カテゴリ:仏の心
今日主人が呟いた言葉。 娘が登録しているモニターの仕事の依頼がきて、 「某書店でお客の振りして○○を売ったときの店員の対応をレポートする」というものに反応した夫。 「やめとけ。人の悪口を言ったら、自分にかえってくるからな」とポツリ。
去年だったか、父が私や二女の帰宅後の負担を減らそうと犬の散歩をしてくれていたのに、それを夫が知って、自分の犬を勝手に散歩させていたと立腹。 父がやることは、なんでも許せないという夫のわがまま。 それっきり、父は犬の散歩に行かなくなったのだけど、 今日になってはじめて 二女が勉強で忙しくなるし、私も疲れ気味なのを配慮してか 「犬の散歩は、明るいうちにおじいちゃんに頼んでいってもらったら?」 という。 ついでに書けば、お芝居好きな私に 勘三郎さんは近頃関西でお芝居をされないから東京でしかやらないのよねと呟くと、 「じゃあ、東京まで見に行ってもいいんじゃない?」と言ってくれた。 二女も行きたい!と言うと、 「君は、だめ。試験が終わるまでダメ!余計な事は考えない!」 と釘を刺されていた。 何かがおかしい。くすぐったい。 だけど、嬉しい。 これまで「おじいちゃんに頼んだら?」なんてことを自分の口から言わなかった人だっただけに、それに返事はしないままにあとで 娘が私に 「お父さん、今日はどしたん?悟りでも開いたか? これまで、全部お父さんが原因でややこしかったのに、何?あれ?」 と言ってきた。
ふふふ。 確かにそう。
夫が私の父に対して、無礼な事をしてきたけれどあえて 見て見ぬふりを通した。 そのことで、後で夫の事を悪く言うでもなく、すべて見ないふりしてやり過ごした。 そして、始終 「なかよく」できるわけがない。 揉め事もよいこともすべてひっくるめて家族なんだと思うようになってからは、あまり難しく考えないようになってきた。 だから、主人の母がこちらに来ても、自分の親と変わらず親しみをもって接してきた。
決して見返りを求めず。 心に根を持たずして、遣り通してきた。 誰のためでもない。 あの世へ行ったときに、私を見守ってくれた仏様達に褒めてもらえればいいかな。 それにしても、主人の言葉に「悟り」があったという、記念すべき日でした お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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