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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

日本作家ベスト10 村上龍

つるぎかずをの「日本作家ベスト10」

 おいらのベスト10シリーズを続ける。今回は「つるぎかずをの日本作家 勝手にベスト10」である。近代以降の日本作家のベスト10を、50音順に公表してみよう(()内はおいらの好きな作品。写真は拙宅の書斎)。


書斎


◆芥川龍之介(地獄変)
◆車谷長吉(漂流物)
◆幸田露伴(五重塔)
◆太宰治(人間失格)
◆谷崎潤一郎(痴人の愛)
◆永井荷風(墨東綺譚)
◆夏目漱石(明暗)
◆三島由紀夫(仮面の告白)
◆森鴎外(雁)
◆吉行淳之介(砂の上の植物群)

 以上のうちで、太宰、荷風、吉行はそれぞれ全集で読んだ。また、車谷は全作品、芥川、三島、漱石はほぼ読破している。現存者は車谷氏一人であるが、氏はそれだけの力量を持つ作家である。

 惜しくもベスト10入りはしないが、
◆安部公房(砂の女)
◆江戸川乱歩(陰獣)
◆大江健三郎(同時代ゲーム)
◆川端康成(山の音)
◆北杜夫(楡家の人々)
◆桐野夏生(水の眠り 灰の夢)
◆高村薫(レディージョーカー)
◆原 寮(そして夜は甦る)
◆深沢七郎(楢山節考)
◆村上春樹(国境の南、太陽の西)
◆村上龍(半島を出よ)
もはずせない。

圏外として、開高健、坂口安吾、中上健次、丸谷才一、山田風太郎(50音順)を選んだ。

 では、ベスト3である。これだけの作家からのベスト3は不可能に近い。したがって、おいらの好きな順にする。好きな順だと文句も出まい。
1.吉行淳之介(生と性の暗さを繊細に凝縮)
2.太宰治(天性の人たらし)
3.車谷長吉(文学に毒をもたらした功績大)
である。げに、車谷長吉、恐るべし。



祝アクセス数、200,000突破

 12月10日(金)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき20万を突破しました。栄えある20万達成者は、「**.ocn.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 20万突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。

 おいらがブログを開設して以来、延べ20万人の方々からアクセスしていただいたことになります。やはり、20万という大台突破は嬉しゅうございます。本当に有難うございます。


車谷長吉


 お礼に、おいらのコレクションから、秘蔵中の秘蔵である「車谷長吉氏自筆色紙『くつわ虫 闇の出口で 息をする』(2010年)」をお披露目します。

 実は、おいらは車谷長吉氏の「世界一周恐怖航海記」(2006年、文藝春秋)の中で、登場者の友達として掲載されているのです。

 その車谷長吉氏自身から登場者(この人もおいらが大好きな人です)を介して、今年、この揮毫をいただいたものです。いやぁ、有難いのぅ~。

 なお、この色紙で特筆すべきは、くつわ虫のくつわという文字が洒落で戀のような文字にされていることです(本来の字は「言」の部分が「車」)。まことに趣があって宜しいものです。

 今や、この色紙はおいらの宝物です。車谷長吉先生、本当に有難うございました。


 次回は、30万アクセスの第一歩として、まずは21万アクセスを目指して精進いたします。これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2010年12月17日(金)


 謎の不良中年 柚木 惇 記




第9回「さすらいのカンチョーマン大賞」

 今年度の「さすらいのカンチョーマン大賞(おいらが勝手に作った、その年に最高に面白い本。97年度創設。商品賞金なし。単においらに褒められるという名誉賞)」を堂々発表する。

 まず、これまでの「さすらいのカンチョーマン大賞」を振り返ってみると、

97年度第1回大賞 高村薫「レディジョーカー」(毎日新聞社)最後まで読ませる。もはやこれは純文学である。

98年度第2回大賞 佐野真一「カリスマ」(新潮社)中内功の虚像をえぐる大作。中内氏と同時代に生きたことに感謝せざるを得ない。

99年度第3回大賞 山崎豊子「沈まぬ太陽」(新潮社)日航の腐敗、ここに極まれり。

00年度第4回大賞 吉川潮「浮かれ三亀松」(新潮社)都都逸の三亀松の伝記。三亀松は最高。こういう隠れたる好著を発見する喜びがある。

01年度第5回大賞 車谷長吉「文士の魂」(新潮社)氏の56才のときの秀逸な小説読本。読むしかない。

02年度第6回大賞 末延芳晴「荷風とニューヨーク」(青土社)荷風、ニューヨークとも今でもわたしのこころのふるさとである。

03年度第7回大賞 吉行淳之介「海の百合、改題し無題」(全集未発表の生原稿)左眼の手術で入院中、上野の古本屋の目録で知る。物好きだが、ゲット。額装して、今や我が家の家宝

04年度第8回大賞 原 僚「愚か者死すべし」(早川書房)9年振りに伝説の沢崎が新シリーズでカム・バック。著者本人にサインしていただく。

 さて、それでは、今年の第9回大賞を発表する。2005年度の「さすらいのカンチョーマン大賞」は、ジャジャ~ン、堂々、


国家の罠


佐藤優「国家の罠」(新潮社)に決定した。

 ちなみに今年度の候補作(著者五十音順)は、次のとおり6作品。

荒木経惟「青の時代、去年の夏」(アートン)被写体はシャッターで死に、写真で生き返る。彼はやはり天才だ。

鹿島茂「甦る昭和脇役名画館」(講談社)間違いなく快作。一冊まるまるおいらの宝物

小菅麻起子「寺山修司青春書簡」(二玄社)寺山が中学生のときの女先生に宛てた直筆の全書簡集。解説不要の身震い本

佐藤優「国家の罠」(新潮社)異能者は存在する。2回、読み返した。異能者の思想が異端とは思わない。思索する場合の原点を教えられる。

村上龍「半島を出よ」(幻冬舎)想像力に基づくリアリズムの勝利。カルチャーショックはこころに必要

横井洋治「志ん朝の高座」(筑摩書房)国宝としても良い人をなくしたものだ。写真をめくるたびもっと高座を見ておくべきだったと悔やむ。


 6篇ともいずれ劣らぬ力作であり、そのいずれにも舌を巻く。甲乙つけ難いが、佐藤優氏という異能者に軍配を上げる。まだまだ世の中には、知られざる人材がいるものである。

 今年も良い作品に恵まれて幸せである。



インテリジェンスとは

 インテリジェンスの訳語は「知性」だと思っていたが、佐藤優氏が「情報」というものだから、混乱してしまう。


花


 しかし、「情報」とはインフォメーションではなかったのか。

 ということは、日本語訳に難があるのではないか。そう思って、おいらの愛用するLONGMAN英々辞典をひいてみると、

 Intelligence = information about the secret activities of other governments

とある。

 直訳すれば、「他国の秘密活動に関する情報」となる。

 実際、佐藤優氏によれば、戦前の日本陸軍はインテリジェンスを「秘密戦」と訳していた。あの有名な陸軍中野学校では、インテリジェンスを(1)諜報、(2)防諜、(3)宣伝(プロパガンダ)、(4)謀略の4種類に分類していたという。

 そうであれば、インテリジェンスとは「秘密諜報」か「諜報」と訳した方が良いのかも知れない。考えてみれば米国のCIAに所属する人間のことを秘密諜報部員と呼ぶではないか。

 これからは、インテリジェンスを「秘密諜報」または「諜報」と呼ぶことにしよう。



菊池信義の装幀

「菊池信義」と聞いて、この人が誰かすぐに分かる人はいない。


菊池信義.JPG


 しかし、本好きでこの人を知らないのはもぐりなのである。菊池信義は装幀家だ。しかも、筋金入りの。

 菊池信義、1943年生まれ、東京都出身、多摩美大中退。大学1年のとき、モーリス・ブランショの「文学空間」を観て装幀に魅了されたという。広告代理店勤務後、1977年、装幀家として独立。後、2008年までに1万数千冊!の装幀を手がけた。

 その菊池が手掛けた50人の著者の装幀本の展示会「装幀=菊池信義とある『著者50人の本』展」が神奈川近代文学館で開催中である(今週日曜日まで)。

 実は今回も全オム連会長のM氏から招待券をいただいたので、神奈川近代文学館に出向いたのである。Mさん、いつも有難うございます。この場を借りてお礼申し上げます。

 さて、その装幀展である。

 1万数千冊の装幀だから今まで見たことのある本ばかりであった。


菊池信義装幀.jpg


 だが、装幀展など初めての試みではないか。

 原画を展示するのであれば、美術展だが、本がひたすら展示されているのである。おっと、ここは文学館だからそれでも良いのか。

 結論。

 本は手に取って、そして、買われて初めて読者の手に渡る。そのために、装幀の果たす役割は極めて大きい。当たり前だが、それを気付かせてくれた面白い企画展である。

 しかし、おいらがショックを受けたのは、装幀とは単なる表紙デザインのことではなく、本の大きさ、カバーの有り様、函の有無、本文の文字の配列(組み方)、文字の大きさ(○ポなど)まで全てに及ぶことであった。

 装幀の意味を知って思い出したのは、おいらが自費出版したときのことである。

「つるぎかずを」というペンネームで、昭和51年に「人魚姫ろまん」を上梓した(このブログのフリーページ「つるぎかずを見参」参照)。

 このときの装幀はおいら自身が決めたのである。だって、おいらの本だよ、自分の好きなようにしたいだろぅ。おいらに相応しい本にしないと…。そうして下の本が出来上がった。


人魚姫ろまん.jpg


 何が云いたいかというと、装幀とは本の一部どころか本の中心に宿る命のようなものだ、ということである。


 閑話休題。


 菊池信義に話しを戻す。一言で述べれば、菊池は装幀の鬼と云いたい。

 装幀でタイトルをぼかしたり、ゆらぎを持たせたり、著者名をローマ字表記にしたのは菊池が初めてだそうだ。また、装幀のデザインだけではなく、さまざまな特徴的なデザインまで考案したのも菊池である。

 やはり、先駆者というのは偉大である。菊池信義、恐るべし。



オールド・テロリスト(前篇)

 本日から三日間、関ネットワークス「情報の缶詰」(2016年3月号)に掲載された「オールド・テロリスト」をお送りします。


オールド・テロリスト1.jpg


オールド・テロリスト

 村上龍の最新作「オールド・テロリスト」(2015年、文藝春秋)は、月刊誌「文藝春秋」に3年に渡って連載された小説である。

 帯には「怒れる老人たち、粛々と暴走す」とあり、続いて「年寄りの冷や水とはよく言ったものだ。年寄りは、寒中水泳などすべきじゃない。別に元気じゃなくてもいいし、がんばることもない。年寄りは、静かに暮らし、あとはテロをやって歴史を変えればそれでいいんだ」という物騒なコピーが書かれている。

 村上龍のこの本は、現代への警告書である。


1.老人は金なし、先なし、怖いものなし

 おいらがこの小説を手に取って思い出したのは、北野武監督の映画「龍三と七人の子分たち」(2015年)である。

 引退した元ヤクザの龍三親分(藤竜也)がオレオレ詐欺に引っかかったことから、昔の子分たちを呼び寄せ、犯行グループの若者たちを成敗しようとするコメディ映画である。

 このキャッチコピーが「金なし、先なし、怖いものなし!ジジイが最高!」「俺たちに明日なんかいらない!」であった。


龍三と七人の子分たち.jpg


 北野武が監督で、主演が藤竜也である。老人に怖いものなしということであれば面白くないはずがないと思って観たのだが、これがまるで失敗作。主人公たちが老人である必然性が感じられず、ただのギャグ映画であった。

 だから、この村上龍の小説もその手の内容かと思ったが、読んでみるとぐいぐいと引き込まれ徹夜までして読んでしまった。

 村上龍は今や純文学作家ではなくて、筋金入りのストーリー・テラー(物語作家)である(この項続く)。


オールド・テロリスト(中篇)

2.テロリストは年寄り

 ネタバレになるので、小説の最後の部分は割愛するが、あらすじを述べるとざっと次のとおりである。


DSC04477.JPG


 フリーライターのセキグチは「NHKでテロが起こる」との電話を受け、取材に出かけると実際に火災(テロ)が起こり、多くの犠牲者が出る。

 さらに、大田区池上商店街では通行人の首が刈払機によって切断され、歌舞伎町の映画館内では、びらん性毒ガス(イペリット)噴霧テロなどによって再び多くの犠牲者が出ることになる。

 このテロを計画していたのは後期高齢者たちであり、首謀者のミツイシはセキグチに「私達は、今の腑抜けた日本を大戦直後のような焼け野原にしたいと考えている」「88ミリ対戦車砲(写真下)を使用し、浜岡原発を狙う」と明かすのである。


88ミリ対戦車砲.jpeg


 村上龍の作品には、過去にもテロ類似のものを扱った小説として「コインロッカー・ベイビーズ」や「半島を出よ」などがある。

 しかし、この二作品と本作には大きな違いがある。それは、テロの首謀者が若者や社会的弱者、精神破綻者、独裁者などではなく、後期高齢者の老人たちであるという点である。彼らは、「腑抜けた日本をもう一度焼け野原に戻す」という信義のもと次々にテロを実行するのである。


3.圧倒的なリアリティ

 この小説が面白いのは、その圧倒的なリアリティによるものである。北朝鮮が我が国に侵攻する「半島を出よ」もそうであったが、現在進行している事実を丹念に積み上げ、テロ問題と高齢化社会が複合するとこういう事件が起きてもおかしくないと思わせるのである。

 もともと村上龍は反体制、反社会的な作家であるが、彼の作品に厚みが出た理由は小説を情報の容器としたからだと思う。

 さらに、彼自身が述べているように、情報の有無が生死を分ける場合があり、金融と経済が分からなければ、世の中の仕組みは分からないと喝破したことである。

 彼はドロナワ式に経済に取り組み、ありとあらゆる経済書を読破し、数多くの勉強会に出席するのである。彼の勉強はその後も続き、JMMというメルマガを発行する。

 そして、「だまされないために、私は経済を学んだ」(NHK出版)といった本まで出し、今や彼の書く小説には金融と経済の情報が満載である(この項続く)。



オールド・テロリスト(後篇)

 では、彼は膨大な情報をもとにして未来を予測しようとしたのだろうか。


DSC04491.JPG


 答えは否であり、彼が書きたいのは今の日本に蔓延する「閉塞感」である。そして、現代の日本の置かれた閉塞状況を打破するには、いったんガラガラポンにしないとこの国はもうもたないという考えである。

 ただし、村上龍はこれまでの小説でも同様の指摘をしながら、幸か不幸か日本は沈没しないでここまで来ている。したがって、一部ではオオカミ少年呼ばわりされているのだが、ここではそれには触れない。


4.老人パワー

 では、村上龍はこの作品の中で老人パワーを炸裂させたのであろうか。

 後期高齢者の中には戦争を体験した人がいる。また、高齢者は戦中戦後の食糧難の時代を生きてきた人たちである。さらに、そういった極限状況を経験しながら社会的や経済的に成功した老人が多数いる。

 そういう時代性を背負った老人たちが義憤を覚え、私利私欲を棄てて今の世を変えたいとしてネットワークを作り、現在の閉塞状況を打破しようとするのである。

 老人パワーの具体的な内容はこの作品を読んでもらうしかないが、一つ云えることはこの小説の中の老人たちには戦前生まれが多く、しかも皆サムライである。そして、全員がいつ死んでも良いと思っていることである。

 世の中の老人には二種類がいる。それは、「いつ死んでもよいと思っている老人」と「いつまでも生きていたいと思う老人」である。

 この小説が教えてくれることは、老人の人生は有限だからこそ無限の可能性を秘めており、また、いつ死んでもよいと思っている老人にはできないことがないということである(この項終り)。


最近読んだ本で秀逸な2作品

 最近読んだ本で面白かったものを2つあげる。


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 一つ目は、今回の芥川賞受賞作品「コンビニ人間」(村田沙耶香)である。

 傑作と云ってよい。又吉の火花がかすむほどの小説である。

 もう一つは、水野和夫の「資本主義の終焉と歴史の危機」(集英社新書)である。

 後者については明日以降述べるとして、「コンビニ人間」には久々に小説の持つ破壊力を思い知らされた。

 この小説は奇妙な味の作品である。いや、考え方によっては、上質のホラーである。

 コンビニにアルバイトとして勤める主人公の物語であるが、この主人公の世界観が独特なのである。

 人生とは突き詰めると、自分の世界(こちらの世界)と他人の世界(あちら側の世界。これを普通は、世間と呼ぶ)とを、どう折り合いをつけていくかということである。

 人間とは所詮、対人関係の中でしか生きていくことができない動物である。このことが何を意味するかというと、人は往々にして他人の世界の中で生きなければならない。余談だが、それがうまく行かないときに生じるのが疎外である。

 だが、そもそも自分の世界と他人の世界との区別をつけることができない人がいる。

「困ったさん」のことだが、本来、世界はそのように2つに区分されていること自体が分からない人、例えば宇宙人が目の前に現れたとしたら、その行動パターンは予測できないので、これは怖い。

 もっと怖いのは、自分が知らぬ間に他人の世界からずれていることである。特にそれに気付いていないとしたら、その問題が自分に跳ね返っているわけで、これもある意味では怖い。

 そういうことを考えさせてくれる小説だから、読んで損はない。ただし、ストーリ展開に少々雑なところがある(ご都合主義と云われても仕方がない)が、それを差し引いても傑作である。それほど、この小説には破壊力がある。


コンビニの未来は

 小説「コンビニ人間」が面白かったわけではないが、日本の未来を予想した場合、コンビニはしぶとく生き残っており、面白い存在になっているかも知れない。


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 考えてみれば、その昔、誰がコンビニでおにぎりを買うと予想しただろうか。だが、今や、おにぎりはコンビニの顔である。

 これについては、知らない人がいるかも知れないので紹介すると、あのセブン&アイ・ホールディングス名誉顧問の鈴木敏文氏が発案したものである。彼が始めてコンビニでおにぎりを売ったのである。

 それまでは、「おにぎりなんか誰が買うか」と皆にバカにされていたのである。だが、試行錯誤の結果、セブン・イレブンは日本で初めて手巻きタイプのおにぎりを売り出したのである。

 これはある意味ですごいよなぁ。誰もが知っている家庭の味に、ちょっとした価値を加えることで売れる商品にしたからである。

 コンビニとは違うが、似たような話しにはペットボトルがある。水はもともとタダであった。お茶もサービス(タダ)が当たり前だった。だから、おいらの学生時代は「お茶を誰が買うか」という時代だった。

 それが今や、ペットボトルに入っているだけでタダの水を皆が買うのである。

 閑話休題。

 おにぎりの成功の次にコンビニが考えたのが弁当であった。おでんや総菜も大ヒット商品になった。コンビニが世の中の様式を変えたのである。

 そして、現在ヒットしているのがいれたてのコーヒーである。娘に聞いたら、今や、ドーナッツまで売り出したという。

 これは、つまり、コンビニはアメーバのように絶えず変化しているということである。新しい発想で商品を造り、コンビニの立地と利便性を生かして他業態を侵食しているのである。

 余談ながら、10年ほど前、流通業界の記者が鈴木敏文氏を取材したときには、何を聞いても「おにぎり」の話しか返ってこなかったという。大経営者のその強いこだわりが今のコンビニ業界を支えているのである。

 その鈴木氏が今後コンビニで売っていいと思うものは、自動車と飛行機だそうである。要するに、コンビニにないものはない、という発想である。

 そうだとすると、今後はサービスだってコンビニで売っていいことになる。例えば、もしも介護サービスをコンビニに行けば買えるとなると、日本全国にあるコンビニならでの強みになるのではないのか。

 つまり、少子高齢化の時代になったとしてもコンビニは今後も変化し続けることが出来れば、コンビニの未来は明るいということである。


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