ことこと@チェンマイ! タイ移住ドキュメント&北タイ通信♪

2014/01/23(木)10:29

読了:『永遠の0』/百田尚樹

よもやま(56)

3回連続にて「百田尚樹」著書の紹介になってしまいましたが、これら百田作品に共通するのはしっかりした事実調査に基づく記述によって、物語を重厚で説得力あるものに仕上げているところにあると思います。 『永遠の0』/百田尚樹著/講談社文庫 この小説は、特攻で亡くなった祖父のことを現代の孫たちが調べるため、生き残りの旧軍人たちを訪ねて証言を得てゆき、祖父の生前の姿を明らかにするという形で綴られています。 『特攻隊員と家族(現代の孫も含む)の物語』という作者の創作部分を基軸としていますが、『生き残り軍人の太平洋戦争証言』というドキュメンタリー読み物としての側面の方がキモでしょうね。 読む人によっていろいろな感じ方や評価の仕方がある作品と思いますが、ワタシはこの「物語」で読者で惹きつけながら「大東亜戦史」を広く読ませることができたことは、画期的な取り組みだと思いました。 ワタシら世代のガキの頃は、まだ家族・親族や周囲に「戦中派」が大勢いて、当時の話はさんざん聞かされましたし、街角ではまだ傷痍軍人が物乞いをしていました。しかし、平成の若者は「語り部」「生き証人」に会ったことのないひとがほとんどでしょう。これからの世代に貴重な戦争の記憶を受け継ぐために、こうした作品がもっと多く出てきてほしいですね。 「物語」についての感想はネットにいっぱい溢れているのでそちらに任せて(苦笑)、ひねくれモンのワタシにとっては、本書を通じて『日本はなぜ戦争に負けたのか』をじっくり考えることができたのが最大の成果でした。 日本は戦後メディアによる洗脳によって、「日本が戦争を始めたこと=犯罪」という摺りこみが定着しており、「そもそも軍部が無謀な戦争を始めたことが悪なのだから、その後の評価をしても無意味」ということで思考停止しているひとが残念ながら多いと思います。 しかしそれでは、開戦後に亡くなった数百万人のひとびとの魂は浮かばれないでしょう。 『永遠の0』では、生き残り軍人の証言の中で、「日本が戦争に負けた理由」「死ななくていいひとが犠牲になった理由」が再三記述されています。21世紀日本が「経済戦争」において『第二の敗戦』を迎えようとしている現状にも符合することも多いです。 大東亜戦争を振り返ることは、ネトウヨでも軍国主義礼賛でもありません。国家間はいつの時代も何らかの形で「戦争」をしています。「兵器」や「軍隊」が登場しないと平和だと考えるのは、まさに「平和ボケ」だと思います。 日本人が戦争の失敗経験を振り返ってそこを克服しない限り、日本は米国の植民地か、または中国の下請け工場に堕ちてしまいます。(既に堕ちているか・・・) この視点で以下の新書を読まれると、日本がいかに今世界の中で「落ち目」になっているかがわかります。「日本が戦争に負けた理由」についてもしっかり考察されていて、それが全く「過去のハナシ」ではないという現状に気づかされます。 『ものつくり敗戦―「匠の呪縛」が日本を衰退させる』/木村英紀著/日経プレミアシリーズ 人類の科学技術史から論じているところは読みづらくもありますが、非常に説得力があって興味深いです。 よくNHKなどが日本の競争力っていうと必ず「大田区の町工場の匠のワザ」を持ち出しますが、あれが実は日本弱体化工作であることはこの本を読めばよーくわかりますよ。「日本が戦争に負けた理由」に気づくことは、米中にとって非常に都合が悪いことなのです。 ワタシにとっても、『永遠の0』で大東亜戦争をじっくりと通観できたのは貴重な経験でした。 ただ、書かれていることはひとつの「仮説」なので、ここを起点にいろんな文献を調べてみたいと思っています。『永遠の0』では司令部の作戦ミスや判断ミスを糾弾する記述がいくつかありますが、それもネットで調べると「異説」がすぐに当たります。どれが正しいかは今となってはわからないでしょうが、ひとつの事実をとっても戦後に左右両勢力から解釈が無残に捻じ曲げられてきた経緯が見て取れます。 宮崎駿が『永遠の0』について「零戦神話を美化している」という頓珍漢な中傷をしているらしいですが、恐らく本を読んでないか、戦後のGHQの洗脳で完全に思考停止しているかのどちらかだと思いますね。 考える頭を持っている方は、ぜひ『永遠の0』を起点として、大東亜戦争を真摯に振り返ってほしいと思います。数百万もの生命と遺族の悲しみという「壮大な犠牲」を払った「失敗経験」であり、それは貴重な「戦没者の遺産」です。 われわれには「振り返る義務」があると思います。

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