2024/11/08(金)12:48
ドイツ文学者の「池内 紀」にハマる
ドイツ文学者の「池内 紀」にハマる
フランス文学が好きなので、ドイツ文学はほとんど齧ったことがない。
ところが、今はドイツ文学者の池内紀(いけうち おさむ)にハマっている。
写真上の「なじみの店」はその池内の書いたエセー集である。
これが滅法面白い。一言で表せば、人生哲学の本である。人生とは哲学のことであるから同義語を重ねただけであるが、昨今は哲学のない人生を多く見受ける。だから、人生哲学でいいと思う。
実は、この本はおいらの敬愛する某氏から誕生祝にいただいたものである。池内紀のサイン・イラスト入りでもある。
その某氏は人品骨柄申し分なく、同時に博覧強記であり、おいらが先日カキコした参謀役に相応しい人物と言っても過言ではない。
氏によれば、池内紀によるカフカの翻訳が岩波文庫より出版されており、向井敏が池内の新訳とそれまでの翻訳とを比較引用して、池内の新訳を「カフカの簡潔な新訳」として賞賛とのことである。
向井敏が賞賛するのであれば、本物である。
ところが、博覧強記の某氏の解説は続く。
ドイツ文学界の中では池内の翻訳には誤訳があるとの指摘があり、どうも池内は好き勝手に翻訳をしているように思われる節がある。しかし、某氏は、これは翻訳者の特権かも知れないと池内に好意的な評価をされるのである。
慧眼である。
林 望によれば、彼は翻訳を読まないとのことである。それは翻訳には限界があり(異国の文化風習と日本のそれとは違う。また、時代も違う。「役に立たない読書」、林 望、2017年、集英社インターナショナル新書、57頁以下)、考えてみれば、そもそも日本語には主語がない文章が多いが、異国では主語は必須である。さもありなむ。
だから、おいらも翻訳ものは原典とは別のものだと割り切ることにしている。そうであれば、翻訳者の特権を認めてもよいではないか。
そういうことを某氏に教えてもらいながら、この池内のエセーを読むとまたひときわ味わい深い。人生とは、まさしく哲学であるのぅ。