ことこと@チェンマイ! タイ移住ドキュメント&北タイ通信♪

2007/11/14(水)23:25

シリーズ:「日本」ってこんなだっけ!?(最終回)

で、日本はどうよ?(49)

またかよ!?と言われそうですが、日本にいます。一時帰国のたびにこのシリーズを書いていると本ブログの趣旨がおかしくなってしまいそうなので、一旦今回で打ち止めにします。次回からは隠密裏に帰国することになりますので、Tui☆Bangkokに襲撃される危険のある方々は以前にも増して「いきなり」度が上がりますので、何卒ご容赦ください。 今「首都圏の某都市」に出張で来てます。ここに来るのは何年ぶりだろう!?わたしの人生のターニングポイントになった時期の感慨のある思い出の土地です。もともと地味で堅実な性格で、目立たず事を荒立てず、をモットーとしていたわたしが人生で初めてハチャメチャでやんちゃに暴れまくった場所です。 昔いた会社で「ある人物」の不正行為をたまたま摘発して糾弾したところ、それが実は会社の中枢部が主導していた極めてダークでアンタッチャブルなゾーンであったらしく、わたしはアッという間に「地方都市」の自分の経歴と全く無関係の部門に「左遷」という憂き目に・・・。それまで無難に生きてきたのにこんなテレビドラマみたいな展開になっちまって、真面目に控えめに生きてきたのがアホらしくなりました。左遷先ではひとが変わったかのようにグレてしまいましたね。総務部門をはじめとする会社の多くの方がわたしに同情的であったためもあって、わたしがゴネればゴネるほど規定にない「特別手当」を次々と支給してくれたこともあり、わたしは言ってみれば「ひとりバブル」の状態で、濡れ手に粟の金で放蕩の限りをつくしました。相当ムチャをしたもので、周囲や家族(当時の・・・)に与える影響も甚大でした。わたしに同調して堕落した結果、その後転落人生を歩んでしまった可哀相なな若者も・・・。いい歳をしてアタマん中はチュー学生並のマインドであったため、ひとに迷惑をかけておきながら歓楽街の裏通りまで知り尽くしちゃってることが自慢で仕方ありませんでした。本当アホですよね。今まさにその勝手知ったる「裏通り」に滞在しています。ちなみに左遷させられた「地方都市」と今いる「首都圏の某都市」は別の場所です。カラクリが複雑なので説明は省略しますが、その「カラクリ」が「濡れ手に粟」の原資のひとつでありました。 その後ほどなく本社復帰し、そして退職、転職を重ねてますので「ひとりバブル」は当然のごとく崩壊し、負債こそ抱えてませんが当時に由来する「浪費癖」はいまだに直ってません。左遷先の「無関係」だった業務がなんとなくその後の自分の「本領」となり、それが今自分がタイでビジネスをする原資になっているわけですから人生なにがいつどうなるかわかったもんではありません。状況に流されているだけって声もありますが・・・ 今ターニングポイントの場所で懐かしく感慨に浸っています。ここ昔なんだっけ?というほど変貌してしまったところもありますが、やんちゃをする前後によく行った小汚いラーメン屋は全く変わらず健在で、仕上げにのっける海苔の湿気り具合まで昔のまんまです。同じようにおろしニンニクを山盛りぶちこんで周囲の顰蹙を買ってみたりします。ここでこうして懐かしいニンニク臭プンプンのラーメンを啜っていると、ガキっぽかった頃の自分のマインドが思い出されて笑ってしまいます。 今は立場も変わって反抗期ごっこをしている場合ではありませんので、自分の元来の性格通りに地道で石橋を叩いても渡らないような仕事ぶりです。疲れると翌日の業務に影響があるからと、ハチャメチャに遊ぶこともありません。さらに、プロジェクトは長丁場なんだからと、肝心の仕事自体もあまり無理をしないように自制(悪く言うと手抜き)している気配すらあります。 昔この場所で暴れてたころは「馬鹿一直線」だったけど、遊びも仕事もフル回転だったなあ・・・。目いっぱい遊び狂って盛り場から出勤なんて日常茶飯事だった。そこからノンストップで深夜まで勤務しても平気だったし、それが大変だったと感じた記憶もない。「あの頃」に戻ることは不可能だし敢えて戻りたいとも思わないけど、「この場所」での思い出は間違いなく今の自分の「原点」です。 そこから何年かが経過し、最近ではすっかり逡巡が激しくなって、常に「できない言い訳」を探している自分がここにいます。 「自分ってこんなだっけ!?」 という厳しい問いかけを自身につきつけなくてはいけません。 今のままでいいわけはありません。「思慮深い」より「馬鹿一直線」のマインドで何事にも取り組まなくては、「この先」はないかも知れません。 ただし家族には迷惑をかけないように・・・・

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