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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

ちあきなおみ、友川、こまどり、ピーナッツ

ちあきなおみ、復帰してよ

 テレビ東京の「たけしの誰でもピカソ」2月16日放送分は、ちあきなおみの特集であった。


ちあきなおみ


 「遂に実現!名曲伝説!ちあきなおみ」という五年越しの企画であり、各局から映像を借りての特別番組である。

 事前に予告されていたので、録画して十分に堪能した。しかし、敢えて不満を述べる。

 何故、もっと時間をかけて取材し、2回に分けて特集を組まなかったのか。江利ちえみのときは、そうしたではないか。

 さらに、何故、あの「タンスにゴン」のCMは放送されなかったのか。

 恐らく、これらはいずれもしかるべき理由があってのことだとはと思うが、ちあきなおみという歌手は日本の宝である。

 船村徹が番組内で云っていたが、美空ひばり亡き後、彼女を継ぐ歌手はちあきなおみしかいない。

 彼女が復帰しないというのであれば、せめて番組だけでも充実させて欲しいと切に願うから、こういう苦言を呈するのである。

 でも、やっぱり、復帰して欲しいなぁ、おいらたちの歌姫、ちあきなおみよ!



南沙織で得した気分

 ビデオテープの整理をしていたら、南沙織の歌う「17才」(デビュー曲)が画面に映った。


南沙織


1971年にヒットした歌であるから、勘定してみると35年前ということになる。おいらが20才で、大学3年生のときであった。今、聴いても充分耐えうる歌唱力であることを発見した。しかも可愛い。これでは篠山紀信がまいるわけだ。

 その南沙織を、昨年偶然見かけたことを思い出した。場所は日比谷シャンテ(映画館)の館内ロビー通路横のソファー。ジョニー・デップ主演の映画「ネバーランド」を鑑賞した後である。彼女は女性3人連れの真ん中に座ってお遊ばした。恐らく女友達とのお忍びでの鑑賞だろう。薄めの色のサングラスで目立たないようにしてはいるのだが、際立った美人ですぐに彼女と分かった。

顔立ちには昔日の面影があり(御齢51才のはず)、体形も変わっていなかったように記憶している。何だか得した気分になった1日であった♪




祝アクセス数、120,000突破

 9月26日(土)、謎の不良中年のブログアクセス数が節目となる120,000を突破しました。ありがとうございます。

 120,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


友川カズキ


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「友川カズキ『天穴の風』」(紙に油彩、制作年不明)をお披露目します。

 国営衛星放送(BS2)でフォークの達人という番組がありました。同局も捨てたものではありません。フォークの黎明期を捉えた秀逸な作品でした。

 その中に「友川カズキ」(50年生まれ)の特集があったのをおいらは見逃しませんでした。DVDにして今でも保存しています。

 しかし、今では友川カズキのことを知る人は少ないのではないでしょうか。 東北のフォークシンガーでは、三上寛と双璧でしたなぁ。74年に宇崎竜童に才能を見出され、デビュー。独特のシンガーソングライターです。

 記憶にやや新しいところでは、77年の紅白歌合戦でちあきなおみに「夜へ急ぐ人」を提供、司会の山川静夫が「気持ちの悪い歌ですねぇ」と切り捨てて有名になりました。

 その風貌が太宰に似ているからか、友川は太宰と中原中也に傾倒していたといいます。また、かの中上健次は友人であり、友川の絵を高く評していました。

 その友川の描いた油彩を偶然ではありますが、神田の版画堂から入手することが出来たのです。

 こういう絵を描く人を私は知りません。額装して、自宅の書斎に飾っています。不思議な魅力のある絵です。


 次回は、121,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年10月1日(木)


 謎の不良中年 柚木 惇 記




忌野清志郎死す

 同世代である。正確に云えば、1学年下である(51年生まれ)。


RCサクセッション

 おいらにとって忌野清志郎とは、何と云ってもRCサクセッションの「僕の好きな先生」である(写真)。

 72年のことであった。ラジオから流れる「僕の好きな先生」においらは鮮烈なイメージを受けたのである。

 当時、フォーク界と云えば、拓郎と泉谷、それに井上揚水である。その一角に忌野清志郎が入ってきたと思ったのだが、彼は何時の間にか脱落。

 ブランク後、今度はロックに転向し、ど派手な格好で一躍スターダムに乗る。おいらはその変わりように再び驚いたものである。

 しかし、今、彼の曲を聴き直してみると、ロックよりもバラードの方に名曲が多いことに気付く。

 ただ、個人的には、彼の音楽よりも、彼が自転車に乗ったり、反戦活動をしたりするその生き方に魅かれたのだとおいらは思うのである。

 その忌野清志郎が今月2日、がん性リンパ管症のため亡くなった。享年58歳。早すぎる死である。70歳になっても今と同じスタイルで歌い続けているイメージのロック歌手が他にいただろうか。好々爺ロックシンガーになっていたはずだ。

 おいらの世代では永ちゃん(1学年上)も頑張ってはいるのだが、拓郎は肺がんだし、最近この世代は弱っているような気がするなぁ。

 なお、忌野清志郎が中日ドラゴンズの熱狂的なファンであったことを知る人は少ない。氏のご冥福を心よりお祈りする。


祝アクセス数、113,000突破

 一昨日の土曜日、謎の不良中年のブログアクセス数が113,000を突破しました。栄えある113,000達成者は、「*.ocn.ne.jp」さんでした。ありがとうございます。

 113,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


たくろう


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、「よしだたくろう『今日までそして明日から』CBSソニーレコード」(73年ごろ)をお披露目します。

 拓郎は当初エレックレコードに所属しており、最初のシングルは、「イメージの歌」(70年)、二枚目が「青春の歌」(71年)、そしてこの「今日までそして明日から」(71年)が三枚目でした。

 そして、CBSソニー移籍後に大ヒットした「結婚しようよ」(72年)をリリースするのです。

 しかし、この「今日までそして明日から」はCBSソニーから出ていますので、移籍後に再シングルとして発売されたものと思われます。

 だから、このEPの存在を知らなかった人もいるのではないでしょうか。実はおいらもCBSソニー版を知らなかったので、先日、神保町の古書店で眠っていたものを珍しいと思い、廉価でゲットしたものです。たくろうは、懐かしいの~。


 ところで、Wikipediaによれば、72年12月、エレックレコードは2枚組ライブアルバム「たくろうオンステージ第二集」をリリースします。しかし、本人に無許可だったため発売中止となり、このアルバムは現在に至るまでCD化されていないそうです。

 しかし、おいらはこの貴重なLP「たくろうオンステージ第二集」を持っているのです。

 昔、ムカシのことですが、発売中止になるまでは当然売っていた訳でありまして、拓郎の大々ファンであったおいらは、発売と同時に購入していたのです。

 その後、度重なる引っ越しにもかかわらず、手放さなかった「幻のお宝」です。

 現在、押入れのどこかにしまってあるので、探し出しましたら、今度、お披露目しませう。乞う、ご期待!


 次回は、114,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


2009年8月3日(月)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


祝アクセス数、117,000突破

 昨日、謎の不良中年のブログアクセス数が117,000を突破しました。栄えある117,000達成者は、「210.81.*.*」さんでした。ありがとうございます。

 117,000突破は偏に皆様のおかげのたまものです。深く感謝し、有難く厚く御礼申し上げます。


三上寛1


三上寛2


 お礼に、おいらの秘蔵コレクションから、お宝の「三上寛怨歌集『ひらく夢などあるじゃなし』」(72年、URC)をお披露目します。

 三上寛。知らない人が多いんでしょうなぁ~。おいらの1学年上です(50年3月生まれ)。

 青森県は五所川原出身。五所川原高校の生徒会長を務めたそうです。おいらも某高校の生徒会長をしていましたので、何か縁を感じます。

 ま、曲風は、一種の御詠歌ですな。しかし、この御詠歌、三上は腹の底から声を振り絞って唄うのです。

 世の中が高度経済成長に向かう中で、この当時、いわゆる新左翼は敗れ、青年は無気力に打ちひしがれていた時代でありました。そういう時代背景のもとで、このおどろおどろしい怨歌「ひらく夢などあるじゃなし」は同世代の人間にブレイクしたのです。

 なお、この歌、放送禁止歌になりましたが、三上寛の面目躍如ですなぁ。

 ところで、この土着的なジャケット・デザインは知る人ぞ知る、佐伯俊男です。おいらの趣味ではありませんが、乾いたエロティシズムを描く天才でしょう。


 次回は、118,000ヒットを目指して精進いたしますので、これからもよろしくご指導のほどお願い申し上げます。


 2009年9月1日(火)


 謎の不良中年 柚木 惇 記


こまどり姉妹がやって来る

 映画「こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」を観た。


こまどり姉妹1


 年をとるにしたがって、昔の歌に郷愁を感じる様になってきた。

 おいらが幼少のみぎり、双子の歌手と云えば、こまどり姉妹とザ・ピーナッツであった。

 子供は、見た目に惑わされる。阿呆なのである。おいらもザ・ピーナッツの方が洒落ていると思っていた。

 長ずるに及んでその誤りに気付き、今は断然こまどり姉妹である。

 この双子、今なお現役で御年、71歳。

 おいらは、この映画を吉祥寺のコンプレックス映画館「バウスシアター」で観た。


こまどり姉妹3


こまどり姉妹2


 唸っちゃうのである。戦後すぐの芸能人というのは、綺麗事ばかりではない。場末で日銭を稼がなければならない。怖いおあにいさんとも住み分けをしなければならない。

 おいらは不良中年だから、そういう匂いのする女性を応援してやりたくなるのだ。

 ところで、映画の中で一番良かった曲は「涙のラーメン」(遠藤実作詞作曲)であった。これは、名曲。こういういい曲を唄っていたんだ。

 こまどり姉妹、いいねぇ。


 おっと~、予告編を上映された「あがた森魚デラックス」も見逃せない。


「シャボン玉だよ!牛乳石鹸!!」

 大日本パラノイア党党首Mさん(日本カレー党党首でもある)から過日連絡が入った。

 浅草ROX「コシダカシアター」でシャボン玉ホリデーのレビュー「シャボン玉だよ!牛乳石鹸!!」があるから観に行かないかとのお誘いがあったのである。


DSC07019.JPG


 シャボン玉ホリデーとは、その昔、日曜日の午後6時半から始まったザ・ピーナッツとクレージー・キャッツのお化けテレビ番組であった。

 お化けというのは、お化けが出るのではない。皆が観るので、視聴率がお化けのようにでかかった番組のことである。「行きます、行きます」と二つ返事で浅草に出向いたのは云うまでもない。

 さて、久し振りに浅草に出向いて、人通りが多くなっているのには驚いた。そう、東京スカイツリーの見物客が大勢いるからである。浅草からでも相当大きく観えるのである。こりゃ、新名所になるわな~。


DSC06992.JPG


 それはさておき、シャボン玉ホリデーである。入場料、2,500円。小屋の中は飲食も可能で、早速生ビールで乾杯だ。

 往年の名曲、あの「ヒッパレ」(ヒットパレード)を久し振りに堪能した。それ以上に良かったのが本物のザ・ピーナッツかと思うほどの二人の歌い手。涙がチョチョ切れましたぞ。


シャボン玉.jpg


 考えてみれば、この頃の曲は何故か全部覚えているような気がする。そりゃ、そうだ。ラジオをかければいつもかかる曲は同じだったのである。歌謡曲か、米国の曲をカタカナにしたポップスばかりだったのだ。

 いや、えがったのぅ。歌あり、踊りありの約100分は至れり尽くせりで、あっという間に終了した。ただ、残念だったのは、ハナ肇が布団の中で娘(ザ・ピーナッツ)に「いつもいつもすまないねぇ~」と云う定番のシーンがなかったことである。今後、そのシーンを演じていただけるようにご検討されたら如何かと思うのだが…。

 なお、帰路、浅草のもつ煮込み通りで偶然入った酒場がおかまで一杯だったのにはビビった。しかし、おねいたちの酒は明るい。M氏ともどもバカ話しで盛り上がったのぅ。浅草、どうやら昔の活力が戻ったようである。



島田のブンブンとは

 演歌の特集番組がたまにオンエアされる。当初は、母のために録画していたのだが、いつの間にかおいらも演歌にハマってしまった。


錦天満宮2.jpg


 先日もそうして番組を観ていたら、中村美津子がノリの好い演歌を唄っている。

 題名は「島田のブンブン」

 これが、調子が良い。おいらは河内音頭が好きで、中村美津子も好きなのだが、この歌にもハマってしまった。

 しかし、島田のブンブンとは一体なんじゃ?

 詞を掲げる。

「島田のブンブン(田口洋作詩 山田一平作曲)

夜のとばりが パラりと降りりゃ 祭りこころが騒ぎだす
今日は祇園か 先斗町
三味に、太鼓に 鳴り物ばやし
ぬる燗ふくんで ひと節ハァ

誰が呼んだか 島田のブンブン 今夜もちょいと ご機嫌さん
誰が名付けた 島田のブンブン ずいぶん いい気分

時計の針がクルりと回りゃ 遊びこころが 疼きだす今頃 新地か、三ノ宮
ピアノ、ギターに マイクを握り
ワイン片手に 得意のあの歌を

誰が呼んだか 島田のブンブン 今夜もちょいと ご機嫌さん
誰が名付けた 島田のブンブン ずいぶん いい気分

女こころに しっぽり触れりゃ 帰したくない ああ、帰れない

誰が呼んだか 島田のブンブン 今夜もちょいと ご機嫌さん
誰が名付けた 島田のブンブン ずいぶん いい気分

誰が呼んだか 島田のブンブン 今夜もちょいと ご機嫌さん
誰が名付けた 島田のブンブン ずいぶん いい調子」


 意味不明である。

 こういう詞を作っていいのかなぁ。だが、詞の文脈から島田のブンブンは人の呼び名ということが分かる。

 しかも、島田のブンブンは祇園で飲んでいる、気風(「きっぷ」と読む)の良い人物だとも思われる。

 で、ネットで調べてみると、判明した。

 島田のブンブン、つづめて「シマブン」とはどうやら神戸で明治42年に創業した島田商店(鉄鋼業。現在の「シマブンコーポレーション」)の初代社長島田文六のことを指しているようである。島田文六だから、島田のブンブンと呼ばれたのだ。

 因みに、この会社の社長は、代々、創業者名である島田文六を名乗っているそうである。

 う~む。歌舞伎役者見たいじゃのぅ。

 この会社、神戸で明治の末期から大正、昭和と飛ぶ鳥を落とす勢いで繁盛し、社長のシマブンは祇園、先斗町、新地、三宮で浮名を流したようである。良い時代である。

 戦前の花柳界でこのようにおだてられるという男は、女が惚れる男でなければダメであった。しかも、調子が良くなければならない。酒を飲むのも、大変じゃがのぅ。

 しかし、何事も度が過ぎればオシャカになる。

 少し前の話しだが、2010年11月、シマブンコーポレーションの創業家出身の前社長は現社長や子会社によって提訴され、飲食代約4300万を請求されたようである。シマブンの前社長はその前年、取締役会で解任されており、シマブン本社ビル内にある仏料理店(シマブンの子会社)の飲食代を払えと訴訟を起こされたのである。

 事案は、シマブン前社長が取締役解任後もこの店に客を連れて飲食したと云うものであり、前社長は営業行為、現社長は業務と無関係ということで争ったものらしい。

 ということは、この詞は前社長の行状も反映した内容かも知れず、そうだとすれば、複雑な心境で聞かなければならない内容の唄ではある。

 しかし、そんなことはどうでも良い。酒は自分の金で飲むものである。しかも、御大尽になって酒を飲むのが最高だ。散財するのも男の甲斐性。人から奢られるなどまっぴらである。酒を飲むのに卑しくなってはならない。

 そうでしょう、島田のブンブン。


音楽界で食べていくということ

 詳しくは分からないのだが、音楽界で食べていくということは相当厳しいようだ。


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 おいらの好きなブルースバンド「憂歌団」のドラマー、島田和夫が10月2日未明に自宅前で死去したと報道されたからである。

 自宅で「もう生きていけない」とのメモが発見されており、自殺だと考えられている。

 ちょっと待ってよ、あの憂歌団だよ。一世を風靡した憂歌団だよ。

 その憂歌団の名ドラマ―が何故自殺しなければいけなかったのだろう。

 ライブハウス関係者によれば、音楽界で食べていうのはやはり難しいと云う。

「憂歌団は関西ブルースシーンを代表するバンドで、島田さんも名ドラマーとして人気の高い方でした。解散後も多くのプロジェクトやコンサートに呼ばれて演奏するなど、同世代のバンドマンの中では群を抜いて活躍していた。仮に自殺であったとしても、音楽活動の行き詰まりが原因とは考えにくい。もしそうなら、中高年のバンドマンのほとんどは厳しい状態ということになる」(日刊サイゾー)

 ベテランギタリストによれば、今の音楽界ではスタジオミュージシャンのギャラの水準が下がり続けていて、アルバイト的な金額しか出ないそうである。

 また、人気バンドの全国ツアーに帯同して少々まとまった金額を貰ったとしても、その間は拘束されるので次の仕事が来なくなるリスクがあるというのだ。

 安定しているのは音楽スクールの講師らしいが、大御所クラスまでやりたがるので席は空かないのが実情らしい。

 つまり、音楽では食っていけないということである。

 う~む。

 この問題は根本的な部分から解決しておく必要があるような気がするのぅ。今の音楽界の収益構造がどうなっているのか、誰がお金を払っているのか、誰がそのお金で儲けているのかである。

 だって、おいらは音楽をダウンロードして購入する世代ではない。良い音楽があったら、単純にレコード(CDのことだがね)を買いたいと思う世代である。

 だが、レコード屋はどこの町でも潰(つぶ)れていて、今やないのである。

 日本からまともなミュージシャンがいなくなってしまうには、こういう理由もあるのではないかと危惧してしまうのである。



日本で一番うまい歌手(前篇)

 今春、週刊現代(3月2日号)が「日本で一番歌がうまいのはこの人だ」と銘打った企画を掲載していた。


美空ひばり.jpg


 面白い小説やミステリーなどのベストテンは毎年恒例だが、唄うたいをランク付けしているのは初めてであり、少々面白い。

 諸兄も気になるだろうから、そのまま順位を転載すると、

1.美空ひばり
2.桑田桂祐
3.ちあきなおみ
4.中島みゆき
5.沢田研二
6.山口百恵
7.尾崎紀世彦
8.都はるみ
9.布施明
10.久保田利伸・石川さゆり(同順位)

 であった。

 土台、芸術に順位をつけるのは無理な話しだが、女性、男性別のベストテンと番外はこうなる。

女性
1~10位 美空ひばり、ちあきなおみ、都はるみ、中島みゆき、山口百恵、石川さゆり、江利チエミ、八代亜紀、越路吹雪、松田聖子(順位順)

11~15位
MISIA、渡辺美里、藤圭子、森山良子、天童よしみ(順位順)

番外編
松任谷由実、NOKKO、宇多田ヒカル、矢野顕子、広瀬香美


男性
1~10位 
桑田佳祐、沢田研二、尾崎紀世彦、布施明、久保田利伸、五木ひろし、坂本九、三波春夫、矢沢永吉、稲葉浩志(順位順)

11~15位
北島三郎、山下達郎、橋幸夫、徳永英明、藤井フミヤ(順位順)

番外編
新沼謙治、小田和正、比嘉栄昇、美輪明宏、グッチ裕三

 う~む、なるほど頷ける内容であるが、営業政策上名前を挙げていないとまずいという配慮も見え隠れする。

 ここは、そういうのを排除して、純粋にうまい人を選んで欲しかったのぅ。

 こうなると、私家版「日本で一番歌がうまいのはこの人だ」を作らねばなるまい(この項続く)。


日本で一番うまい歌手(後篇)

 前回に引き続いて、日本で一番うまい歌手である。


ちあきなおみ.jpg


 おいらが不思議に思ったのは、リストアップされた歌手の中に、例えば、天才の尾崎豊が入っていないことである。

 また、高音では天下一品の三橋美智也も入っていない。過去の人とは云え、三橋美智也は美空と並ぶ大御所であった。若い頃、東横線綱島温泉でボイラを焚いて民謡の修業をしていたという。

 フォーク歌手では妖艶な歌い方をする井上陽水も入っていない。これも不思議である。彼の高音域も絶品である。

 さて、歌がうまい歌手と人気の出る歌手とは自ずと異なる。

 歌がうまいだけの歌手なら掃いて捨てるほどいる。だから、歌のうまい荒巻洋子は歌手をあきらめて、ものまね歌手になったのである。

 前回紹介された歌手は確かにうまい。しかし、聴きたいと思うのとはまた別なのである。

 そうしてみると、まだ他にも歌がうまいと表現して良い歌手は数多いる。

 ざっと気付いただけでも、

 男性では、荒木一郎、北原謙二、春日八郎、三島敏夫、前川清、森田公一、守屋浩、フランク永井、大川栄作、細川たかし、森進一、吉幾三、城卓也、中条きよし、よしだたくろう、小椋佳、玉置浩二、大木トオル、キングトーンズ、植木等(順不同)

 などが挙げられよう(柳家三亀松師匠(都々逸(どどいつ)の大家。女性の声色が得意。おいらはLPを持っている)も考えたが、都々逸を歌に入れるのは少し苦しい)。

 女性では、浅川マキ、平山ミキ、内藤やす子(順不同)

 なども忘れてはいけない。

 よって、私家版日本で一番うまい歌手のランキングは、

1.ちあきなおみ

2.美空ひばり

3.尾崎豊

4.山下達郎

5.浅川マキ

6.矢沢永吉

7.五木ひろし

8.井上陽水

9.三橋美智也

10.中島みゆき

 となる。

 全く勝手な順位だが、いずれも舌を巻くうまさばかりの歌手であると同時に、味のある歌い手である。

 だが、考えてみればおいらが聴き惚れる順番かも知れない。何だ、それじゃあ、うまい順ではないじゃんか(この項終わり)。




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