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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

昭和美女 戸川昌子 斗南良子 スマイリー

戸川昌子、斗南涼子のシャンソンを聴きに行く(前編)

 今週月曜日(12年5月21日)、縁あって渋谷までシャンソンを聴きに行った。


サラヴァ.jpg


 場所は、渋谷区松濤の「SARAVAH東京」。戸川昌子さんが主宰する「青い部屋 月曜シャンソンコンサート」である。

 シャンソンと云えば、銀座にあった「銀巴里」であろう。三島由紀夫や丸山明宏、寺山修司、吉行淳之介などが常連の伝説的シャンソン喫茶であったが、惜しくも90年に閉店している。

 その銀巴里の志を継ぐ場所としてシャンソンが歌われている場所だという(毎週月曜日に開催)。

 おいらがこの店に足を運んだきっかけは、当日の出演者である「斗南(とみなみ)良子」さん(シャンソン歌手)と知己を得たので、彼女のシャンソンを聴きに行ったのである。

 さて、当日は午後6時開場、6時半開演である。おいらの仕事が終わり、渋谷に6時過ぎに到着。ハチ公口から東急デパート本店方向に歩く。

 7、8分もすると東急の裏手に目指すビルがあった。入り口を探すとSARAVAH東京の文字が飛び込んできた(写真上)。

 地下に降りて入り口で入場券(3,500円)を渡す。ドリンク代1,000円を別に支払うと、好きな飲み物に簡単なつまみが付いてくる。

 小屋の中を見回すと、中央にバーカウンターがあり、右手の方向に楽屋、左手にステージである。

 定員約60名のこじんまりとした小屋であることが分かる。いやぁ、こりゃアットホームな感じで様子が良いのぅ。

 楽屋の方角を見ると、斗南良子さんがいらっしゃった。おいらが彼女に声をかけると笑顔が返ってきた。

「あなた、戸川昌子さんを紹介してあげるわ」(この項続く)。


戸川昌子、斗南涼子のシャンソンを聴きに行く(中編)

 戸川昌子さん。伝説の人である。


戸川昌子.jpg


 伊藤忠に勤務していたタイピストであったが、シャンソン歌手となり、銀巴里の出演の合間に書いたミステリーが江戸川乱歩賞を受賞したという才媛である。その後もシャンソンを歌いながら、ミステリーを書き続け、「猟人日記」では直木賞候補にもなっている。

 その戸川昌子さんを斗南良子さんに紹介していただいたのである。お会いして驚いたのは、全てを飲みこむような包容力が彼女にあったことである。しかも、実に気さくな人柄である。

「あら、あなたも小説を書いてるの。頑張りなさいよ」

 とのお言葉をいただいたのである。

 おぉ、国際推理作家協会の日本代表理事であられた戸川昌子様からである。嬉しいのぅ。

 さて、ステージではホスト役であるNEROさんが司会進行を務め、当日のシャンソニスト4名が華麗なシャンソンを披露されたのである。斗南良子さんのほかに岸本悟明さんなども出演されていた。

 さて、いよいよ、おいらの目当てである斗南良子さんの出番である。


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 斗南良子さんの唱は、聴かせるねぇ。

 何よりも彼女の声が素敵なのである。シャンソンに合う地声なんだろうなぁ。

 実は、彼女はキングレコードから「横浜ブルース」を出しているのである(YOUチューブで閲覧可能)。彼女の演歌には味があるのぅ。だが、彼女のシャンソンは、演歌の唄い方にはなっていない。

 パリの愛憎、別離、希望と絶望を唄い上げているのである。彼女の魂はシャンソンに乗り移っている。あのエディット・ピアフのように。

 ブラボー!(この項続く)


戸川昌子、斗南涼子のシャンソンを聴きに行く(後編)

 いよいよ、当日のメインである戸川昌子さんの熱演が始まる。


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 観客席裏手から現れ、花道を通ってステージに上がられる(写真は花道で)。

 ここで再び驚かされるのである。

 彼女は昭和7年生まれ、今年79歳のはずであるが、声が衰えていない!

 しかも、まだ唱が巧い!

 聴かせるねぇ。やはり、好きな唱を歌っていると老けこむのが遅いようである。いやぁ、大したもんじゃのぅ。

 いやいや、まだまだ続く。彼女の活舌も絶好調である。

 実は、当日は国内で江戸時代以来の金環食(金環日食とも呼ぶが、おいらの世代では山本薩夫監督の映画「金環食」のイメージが強い)を見ることができた日である。

 何を隠そう、おいらも自宅の二階窓口からくっきりと金環食を見ることができたのである。

 さて、その戸川昌子さまの第一声。

「今日は一日中、金環食の話だったわねぇ。朝の7時半。

 バカねぇ、寝てるに決まってるでしょ(笑)。

 こうやって長く生きてるとねぇ、あたしは前回の日食も知ってるのよ。

 あれは、たしか、何時代だったかしら(大爆笑)」

 こうやって、客をくすぐるのである。そして、唱で客を殺すのである。さすがにミステリー作家である。


 さて、ステージ終了後、おいらは戸川昌子さま、斗南良子さま、岸本悟明さま、それに当日ご一緒したIさんとご一緒に記念撮影をさせていただくことができたのである。謝々!

 その日は、エディット・ピアフやイブ・モンタンに代表されるシャンソンに満足しながら、おいらはIさんと共に小屋を後にした次第である(この項終り)。


古賀政男音楽博物館(けやきホール)で斗南良子のシャンソンを聴く

 先週の土曜日(12年6月23日)に代々木上原にある「古賀政男音楽博物館(けやきホール)」(写真)で斗南良子さんのシャンソンを聴いてきた。


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 解説が必要である。

 まず、斗南良子さん。

 既においらのブログでも紹介しているが、キングレコードから04年にメジャーデビューされた歌手(演歌でスカウトされたという変わり種)であり、同時に俳句に堪能な才女でもあられる。

 無論美形であるが、何よりも彼女の醸し出す雰囲気が天下一である。己(おのれ)にほど良い充実感を持っておられる、人生の達人である。

 その彼女から「第17回日本訳詞家協会コンサート」のチケットをいただいたのである。


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「世界の歌を美しい日本語で」?

「代々木上原のけやきホール」?

 よくは分からんでござる。

 ま、しかし、彼女が出演されるのだから間違いはなかろうと、代々木上原に出向いた。

 これが大正解。

 閑静な住宅街の多い代々木上原の一角に忽然と「古賀政男音楽博物館(けやきホール)」は現れた。会場(ホール)は国立小劇場を思わす雰囲気である。

 おいらはシャンソンが好きなのだと改めて思ったね。

 今、このブログはシャルル・トレネの「ラ・メール」を聴きながら書いているのだが、欧州大戦前の文化の爛熟には脱帽するしかない。

 文化が煮詰まると、その先に待っているものは破綻なのである。

 いや、順番を述べると、文明と文化が進み過ぎると文化は爛熟するしかなく、そうやって、ローマは滅んだのである。世界に先駆けて爛熟した江戸文化も江戸時代の黄金期である元禄を迎えた後は、破滅するしかない運命だったのである。

 それはさておき、斗南良子さんのシャンソンには聴き惚れた。


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 彼女のご主人は今年の春にお亡くなりになられており(合掌)、彼女がご主人を想って歌われるシャンソン(「悲しみのソレアード」、「スカーフ」)には、それはそれは、魂がこもっている。

 会場は、彼女の歌に感動に包まれるのである。


 おいらの持論は「良いものに触れる」である。この日もそうであった。

 斗南良子さん、ありがとうでござる。



斗南良子、ピーノ松谷のシャンソン・カンツォーネを聴く(前編)

 斗南良子さんのシャンソンを再び聴こうと思った(写真)。


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 このブログでも再三紹介している斗南良子さんのシャンソンである(フリーページ「おいらの好きなもの」斗南良子の欄参照)。

 思い立ったが吉日、町田まで足を運んだ。町田駅のそばに「光琳」というお店があるのだ。

 このお店、普段は、ま、お酒を嗜むところなのだが、日曜日の午後はコンサート会場に早変わりするというのである。

 光琳にシャンソンを聴きに来なさいよと斗南良子さんから云われていたこともあり、先週の日曜日にお伺いすることにしたのである。

 ネットのHPを見ると、光琳はバーかクラブのような雰囲気の店である。そこでコンサートを開催するとあるのだが、バーで行うコンサートというのはどうもイメージが湧かない。

 おいらは半分怖いもの見たさもあり、ホイホイと訪問したのである。

 しかし、これが大正解。

 2時間以上に渡るシャンソンとカンツォーネのライブで、しかも、当日はピーノ松谷(Pino MAZTANI)さんと滝口由美子さん等とがジョインされ、大盛り上がりであった。

 まずは斗南良子さんのシャンソン。


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 毎回思うのだが、彼女は天性の声の持ち主である。特に低音域の声が良い。しびれるのである。ハスキーと思わせながら、実は透き通る声の持ち主である。聴かせる者に心地よさを与えてくれる声なのである。

 その声で哀愁漂うシャンソンを唄われるのである。魂が入っている。おいらは今回も彼女のシャンソンを堪能してしまったのである。斗南良子さん、アリガトウデゴザル(この項続く)。


斗南良子、ピーノ松谷のシャンソン・カンツォーネを聴く(後編)

 昨日からの話しを続ける。ピーノ松谷氏である。


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 ネットでピーノと入れるだけで、「ピーノ松谷」が出てくる御人である。

 そう、押しも押されぬカンツォーネ、シャンソン、オペラ歌手の第一人者である。

 余談だが、ピ-ノ氏は在イタリア歴15年で、イタリア語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、そしてもちろん英語も堪能という海外の事情通であられる。

 イタリア語が母国語同様にお出来になられるので、イタリア語の派生であるフランス語もマスターしておられる。また、氏はスペイン語がイタリア語の方言のようだとのたまわれるのである。

 おいらはこの話を聞いて、遠藤周作を思い出した。遠藤周作もフランス語をマスターするために、イタリア語から学ぼうかと悩んだ時期があったのだ。

 さて、そのピーノ氏、マイクなしで正統派の声楽をご披露されるのである。

 おいらはその昔、クイーンエリザベス2に乗船する機会に恵まれ、船上で布施明を聴いたことがある。そのとき、布施明が広い客席のディナーショーでマイクなしに唄っているのを聴いて、う~むと唸ったことを思い出した。プロはこうでなければいけない。

 しかし、考えてみれば、オペラを唄う歌手は何百メートル離れていてもその声を客席に届かすことができるのだから、それくらいで腰を抜かしてはいけない。

 とまれ、このピーノ氏もマイクなしで迫力満点。おいらは氏のシャンソン、カンツォーネの歌唱力にも圧倒されるのである。

 今の人は知らないだろうが、不謹慎にもおいらはアイ・ジョージを思い出していた。それほどの迫力である。でも、ピーノ氏のファンには怒られちゃうだろうなぁ。

 おいらは思うのである。ピーノ氏は根っからのラテンなんだろうと。何を隠そう、おいらはラテン気質が大好きなのである。

 氏は気さくで、名刺交換までさせていただいてしまった。

 ピーノ氏のネットを拝見すると、多方面でご活躍中である。百聞は一見に如かず。皆の衆、一度、氏のコンサートにまいられよ。

 なお、町田では斗南さんとジョインされることが多いようだ。実際、10月30日(火)には町田市文化祭ライブコンサート(町田市民会館)で二人ともゲスト出演される(入場無料)。

 皆の衆、急げ、町田へ(この項終り)。


再び斗南良子・戸川昌子・NEROコンサートに行く

 11月13日(水)、日本外国特派員協会(有楽町)で「斗南良子・戸川昌子・NEROコンサート(ディナーショー)」が開催された(フランス大使館協賛)。


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 出演は、斗南良子/戸川昌子/NERO、ピアノ・中上香代子、チェロ・諸岡由美子という豪華メンバーである。

 斗南良子さんのシャンソンは、歌うたびに脂が乗っているとでも云おうか。今年の夏には「千夜一夜~時を超えて~」のCDも発売され、実力派の仲間入りを果たしている。

 ま、斗南嬢の良さは彼女の持って生まれた声である。シャンソンの女王エディット・ピアフの歌唱力は素晴らしいが、何といってもピアフはその声ありきだからである。

 その斗南嬢もシャンソンに目覚めたのはこの5年だというから驚きであるが、やはり好きな歌を唄いたいという歌唄いの本能にシャンソンがはまったのであろう。

 さて、今年はエディット・ピアフ没後50年(ピアフ享年47歳)ということで、パリでは命日の10月10日にミサの後に記念コンサートが行われた。

 そのコンサートに日本人の斗南さんがゲストとして出演、日本語の歌詞で唄って欲しいと云う要請に応えて、ピアフの「水に流して」を唄われたのである(写真下)。


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 ところで、日本外国特派員協会でのディナーショーというのは、おいらにとって初めての経験であった。

 よくテレビで放送されているアレである。その会場がレストランとなっているのだが、ここで例えばノーベル賞の田中さんが”Leave me alone”と云ったかと思うと感慨深い(会場の通路には参加者の写真が掲示されている)。


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 とまれ、この日は、戸川昌子さん、NEROさんも登場され、シャンソンの良さを堪能した次第でござる。えがったのぅ。


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 最後に。それにしても、戸川昌子嬢は達者である。シャンソンも筋金入り。御年うん十歳には思えないヴァイタリティである。良いねぇ、戸川昌子ちゃ~ん。



昭和美女談義

 本日から3回に渡り、「情報の缶詰」(関ネットワークス。07年4月号)に掲載された昭和美女談義をお贈りする。


昭和美女談義(前編)

 文芸春秋の2月号が「昭和の美女ベスト50」というのをやってのけた。

 ランキングは、読者による投票によって決めている。総票数は、7,458(男4,808、女2,650)であった。


小百合様


 その結論から述べる。

1位 吉永小百合(1,412票)
2位 原節子(1,315票)
3位 山本富士子(824票)
4位 夏目雅子(346票)
5位 高峰三枝子(211票)
6位 高峰秀子(194票)
6位 若尾文子(194票)
8位 岸恵子(164票)
9位 森光子(138票)
10位 田中絹代(127票)

 成る程と頷ける順位ではある。しかし、戦後生まれとしては、高峰三枝子、 高峰秀子、森光子、田中絹代の全盛期のイメージがわかない。

 したがって、おいらが物心のついた10歳である昭和35年以前に全盛期を迎えた美女を除外し、堂々50位までをランキングすると、

13位 山口百恵、15位 黒木瞳、16位 司葉子、17位 佐久間良子、20位 山口淑子(李香蘭)、22位 山本陽子、23位 竹下景子、松坂慶子、
25位 岩下志麻、28位 松原千恵子、30位 浅丘ルリ子、31位 藤純子、藤村志保、34位 栗原小巻、35位 宮沢りえ、36位 櫻井よしこ、42位 阿川佐和子、45位 三田佳子、大原麗子、壇ふみ、沢口靖子

となる。

 しかし、おいらの世代で入っていない美女が多数いる。ここでも団塊の世代は無責任なのだ。こういう投票には、まったく見向きもしない。

 おいらの学生時代の「創作ノート」(この頃から作家になりたいという夢を持っていた)による美女50人によれば、上記の美女のほかに、

 内藤洋子、酒井和歌子、吉沢京子、ピンキー(今陽子)、岡崎友紀、新谷のり子、奈美悦子、樫山文枝、本間千代子、園まり、朝丘雪路、西田佐知子、加賀まり子、柏木由紀子、小川知子、尾崎奈々、奥村チヨ、石田あゆみ、金井克子、和泉雅子、沢たまき、浅野ゆう子、名取裕子、古手川祐子、天地真理、美保じゅん、田中裕子、宮下順子、新藤恵美、倍賞美津子(順不同)がいる(続く)。


昭和美女談義(中編)

 ところが、調べて見ると、おいら達の世代の美女は、まだまだ沢山いるのだ。

 多岐川裕美、生田悦子、野添ひとみ、野際陽子、島崎雪子、池上季実子、北原三枝、緑魔子、岡田茉莉子、星百合子、鰐淵晴子、大信田礼子、坂口良子、富士真奈美、梶芽衣子、志保美悦子、関根恵子、原田三枝子、高島礼子、江波杏子、太地喜和子、池波志乃なども捨て難い美女である。

 それに最近であれば、あの妖艶な杉本彩も捨てきれないだろう。作家の桐野夏生もいい女である。こうしてみると、この手のランキングが如何にいい加減かということが、良く分かる。

 蓼食う虫も好き好きである。


内藤洋子


 そこで、おいらの好きだった美女の変遷を考えてみる。

 幼稚園に入る前は島倉千代子のファンであった。ラジオから流れる「からたち日記」を聞きながら、幼心に島倉千代子と結婚したいと思っていたものである。ませたガキだったのである。それが、小学生に入り、今度は守屋浩の「ありがたや節」を聞きながら、本間千代子の大ファンとなる。彼女は地味ではあったが、団塊の世代の隠れたアイドルではないかと、今でも密かに思っている。

 中学生では、園まり一辺倒。中尾ミエのあのおきゃんさも悪くはないが、園まりの唄う「逢いたくて逢いたくて」は絶品である。高校生になってからは、吉沢京子、ピンキーと松原智恵子。今陽子にしびれたのは、健全な肉感的なところである。しっとりさ、では、誰が何と云っても松原智恵子である。

 大学に入って、内藤洋子(写真)の清楚さにまいってしまう。この頃の吉永小百合は、まだ嘘くさい感じがしていた。その後、社会人になってからは、壇ふみ、由美かおる、吉永小百合という軌跡を辿ることになる。しかし、おいらの美女遍歴には全く脈絡がない(続く)。


昭和美女談義(後編)

 吉永小百合が美人になったのは、彼女が40を超えてからである。本当に良い女というのは、年増だと遅ればせながら気付いたのである。自分が年齢を重ねることによって、許容範囲が広がったのである。太地喜和子のような女が本当の美女だと気付くには、年季が必要なのである。

 ところで、以上の美女に実際に会ったことがあるのかと考えてみると、当然のことだが、驚くほど少ない。

 おいらの場合、吉永小百合、阿川佐和子、壇ふみ、岸恵子、桐野夏生様にはお会いしている。

 もっとも壇ふみとは、新宿の映画ロケでの目と鼻の先での観衆の一員にしか過ぎず、その他はいずれも著者サイン会でお会いさせていただいたに過ぎない(そういえば、小林麻美、林寛子とピンク・レディも、目の前の至近距離で見たことだけはある)。


由美かおる1


 残念なことに、由美かおる様はこの肉眼では見ておりませぬ。

 長生きすることは、現代では不幸なことである。しかし、好々爺になって死ぬ前の土産に、これらの美女にもしお会い出来るとするならば、それは長生きして良かったと思う証左でもあろう。

 こうしてみると、日本の美女も捨てたものではない。世界に伍して美女を誇れる国である。あなたもあなた自身が好きだと思う美女(女性の場合は美男)を考えてみたらどうか。

 美女探索は、それはそれは、心がときめく時間である。


春の花

 年を取って好きになるものに花がある。


春の花


 若いときは普通、花になど興味がない。

 そりゃ、そうだろう、いい若い衆が花を愛でるとしたら、それを商売としているか、さもなければオタクである。まかり間違えれば、イジメの対象にもなる。

 人生は短いのである。興味のあるものは無数ある。花の優先順位は低くならざるを得ないのである。

 しかし、年を取ると変わる。花鳥風月に憧れるようになるのである。

 何故か。

 理由は同じである。人生は短いからである。

 世の中にこういう素晴らしいものがあるということを知らずに死ぬ訳にはいかぬからである。

 そういう観点からものを考えると、女性は小さい時から花が好きである。

 男よりも女は遥かに人生の楽しみ方を知っている、と云えるのかも知れない。


スマイリー小原、没後31年(前篇)

 今はもう知る人も少ないだろうが、昔は「キャバレー(フランスでの酒場の一種)」というものがあった(写真はスマイリー小原)。


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 ピンクキャバレーのことではない。れっきとしたキャバレーのことである。

 力道山の時代の「コパカバーナ」はナイトクラブだが、あのイメージを思い出してもらうとよい。と云っても、赤坂のコパカバーナももう死語なのだろうが…。

 何が云いたいのか。

 そう、昔のキャバレーにはダンスホールや舞台があり、専属のフルバンドというものが入っていたのである(キャバレーがフルバンドを抱えていた)。フルバンドがあって初めて本物のキャバレーだったのである。

 嘘だと思う人は昔の日活映画を観るとよい。赤木圭一郎や宍戸錠はキャバレーの画面で登場するのである。

 さて、その中に米軍を相手に演奏していたバンドがあり、有名だったのが「ブルー・ノート・セブン」を結成していたスマイリー小原であったのだ。

 彼はれっきとした日本人であったが、あの顔つきである。日本人離れしていたので、アイルランド人のハーフを自称していた。

 そして、いつもニコニコしていたので「スマイリー」、本名は栗原だったがスカーレット・オハラにあやかり「オハラ」というアメリカ人になじみのある苗字を芸名としたのである。

 昭和33年、渡辺プロダクションに入り、「スマイリー小原とスカイライナーズ」を結成、指揮者をつとめる。一躍テレビの寵児となる。

「ザ・ヒットパレード」、「シャボン玉ホリデー」などにレギュラー出演し、あの陽気なキャラでツイストやドドンパを踊りながら指揮をするスタイルで人気を博した。

 だって、いつ見たってあの顔で踊りながら、しかも、前を向いたまま指揮をしているのだよ。歌手より目立つよ~。さらに、顔が濃い。

 当時のおいらは、子供心に胡散臭いというイメージを持っていたなぁ(この項続く)。


スマイリー小原、没後31年(後篇)

 ところが、最近ひょんなことからYOU TUBEでザ・ピーナッツを観ていたらスマイリー小原が指揮をしており、ピーナッツよりもスマイリーに見惚れてしまったのである。


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 いやあ、あの指揮は芸だと唸ってしまった。スバラシイ!! 胡散臭さは残るが…。

 しかし、スマイリーはいつの間にかパッタリと見なくなっていたのである。

 そこで調べてみると、今年は没後31年だと知った。ゲゲ!

 彼は、横浜市出身で大正11年生まれであったのだ。おいらの親父より一つ上の生まれである。今、生きていれば93才の年齢である。

 昭和16年映画俳優になり、大船撮影所で大坂志郎と同期になるも翌年召集され中国戦線へ。昭和20年敗戦後、ソ連軍の捕虜となる。

 昭和22年帰国後、バンドを結成し、11年間米軍相手に演奏。その後、「スカイライナーズ」を結成し上記のとおり「シャボン玉ホリデー」などでレギュラーを長く務めた。

 昭和57年バンド解散後は喫茶店、クラブを経営したという。その後すぐの昭和59年4月に他界。享年62才。

 キャバレーの全盛時代は、昭和40年代前半までだったような気がする。おいらは48年入社なので、残念ながらキャバレーにはあまり馴染がない。

 だから、フルバンドの需要はその後テレビを含めて無くなったことが予想されるのである。今ではテレビであってもフルバンドなど観ることはまずない。安い予算のカラオケとちゃちな踊りでごまかすのがオチだ。あの紅白だってもはやフルバンドなど使わないのである。

 こうしてみるとスマイリー小原は忘れ去られる、いや消え去るご時世なのである。また一つ、昭和の文化が消えていたことに気付く(この項終わり)。




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