同じ土俵にあがらない
息子が幼稚園に入園してからというもの、母も子も新しい生活に慣れたようで慣れていない・・・というなんとも気持ちわるい感じのこの頃。幼稚園での生活は比較的うまくいっているようなのだが、降園後、帰宅してからがなんだか微妙に今までと違うのだ。幼稚園でがんばっているんだから家では甘えさせてあげよう。少しくらい荒れたって全て受け止めてあげよう。そんなふうに思い、そんなふうに接するつもりだった。しかし、ヤツは手ごわかった。イヤイヤ坊主の扱いには慣れっこになった母だったが、近頃の息子はなにかとつっかかってくる。怒らせたいとしか思えない言動の数々、挑発的なのであった。それでもまぁ高々4歳の小童の挑発なのだから、33歳の大人の女としては「ハイハイ」と笑顔でかわすべきであったのだが、最近の母さんはコンディションが悪かった。精神面での。幼稚園という見えない環境で息子がどんなふうなのかを案じるあまり、心配になり、不安になり、こんなに挑発的なのはきっと幼稚園が負担になっているのではなかろうか?いや、きっとそうだ・・・という思いにとらわれた。幼稚園に行くことを決断したのはほかでもない私である。いまさら失敗したなどとは絶対に思いたくない。そんなちっぽけな意地みたいな気持ちでいっぱいだった。そんな気持ちと、発達の病院で新たに告げられた診断についていろいろと考えるところもあり、母さんは不安定だった、そしてイライラしてしまっていた。乗ってはいけない挑発にまんまと乗り、息子に売られたケンカは全てガチンコで買っていた。愚痴ってはけないと思いつつ、夜、ビールを飲みながら夫と息子について話をした。同じ土俵にあがってどうすんの?同じ視線でいるからイライラするんだよ。子供なんだし障害もってるんだから息子がそういう態度に出るんだから拒絶の言葉を真に受けてどーすんの?もっと上から「教えてあげよう」って視線でみればいいじゃん。と言われた。そういえばずっと「同じ土俵」だった。そして負け越してもいた・・・。でも、同じ視線でい続けられるのもある意味すごいよね。とフォローなんだかよくわからないことも言われた。息子の言葉の発達の遅れに気づいた頃、いろんな勉強会で話を聞き、「気持ちを共有することが大切」だということを知り、それからずっと息子の視線になってものを見るように意識していた。どんな気持ちなんだろうと想像し、察することに必死だった。息子の気持ちに寄り添うように心がけていたつもりが、いつのまにか、同じ土俵で戦っていた。今までの母さんの思いやしてきたことは決して無駄じゃなかったと思うのだけれど、成長の段階からして、もう同じ土俵からは出て行くべきなのだろう。そして、体型も・・・お相撲さんから脱却したいものである。