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2018/05/12(土)04:56

謝れば済む話だがネットでは逆効果

ニュース(1292)

謝れば済む話だがネットでは逆効果 先日、キリンビバレッジの公式Twitterアカウントが炎上した。 発端は、今年(2018年)4月26日のツイートだ。自社の「午後の紅茶」を飲んでいそうな女性像として風刺をきかせたイラストを投稿したところ、猛反発を受けた。「客を馬鹿にしている」「女性蔑視だ」といったリプライが相次ぎ、なかにはキリン製品の不買を表明する人も出てきた。 これを受けて同社は5月1日、当該ツイートを削除するとともに「お客様にご不快な思いをおかけし大変申し訳ございませんでした」と謝罪した。しかし一度ついた火は消えない。この削除・謝罪ツイートに対して「なぜ削除したのか」「経緯の説明がない」といった批判が集まり、さらに燃え広がることになってしまったのである。 この一件、元の投稿の是非はさておき、事態収拾の方法はネット的に悪手だった。 同社の公式アカウントはいわゆる「軟式」で、問題となった投稿もおそらくフォロワーの笑いを誘って話題を作ろうと意図したものに違いない。だが、ツイートの削除や謝罪という一連の対処が、無難に事を収めようとするかのような慇懃無礼なものだったため「虫が良すぎる」という印象を第三者に与えてしまったのだ。 例えば、会社として軟式アカウントの活動縮小を視野に入れて謝罪しているのなら、あながち間違いだとは言えない。しかし、そうでない限り、少なくともネット上でこのやり方は通用しにくいだろう。 前回でも述べたように、ネットで炎上を避けることは極めて難しい。肝要なのは、なるべく「延焼」させない努力だ。とはいえ、先のケースように「炎上したら謝ればいい」とだけ考えていると痛い目に合う。むろん謝罪そのものは間違いではないのだが、謝罪は謝罪でしかない。「謝罪している」ということしか伝わらない。通り一遍の謝罪なのか、心から反省しているのか。ネットでは、その発言の本意までは伝わらない。 ここで思い起こしてほしいのが「人狼ゲーム」だ。●人狼ゲームから得られる教訓 あまりにも有名なカードゲームなので詳しい説明は省くが、要はプレイヤーが「村人」と村人になりすました「狼」とに分かれ、自らの正体を隠しながらディスカッションを通じて正体を探っていくゲームである。 ゲームの進行中、村人も狼もともに「自分は村人である」と主張するのだが、誰が本当のことを言っているのかは分からない。嘘をつくことはもちろん裏切りや同盟もルールとして認められている。 このとき村人役のプレイヤーは、自分が村人であることをそのまま主張すれば良いと思ってしまう。受け取り側が誤解するのは疑い深すぎるのが原因だと。ともすれば「本当なのにどうして信じてくれないのか」と感情的になってしまいがちで、かえって自分の本意から遠ざかってしまう。 対する欺く側の狼プレイヤーはどうか。狼の語ることは嘘なのだが、受け取り側が納得しやすい話は何なのかをいつも考えなくてはいけない。このため主張がいかにもそれっぽく、分かりやすくなるはずだ。 「人狼ゲーム」においては、相手が納得できるような説明をすることが最も重要なのだ。 ネット上での振る舞い方も、これと同じではないか。いくら本当のことを「本当だ」と言ってもそれだけでは伝わらない。人は、自分に悪意がないことを正直に伝えてるのに疑われるのはおかしいと思いがちだが、そうではない。 必要なのは、いわば「狼の技術」。聞き手が自分の話をどう受け取るか、第三者的な視点がつねに必要になる。相手が腑に落ちる説明とは、そういうものだ。 もちろん、嘘をつくことを推奨しているわけではない。どんな場面であれ嘘や誤魔化しは禁忌だ。企業アカウントともなればなおさらだろう。 2017年10月28日、ミスタードーナツの公式Twitterアカウントが競馬予想ツイートをしてフォロワーを驚かせるという騒ぎがあった。当初はアカウントの乗っ取りが疑われたが、同社は投稿業務を委託している運営会社の「誤爆」だったと説明し、謝罪。ツイートを削除した。 「腑に落ちる説明」には違いない。会社としては正しい対処だった。が、これがまた炎上を招くことになった。公式アカウントの「中の人」が社員ではなかったということが明らかになって、フォロワーを失望させてしまったのだ。 ソーシャルメディアの運用を社外のプロに任せることは決して悪いことではない。炎上への備えという面では、むしろ正しいだろう。しかし、社員だと思って接していたフォロワーにとってはどうか。「誤爆事件」で初めて外注スタッフだと知ったユーザーが裏切られたような気持ちになったのはよく分かる。 つまり「黙っていたら分からないだろう」という運用方法が不味いのだ。ユーザーを舐めていると受け取られても仕方がない。外注スタッフに委託するにしてもそれを誤魔化すのではなく、もっと他に良いやり方があるはずだ。 知らず知らずの失言や非礼な振る舞いも、相手が友人知人の場合なら平謝りだけで許されるかもしれない。ちょっとした誤魔化しが処世術として黙認されるのも、ごく限られた人間関係のなかだけにとどまるだろう。 われわれはせいぜい、そうした数人数十人クラスの「町内」で暮らしていくためのノウハウしか持っていない。その同じノウハウが、ネット上の数千数万の人々を相手に通用するはずがない。 ネット社会で暮らしていくためには、明らかにこれまでとは違うノウハウが求められる。もしかするとこれからは、子どもたちに幼少期から「人狼ゲーム」に親しませ、相手がどう受け取るかを考えられる客観的な視点を身につけさせるべき時代なのかもしれない。 もはや「常識」は変わってしまったのだ。 この記事の著借権はITmedia NEWSが2018年5/11(金)の16:35に配信しています。

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