れた額も落ちてきた。

 そこで、思ったのがダイオウイカの話しである。

 ダイオウイカは昨年初めて国営放送で紹介されたイカである。それまでほとんどの人が知らなかったはずである。その深海生物が今年に入り日本海側を中心に数多く水揚げされているというのだ。

 何のこっちゃ。

 これって、巨大地震の前触れ? 富士山の噴火の予兆?

 深海魚の水揚げはダイオウイカだけではない。九州ではリュウグウノツカイが、新潟県などではサケガシラと見慣れない深海魚が次々と水揚げされているというのだ。

 地球物理学者の島村英紀武蔵野学院大特任教授によれば、仮説を前提にしながらも、ダイオウイカなどの深海生物には高性能なセンサーが備わっており、地震の前の地底などでの電流の変化を何かしら感じた可能性もあるとしている。

 う~む、いやだなぁ。

 しかし、世界で初めてダイオウイカの動画撮影に成功した国立科学博物館の窪寺恒己さんは違う見立てである。

 彼によれば、ダイオウイカの適水温は6~10度であり、今冬の日本海は例年に比べ2度ほど低かったため、ダイオウイカが冷たい海水を避けて表層に近づいたところ日本海の北西風に流され、列島近くまで漂着したことが考えられるという。

 ま、こういうことは学者が10人いれば10の説があるから、質(たち)が悪い。分かっていることは、ただ一つ。天災は忘れたころにやって来る。


大飯原発再稼働の是非

 今月21日、福井地裁は大飯原発の再稼働を認めなかった。


DSC04477.JPG


 地震対策に欠陥があるため認めない、という判決である。

 これについておいらが思ったことは、福島原発で実際に事故が起こったことである。

 マンガ「美味しんぼ」でいろいろと議論されているが、昨年、現地に行って分かったことは、おいらも少なからず被曝しただろうということである。

 それとこれが重要なのだが、あれから3年以上経っているのに未だに常磐線が全線開通されていないということである。

 だから、大飯原発に事故が発生すると、東海道新幹線は名古屋から岡山まで不通となる。名神高速もストップする。日本は東と西とで分断される恐れがある。

 また、静岡(御前崎)にある浜岡原発が事故を起こした場合は、東海道新幹線と東名高速が使えなくなる。東京と大阪を結ぶ物流の大動脈がストップすれば、日本経済は沈没である。

 最近、不気味な地震が続いているが、国も今後30年間のうちに7割近い確率で南海トラフ地震が発生する可能性があるとしているではないか。

 この問題は、原発の近隣の住民だけの問題ではない。おいらはやはり脱原発を考えざるを得ない。

 世の中は 地獄の上の 花見かな (一茶)



「地震はいやだなぁ」と14日(日)までお休み

 明日(16年2月)11日(木)は、旧紀元節で休日です。


引き札 岩戸.jpg


 よって、12日(金)が飛び石連休ということで申し訳ありませんが、14日(日)までお休みをいただきます(15日(月)より再開予定)。


 さて、この連休に考えておきたいことに、最近の群発地震があります。

 思い出してみれば、関東大震災もある日突然地震が起きた訳ではありません。

 それまでも群発地震が発生していたのです。

 大正12年に起きた関東大地震発生の前には桜島が大噴火し、鹿児島大地震が発生しています(大正3年)。その後、秋田大地震も発生しているのです(同年)。

 大正4年の大正天皇即位式の翌々日には、千葉の九十九里を震源とする強い地震が東京を襲っています。しかも、この年の余震は65回という異常に多いものでした。

これを現在に引き直してみると、5年前に東日本大震災が発生しました。

 その後、全国いたるところで火山活動が活発化し、今年再び桜島が噴火しました。ここ数週間、首都圏でも地震が頻発に起きています。

 どうも嫌な予感がするなぁ。

 冷静に考えますと、首都圏に大地震が発生すると円と株は大暴落です。

 しかも、(前にも書きましたが)静岡の浜岡原発が地震によって放射能が漏れることになった場合は、東海道新幹線と東名高速は使えなくなります。

 東京と大阪を結ぶ物流の大動脈がストップすれば、日本は東と西とで二つに分断されることになります。日本経済は構造的に沈没し、復興までの道筋はほとんど読めなくなるでせう。

 おいらに資産があるわけではないのですが、それでもその防衛手段を考えておかないといけないことになるのでせうか。

 やな世の中になりそうですねぇ。





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