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2018.03.22
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{津軽半島日本海側竜泊ライン。奥に見えるのは義経伝説や鮪の水揚げ、青函トンネルや津軽海峡冬景色で有名な津軽半島の最先端竜飛崎。}
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歴史に興味のある方なら一度は耳にした事があると思われる‘徐福’。
自分の個人的な歴史観では、歴史上最も成功し偉大で優れ一度に巨万の富を手にした詐欺師。という感じです。
どれほどの財を騙し取ったかは定かではありませんが、これほどの大博打を成功させたのは歴史上もしかしたら徐福ただ一人ではないかと推測いたします。
今で言う中国大陸を始めて統一した秦の始皇帝さんが、絶対君主の厳格な政治主導の下、永遠に自分がトップとして君臨し続けるために願った不老長寿。
それを現実にするために色々と捜し求めたものの一つが‘仙丹’。当時不老不死になると信じられていたそうです。
現代のように科学的にいろいろなものが解明され、夢もロマンもなくなってしまえば、皆既日食が神の怒りだとかオーロラが悪魔の祟りだとか誰も言う人はいないだろうし、巫女や霊媒師の類の方々が活躍する場面もめっきり少なくなったと思われますが、昔は祈祷師・呪術師達が時の皇帝を動かす力があったようです。
{竜泊ラインにの道筋にある七ツ滝。ドライブの休憩や涼を求めるにはいい場所です。}
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仙丹(不老不死の薬)は、渤海の海中にある三神山、そこに住んでいる仙人が仙丹を作り不老不死の薬を持っているといわれていたそうです。始皇帝はこの神仙にいたことがるという方士(不老不死の薬を作れる道士)徐福に仙薬を求めて参れと命じた。三神仙とは勃海に多発する蜃気楼を神山に見立て海上神仙信仰・山岳信仰などを結びつけた架空の島山であり、仙人が住んでいる霊山と言われた。その一つが日本だといわれているそうです。
BC219年、始皇帝(40歳)の時自分の作った法律が守られているかどうかを確かめるために国中を巡幸し斉の国(山東省地方)で徐福(59歳)と会ったそうで、そこで命を下した。中国山東のロウヤ台には徐福が‘始皇帝より仙薬求めの命を受ける’の石造があるそうです。徐福は「不老不死の仙薬を求めてまいります。童男童女三千人と船、五穀・財宝、各分野の技術者を用意してください。」と進言した。始皇帝は大いに喜び不老不死の仙薬を求めさせた。という事だそうです。
{小泊の海岸線沿い。天気のいい時はとても清清しさを感じる景観です。}
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「史記」や「項羽と劉邦」を読んでおられる方々ならこの辺の話はご存知だと思いますが、このイカサマ徐福さんをどのように捉えるかはそれぞれの歴史観だと思います。
ちょっとした資料を拝見すると日本全国各地に徐福伝説があり、もちろん朝鮮半島や本家の中国にも徐福の像などは沢山あるようです。ご興味のある方はお調べになるといいと思いますが、青森県小泊の徐福伝説は「中国を統一した秦の始皇帝に仕えた徐福という人が、始皇帝の命を受け東海島(日本)の蓬莱山に有ると言う不老不死の仙薬を求めて秦を出航、対馬海流に乗って日本海を北上し津軽半島権現崎に漂着したという伝説。」
{権現崎南側からの景観。中央に迫り出した岩がライオン岩と呼ばれ、その首筋に走る橋がライオンベイブリッジと名づけられています。橋がなかった頃は崖伝えに旧道が走り画像の景色を眺めながらのドライブはスリルがありました。}
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諸説多々あるようですが、日本全国にある徐福伝説の多くも同じようなものらしいですが、平安時代末期から室町時代にかけて貴族や僧侶が「史記」を読んで伝え、更に修験者の本拠地熊本の霊地に伝わり、熊野信仰を広めた修験者達が全国に伝えたのではないかという見方と、以前から徐福伝説があった地を修験者が尋ね、その地を修行の場所、聖地として巡国布教させたのではないかとも言われているそうです。
通説ではBC208年2月8日富士山にて死去70歳。墓は富士吉田市、熊野市、新宮市、佐賀市などが名乗りを上げているようです。もうそうなればついでに、青森市も大間町も弘前市も五所川原市も八戸市も何処でもいいから像と墓を作ってしまえばいいのではないかと感じてしまいます。
ロマンがあるのはいいのですが、あまり何処にでも同じような伝説があれば詐欺師にあってるようなもので、またそこがペテン師徐福さんの偉大なところかもしれません。
{権現崎のシンボルの一つライオン岩を北側から見たところ。}
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{ライオンベイブリッジ中央にたたずむ有翼スフィンクス。ライオン岩や権現崎と何の関係性があるのかは不明。権現崎がパワースポット・山岳信仰の聖地と言うことからかもしれません・・・。が、毎回感じるのはいろいろなところを巡っているとネーミングとかオブジェとかがオリジナル性を感じないのがどうかと思う・・・。}
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諸説あり過ぎて何がなんだかよく分かりませんが、青森の小泊の薀蓄とすれば、長崎半島野母崎と並んで日本二代名崎と称される権現崎の断崖絶壁の絶景地と言う環境に平安時代・大同2年(807)建立の尾崎神社があり木造の徐福像があることや日本では舟をこぐ櫓は左が多いのに、九州有明の一部と小泊の下前地区では右櫓である事。これは漁師の守り神である権現崎の尾崎神社に海上安全と感謝の姿を現していることと、神社に背を向けては失礼に当たるということ。中国が右櫓であることから徐福が伝えたのではないかとも言われているそうです。
{ライオン岩越えたところに有る公園内の枯山水のような自然の造形美。公園として整備される前は海岸線で満潮時には海にすっぽり入った場所でしたが、今は人工的に囲われて保存されました。}
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日本の徐福伝説は何処まで本当か信憑性に低いものが多いようですが、本家の中国では明確な資料史実がいくらか残されているようです。
自分の手元の資料によると、徐福の出生についてもBC278年斉の徐福村生まれ(江蘇省連雲港市)、貴族の家柄で育ち秀才だったが、秦の政(始皇帝)に斉は滅ぼされ併合され、秦の瑯邪台に住み徐は姓で、名は福。身分(職業)は方士(道士)といった呪術師、祈祷師、薬剤師など。現代風言えば、天体、気象観測、医学、薬学などのエキスパート。BC278~BC208没70歳。1982年の調査で徐福村が発見された。
残った親族は「徐」の名では殺されるので、秦時代では王、劉、偉。日本では秦、羽田、波多、福岡、福島、畑、福山、などの姓を名乗る。後に秦国滅亡のため何を免れた。との事。
中国の歴史書は自分の私観では信頼性が「どうかな?」というものが有りますが、その中では「史記」はいくらか改ざんされた痕跡が見受けられるが信憑性が歴史書の中では高いこと。と秦の時代、税の徴収や労役、万里の長城や阿房宮などの宮殿、巡幸の為の道路建設、陵墓の建設などを絶対的確実に行うため細かな戸籍をもうその時代に取っていたことが研究から明らかになっているので、徐福の出生などについては確かなようです。
{徐福像。撮影時はちょうど町でやっている徐福祭りが終わったところで片付け作業の為、像の全体像景観が見えない状態でした。}
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なぜ徐福さんが時の絶対的な巨大な権力者を前に大博打に出て詐欺師になったのかといえば、秦の統一によって自分の斉の国が滅ぼされ、徐家一族が重税と労役などの悪政に苦しむことが明らかなため、神仙思想に没頭している始皇帝の不老不死欲求を巧みに利用し、巨額の資金を出させ始皇帝をあざむいての命がけの集団亡命だったという説も有るそうです。歴史学者・専門家でも無い自分が示すのも無責任ですが、なかなかこの説にはもっともだと感じるのは、徐福さん一人もしくは数人ではなく大勢の将来有る若者をも引き連れていること。斉の国の若人・一族郎党だったかは記述は無いが、その可能性は高そうだと推測できそうです。五穀・財宝を独り占めにはしていないのではないかとも感じます。もしかしたら、財宝目当てに旅の途中多くの若者を虐殺し、もしくは航海中に海に破棄したかもしれないが、苗字を変えていること、その苗字が今でも多く残っていること、全国各地に多くある徐福伝説はその子孫が広く散ってもたらされた伝承かもしれないということも推測できそうです。
そんな感じに勝手にロマンを拡大させてると、徐福さんは偉大な賢人だったのではないかと想像もしてしまいます。
命をかけて自分の一族や斉の民を救った功労者だったかもしれません。
近代ではナチス支配下で実在した、1000人を越えるユダヤ人を救ったシンドラー夫妻を越える偉業かもしれません。
始皇帝から幾らせしめたのかは判りませんが、数千人の生活をまかなったなら一人当たりの財は大した事無いし、無事に蓬莱山(日本)に着いてみんなで飯が食えなくなったら「それぞれ自分の土地を持ちそこで食いつなげ。」と支持していれば全国に話が散ってもおかしくないな~。などと妄想や想像力向上の練習にもなります。
歴史書の中ではほんの少ししか登場しない徐福。けれども中国・朝鮮半島・日本全国各地に伝説、話題を提供しているのはなかなかのタレント性を感じます。史記と言う歴史書がずいぶん古い時代に書かれているいるのに、その後の歴史書や近代書より信憑性が高く読んで面白いということが上げられると感じます。
{権現崎から日本海を望む。一番右端中央にかすかに見える山は津軽平野のシンボル岩木山。}
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史記などの歴史書を読んで小泊・権現崎周辺をドライブするとより楽しさも増しますが、何も知識も歴史観もなくてもこの一帯の景観を眺めるのはとっても楽しいものです。是非お天気のよい日に足を運ぶことをお勧めいたします。

津軽割烹店主話もご覧ください。
ヤフーブログ’食の桃源郷 青森‘もご覧ください。
ライブドアーブログ‘世界に誇れる青森の郷土料理’もご覧ください。






Last updated  2018.03.29 22:30:12
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