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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

笑点 談志師匠 三平師匠

落語二人会

 久し振りに池袋演芸場に出張った。今回は仏のKさんご夫婦と、元職場の先輩Hさんとご一緒である。


池袋1


 何回も行った場所なので現地到着に問題ないと思っていたが、さて、池袋駅に着くと東口か西口のどちらかを忘れていた。こういうときに役に立つのが駅周辺の地図である。と、思って探したがない。地下鉄構内ならどこの駅にもある駅周辺の地図がJR駅構内には張られていない。これって、未だにJRは、消費者無視の商売をしているのだろうか。社長の顔が見てみたい。

 駅構内の売店のおばさんに聞いたら、池袋演芸場を知らない。芸術劇場かと聞き返された。聞くおばさんを間違えたのである。今度は年配のおばさんを捕まえたら、西口と分かった。あった。

 待ち合わせの時間まで15分あったので、(池袋駅前西口の有名)古書店に入る。この古書店は、地下1階、地上2階で、主に60年代サブ・カルチャーを中心とした品揃えに定評がある。
 おいらの持っている唐十郎の「状況劇場」(唐十郎、李礼仙のサイン入り)が、ん万円で売っていたので、嬉しくなる。今回は時間がないので、冷やかしのみ。

 池袋演芸場の前に着く。何時来ても雰囲気が良い。


池袋2


池袋3


 前回は、柳家三三(さんざ)と小太郎の真打ち昇進前夜祭であった。考えてみれば、昨年の秋口であったから、池袋演芸場を訪れるのは久し振りということになる。

 さて、本日は、古今亭菊丸と柳家福治の四回目の落語二人会だ。おいらがこの二人を見るのは、今回で二回目である。演題は、菊丸が「船徳」、福治が「茶の湯」他。


池袋4


 菊丸(呉市出身。師匠は古今亭円菊)は巧い。話芸が完成している。NHK演芸コンクールで優秀賞を受賞しているだけの実力はある。志ん朝を思わせる落語だ。特に声が良い。女形をさせたら天下一品、シナの作り方はこれはもう絶品。惜しむらくは、もう少しだけ華があれば、最高に文句なし。

 福治(広島市出身。師匠はあの柳家小三冶)も独特の芸風で、愛嬌が良い。本人は年を取るにしたがって、狸に似てきたと話していたが、言われてみれば頷ける。芸にたどたどしさが残るが、これは治らないだろう。そこがまた福治ならではのご愛嬌。

 笑う門には福が来ると言う。芸を堪能して、しかも、福が来るという文句なしの一日である。


再び落語「二人会」

 映画「幕末太陽伝」(57年日活、川島雄三監督、フランキー堺主演)を日本三大映画の一つに取り上げたが、その原作は「居残り佐平治」や「品川心中」という古典落語である。

 その「居残り佐平治」を古今亭菊丸がやるという。


池袋演芸場


 これまでもブログで紹介してきたが、古今亭菊丸と柳家福冶による第5回「菊丸・福冶落語二人会」が池袋演芸場で先週開催された。


DSC00193.JPG


 菊丸(56歳。師匠は古今亭円菊)は相変わらず巧い。古今亭志ん朝を思わせる落語だ。演題は、「京見物」と「居残り佐平治」である。この「京見物」も絶品だ。お囃子や祭りの掛け声を声色でやるのだから、自信がなければこの落語をやるのは不可能である。演じている途中で何度も拍手が起こった。また、「居残り佐平治」では佐平治の天性の陽気さを巧く表現していた。脱帽である。古今亭志ん朝亡き後、プロの演技を見るのなら、菊丸しかいないのではないか、と云っても過言ではない。

 福治(50歳。師匠は柳家小三冶)は、目が可愛くて愛嬌が良い。演題は「二十四孝」と「富士詣り」。これも充分堪能させてもらった。

 やはり、落語は良い。しかし、ふと思ったのだが、古典落語はその内容がほとんど江戸時代である。これでは、今の世代の若い連中には理解ができないのではないか。若い人も来ているのだが、この芸は将来伝承できるのだろうかと思わず不安になった。日本は急速に昔の日本ではなくなっているのだ。

 ところで、この落語会の帰路、バッタリと昔の会社の後輩に遭遇した。池袋西口にはキャバクラが点在しているのである。歩いているとキャバクラは如何ですかと黒服が声をかけてくるのである。

 その黒服と目が合ったら、おいらを呼び止めるではないか。

 また、呼び込みかと思ったら、後輩であるイケメンのTくんであった。黒っぽい背広でネクタイをはずしていたので、見間違ったのだ。それはさておき、やはり懐かしさに胸がこみ上げた。お互いに近況を話し合って分かれたのだが、さて、彼はここで一体何をしていたのだろう。

 偶然というのは、やはりあるものである。



「笑点」公開録画に行く(前編)

 先週土曜日に日本テレビの公開録画番組「笑点」に行ってきた。

 笑点は昔からのファンであり、一度、公開録画の場所に行ってみたいと思っていた。しかし、この抽選が当たらない。何度ハガキを出しても梨のつぶてである。

 ところが、絵ハガキにしてイラストを描いたらあっさりと当選した。


笑点1.jpg


 さて、公開録画は水道橋にある後楽園ホールである。東京ドームの隣である。

 当日は、開場が12時15分、開演が12時半だという。

 おいらは12時過ぎに後楽園ホールの入っているビルに到着したのであるが、ビルに入ると、笑点の観覧と思われる行列がぞろぞろと進んでいるではないか。

 何じゃこりゃ、と最後列の後ろを付いて行くと、階段を上り始めたのである。

 後楽園ホールはこのビルの5階なのだが、どうやら大量の観覧者(収容総数約千名)がいるので、エレベーターを使わず、階段を昇って入場するようだ。

 下の写真はこの階段の通路。


笑点2.jpg


 後楽園ホールは、プロレスやボクシングで有名であり、この階段で待っている人が暇つぶしに書いたであろう落書きが辺りを埋め尽くしている。プロレスファンには一見の価値がある落首である。

 行列はぞろぞろと階段を昇っている。笑点の貼り紙がある。


笑点3.jpg


 体調の管理と地震のときは係員の指示に従えというものである。千名が階段を昇るのだ。確かにこの状態で地震が起きたらパニックになるだろう。

 そうこうしているうちに会場のある5階に到着した。いよいよ入場である。(この項続く)。



「笑点」公開録画に行く(後編)

 いよいよホールに入場である。


笑点4.jpg


 既に会場は7分の入りの様相である。着席して場内を見回すと、リングのあるべきところの先に、見慣れた笑点の舞台が装置してある(写真上。なお、撮影は収録中以外ならOK)。

 当日の中継の合間に司会を進行する林家ぼたん嬢(林家たい平の弟子で二つ目。写真中央右寄り)によれば、この舞台は大道具で、笑点が開催される当日に搬入して、その日の内に片付けるのだそうだ(上部のライトの真下がボクシングやプロレスを行うリングのあるところである)。ヒエ~、チィ~トモシラナカッタ。

 なお、このぼたんさんのほかにもう3人のお弟子さんがいて、座布団や小道具を運ぶのを手伝っているのだそうである。ハイ、ソウデスカ。

 余談であるが、現在、日本には約500人の落語家がいるという。林家ぼたん嬢が云うのだから間違いなかろう。

 さて、収録が始まった。

 最初に漫談とコントの二つの演目である。つまり、2回分の収録を行うのである。そして、舞台のお色直しをした後、大喜利が始まる。大喜利も2回分を収録するので、1回目の大喜利が終わった後で、休憩を挟むのである。

 その間、参加者(入場者)は何をしているかというと、ひたすら拍手をしているのである。

 フロアディレクターが台本を丸めたものを上にあげて回転させる。それが拍手の合図である。その台本を下に降ろすと拍手ヤメである。この拍手ヤメの方が難しい。ついつい拍手しちゃうのである。ま、これも慣れるがのぅ。

 舞台を観覧しての感想。

 皆が手慣れている。日本テレビのディレクターも、裏方さんも、出演者も、果ては観客も皆、手慣れている。その手慣れ感だけで上質の芸を見せて貰ったと感心するほどである。

 また、オンエアー(放送日)は、8月19日と9月2日と少々先なのだが、大喜利の出演者たちは冒頭に時節の挨拶を入れ、あたかも生放送のように(しかも、2回とも)話すのは流石であった。

 また、上演が終わると、すぐさまセットは解体され始めたのである。う~む、こりゃすごいわ(写真下)。


笑点5.jpg


 とまれ、録画に要した時間は約2時間。おいらは当日同行した家族ともどもたっぷりと笑って、帰路美味しいお酒を飲んで、家路に着いたという次第である(この項終り)。



林家木久蔵師匠は偉いか

 林家木久蔵師匠(69歳)が名前を公募するという。偉い。


林家木久蔵


 しかし、「木久蔵」を息子の林家きくお(31歳)の真打昇進を機に、襲名させるという。これは、偉くない。だって、「きくお」って、そんなに木久蔵の名に恥じない芸の持ち主なの?

 息子だからじゃないの?(もし、凄い実力の持ち主なら、ごめんなさい。)落語界のことだから、名を譲っても良いと思う。しかし、「きくお」という名前がメジャーになってからではないのだろうか。

 林家木久蔵、おいらは好きだなぁ。あの破天荒な芸。でも、これじゃあ、木久蔵も一代で終わりではないか。何故、「きくお」は自分の「きくお」で一世を風靡するまで待てなかったのか。政治の世界だけではなく、自分の実力で襲名してよ~。

 さて、林家木久蔵師匠の言い分も聞かねばなるまい。師匠は、「来年の古希を機に、殻を破って、新しい名前で好きなことに挑戦してみたい」そうだ。

 その意気や良し。型破りの芸に邁進して欲しい。しかし、と、思うのである。だったら、木久蔵を棚上げにして、自分一人で襲名すれば良いだけの話しだ。息子をダシにする必要はない。特に、先日も教育テレビで師匠の「昭和芸能史」を観たが、抱腹絶倒、既に円熟の域に達しておられる。ただし、呂律(ろれつ)がやや回らず、健康面が少し不安ではある。

 ここまで考えて、はたと思った。師匠である「林家彦六」の名前を襲名すれば良いではないか。事情があるなら、勝手に襲名すれば良い。よし、おいらは彦六で応募しよう。木久蔵の新しい名前の募集は、日本テレビのホームページ「笑点」をクリックすると、応募が可能である。皆さん、「彦六」ですよ。

 さて、本当の木久蔵ファンよ、皆さんは実のところ、どう思っているの?


祝アクセス数、250,000突破

 7月12日(火)、謎の不良中年のブログアクセス数が記念すべき250,000を突破しました。栄えある250,000達成者は、「***.yahoo.net」さんでした。ありがとうございます。

 250,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


立川談志師匠


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「立川談志師匠『イラスト付き色紙』(1999年ごろ)」をお披露目します。

 この色紙は、談志師匠自らに書いていただいたものです。○○賛江の○○の部分には、おいらの本名が書いてあるので、マスクをかけました。

 約10年前の5月のゴールデンウイーク中、文京区根津神社の「つつじ祭り」見学に愚妻と出かけ、根津界隈を散策したときのことです。

 おいらは独身時代、文京区千駄木に住んでいたので、このあたりには土地勘があるのです。

 根津神社境内の骨董市を冷やかした後、夕焼けだんだん方面に向かって歩いていたら、某マンションの前でガレージセールをやっている一団がいたのです。

 どこかで見たような連中だと思いましたら、中央に談志師匠が鎮座しておられるではないですか。

 師匠は一言、「買っていきねぇ」です。

 もちろん、喜んで色紙をいただきました。既に揮毫をしたためておられ、出来あがっていた色紙の中でイラスト入りはこの一枚だけ。

「喋る楽しさ むつかしさ」

 味がありますねぇ。

 師匠は色紙を手に取り、「何て名前だい」とおいらに聞きながらスラスラと名前を書いてくださったのでありました。

 テレビで見るしぐさと全く一緒でした。

 この人は悪ぶってるだけで、根は善い人なのだなぁとそのとき直ぐに分かりました。師匠、ありがとうございました♪


 次回は、260,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2011年7月19日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記



立川談志逝く

 惜しい落語家がまた一人去った。


立川談志師匠


 おいらが一番好きな落語家は、古今亭志ん朝だとばかり思っていたが、立川談志が亡くなってみると、本当は談志師匠だったのかも知れないと思うようになった。

 この人はやはり別格である。

 だって、落語家のイメージを考えるならば、やはり志ん生や米朝である(痴楽や柳昇も良いが)。談志は落語会の異端児であったのである。勿論、最高の褒め言葉である。だから、野球で云えば長島茂雄である。

 相当前から食道がんを告白していたので、とうとう来るべきものが来たのかという感じである。赤塚不二雄が逝ったときのことを思い出した。

 前にもこのブログで書いたので詳しくは省くが、この色紙を書いてもらったときの談志師匠はシャイで気配りをされる気さくな人だった。いや、普通の人だった。

 師匠があれだけ破天荒な人生を送れたのは、実は根が小心者で、真面目な人だったのかも知れないと思う。

 だから、大きなことができたのだろう。

 氏の座右の銘が「人生成り行き」だというが、これも師匠一流の計算のはずだ。本当は人生を図って図って生き抜いた人生だったのではないかと思う。

 幸せな人生である。

 享年75。合掌。



吉川潮氏の憤りに賛同する

 11月24日付産経新聞の、我が敬愛する作家吉川潮氏のコラム「断」(プロの常識を学ぶべし)が面白い。氏の憤りが伝わってくるエセーである。


断


 その内容を要約すると、

「40年以上『ホール落語』に通っている吉川氏が、11月18日の朝日ホール(有楽町マリオン)『朝日名人会・桂文珍独演会』の開演時間に用事で遅れる。ところが、ロビーのモニターテレビで『まくら』を振っていたので、入場が間に合ったと安堵し、中に入ろうとしたら係員に止められたという。

 しかし、落語会でも寄席でも『まくら』の間なら、入場して着席させるのが常識である。噺に入ったら、客席の後ろで立って聞くのがマナーである。著者はいつもそうしているのに、それを許さないという。

 著者は朝日ホールの対応に納得がいかないので、副支配人に説明を求めたところ、回答にならない。しかも、その副支配人は、他のホールの落語会に行ったこともない不勉強振りである。あまつさえサービス業という意識もない」

という。いやはや、これは酷い話しである。

 おいらが何故吉川氏に共感するかという理由は、ホールの副支配人といえばプロのはずである。そのプロが知ったかぶりで、素人でも理解出来ないようなことをするからである。これではプロ失格だし、その支配人を使っている経営者も同時に失格だと言われても仕方がないと思う。

 少なくともこのホールは、今後どういう対応をするかを示さない限り、客をなくすだろうなぁ(本日現在、有楽町朝日ホールのホームページに何の釈明もありません)。おいらもたまに落語を楽しみに行くが、こういうことでは朝日ホールだけは行かないことにしよう。


そりゃまずいよ、夢之助師匠

 スポーツ報知(11月1日)によれば、「落語家の三笑亭夢之助さん(58)が9月17日、島根県安来市民会館で行われた同市主催の独演会で、舞台上の手話通訳者に「気が散る」として退場を促していたことが10月31日までに分かった(写真は池袋演芸場)。


池袋演芸場


 通訳はその後も舞台下で続けられたが、聴覚障害者からは『手話と夢之助さんを同時に見ることはできなかった』などと不満の声が噴出。

 後日、同県ろうあ連盟が夢之助さん側に抗議し、夢之助さんは謝罪文で『落語に集中するためだった』と釈明した」という。

 ここまでなら、師匠にも分があると思うのだが、続きを読むとこうだ。

「落語独演会が始まって約5分後。1時間の大ネタ『天災』に臨んでいた夢之助さんは突然、『落語は話し言葉でするもの。手話に変えられるものではない』と切り出した。舞台の真ん中にいた夢之助さんの数メートル横には、聴覚障害者のための手話通訳者が立っていた。

 その後も、通訳者の方には目をやらず、正面を見たまま『この会場は聞こえる方が大半。手話の方がいると気が散る』と発言。続けて『みなさんも散りますよね。みなさんがいいとおっしゃるなら構いませんが。どうなんでしょうね』などと語りかけると、会場からは苦笑いが起こった。

 事実上、舞台から退場するよう促された通訳者は、舞台から下りて手話通訳を続けた」という。

 これでは、ダメだろう。夢之助師匠も還暦を待たずに空気が読めなくなったのか。しかも、手話通訳をされる位で集中出来ない落語なら、とっとと辞めるべきである。

 それが芸である。しかも、高座で自ら手話を用いて落語を行う「手話落語」は、桂福団治、古今亭円菊が有名で、最近では林家正蔵が昨年の大銀座落語祭で行った例もある。手話と落語の相性は悪くないのである。

 付言すると、同市の昨年の敬老会では、漫才コンビ「宮川大助・花子」の花子さんが出演し、舞台上の手話通訳者に感謝の言葉をかけたという。

 それが人の道である。


名人芸

 元旦に国営衛星第2放送で放送された「オールスター昭和なつかし亭」は良かった。


林家三平


 おいらの好きな初代「林家三平」師匠の秘蔵映像が放送されたからである。その他にも「チャンバラトリオ」、「東京コミックショー」、「早野凡平」、「いとしこいし」、「アダチ龍光」など唸らせるメンバーのオンパレードであった。

 いずれも芸だねぇ~。

 ま、その中でも林家三平は別格だ。しかし、昭和55年に54歳で早世したことと、全盛期当時の芸は録画されているものが少ないので、今、三平の落語を聴くのは難しい。

 それが久し振りに「源平盛衰記」(夜の指定席、約20分ノーカット版)を見た(注)。

 おいらが平家物語にはまっていることもあってタイムリーであった。

 三平師匠の何が良いのか。

 それは、あのとぼけた芸である。天才だねぇ~。特にわざとすべらせる才能は天性のものである。

 しかし、古典落語が出来ない訳ではなく、技術と素養は充分持ち合わせていたと云われている。実力はあったのだ。テレビに合わせた芸が目立っていただけなのである。

 ま、一見は百読に如かず。

 三平と同時期に生きていたことを嬉しく思う。


(注)テロップは昭和54年と出ていたが、間違いではないか。この年正月、三平師匠は脳溢血で倒れている。同年10月に奇跡の復活となったが、リハビリ後の芸風には思えない。


女流落語家と講談師

 毎週欠かさないテレビ番組に「笑点」がある。


林家つる子.jpg


 その笑点を先週観ていたら、座布団運びとして若手女流落語家の「林家つる子」が出ていた。

 あっと驚いた。先月の「やまと・朝也・つる子三人会」で落語を聞いたばかりだからである。

 林家つる子、中大落研出身。林家正蔵に入門し、現在は二つ目。在学中に全日本学生落語選手権審査員特別賞を受賞。群馬県出身なのからか、「ぐんま観光特使」を務める(1987年生)。

 そのつる子が「やまと・朝也・つる子三人会」の当日演じたのは、「ねずみ」であった。これが巧かったのだが、何かがおいらに引っかかったのである。

 それが何かと考えていたら、当日ご一緒した、おいらの落語の師匠のS氏の一言が的を得ていた。

「どうも女性の落語というのは、講談みたいだねぇ」

 う~む、これがストンとおいらの腹に落ちたのである。

 これは、つまり、女流落語家の落語は説明になりがちなのかなぁ。

 しかし、おいらは古今亭菊千代師匠のエピソードを思い出していたのである。

 菊千代師匠も大学の落研出身で広告代理店に勤めていたとき、偶然柳家小さんと対談し、「(女性でも)要は、うまけりゃいいんだ」の一言で退職し、末広亭の楽屋口で古今亭圓菊師匠を待ち伏せ弟子入りするのである。

 そうなのだ。講談調であろうとなかろうと、うまけりゃいいのである。

 女流落語家よ、がんばれ。


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