ラッキー/ありがとう日記

2013/11/13(水)18:14

『禅』

テレビの番組で、禅の修行に励む外国人の若い女性が、自分は禅の修行をしていて三日間四国遍路の旅をすると言う内容の番組を見て、禅の修行とはどんな修行なのか!禅の修行に興味が湧いて来て、禅の修行とはどんなものなのか、少し調べて見たんですが、よく解らないので噛み砕いて教えて貰えませんかと言う問いが来ているんですが、ラッキーは禅の修行をしたことが無いので禅の修行がどんなものなのか知りません。その番組はラッキーも見ました。岡山の「曹源寺」で修行していると言って居ましたね。確かロシアの若い女性でした。 曹源寺には、わざわざ外国から修行をしに沢山の人達が来て居て、ラッキーはその人達と街で出会うと、どこかの僧侶だと思われている様です。作務衣姿でスキンヘッドだからでしょう。時々、その姿で、クリスチャンの真似をして十字を切って手を合わせると、ビックリした表情で笑って居ます。目を丸くして・・・折角ですから、禅の歴史について本に書いてあることを書いて置きます。禅の始祖は達磨大師で、お釈迦様が座禅を組み、瞑想の中で悟りを開き、インドの北部で教えを説き、その後弟子の「大迦葉」と呼ばれる人が引き継ぎ、お釈迦様から数えて二十八代目に登場するのが達磨大師で有名な菩提達磨です。南インドの王子として生れた達磨は、四十年間に及ぶ修行を経て六世紀前半に中国へ渡り、禅思想が発展する契機を作ったそうです。達磨は面壁九年と言って壁に向かって九年間座り悟りを開いたとされて居て、中国の禅はこの達磨が始まりで、その後、分派して居ます。日本の禅は「道元」と「栄西」からで、日本の禅は飛鳥時代とも言われて居ますが、本格的に広まったのは鎌倉時代で。臨済宗を開いた栄西(1141~1215)その後三十年後に曹洞宗を開いた道元(1200~1253)の二人が、いずれも中国に留学して中国の禅に影響を受け、禅の思想を精力的に伝えたと言うことです。よって「禅」とは、座ること。「深く静かに考えること」。と訳されることもある様です。「禅」とは、心と体を整え、精神を集中して無我の境地に入ることで、「禅定」とも言う。また、心をあきらかにして真理を得るために修行することであり、そのための座禅や禅宗の考え方をさす場合もあると言うことらしいです。と、言うことで禅の修行とは、教えを説く坊主の考え方を実践していると言うことに成るのではないでしょうか。ですからこれが正解と言うのは無い様に思います。外国の人達にとっては、精神の次元が高いこの様な教えは日本人以上に素晴らしいものに感じる様です。現在のお粗末な日本でも、精神レベルは世界一と言っても過言では無い様です。そんな日本でキリスト教が布教活動しているのは、滑稽で、無知な暇人達が西洋かぶれしているようにしかラッキーには思えません。と、言うものの自分を高める為には、師匠について学ぶのが近道ですから、自分がこれだと思うものに出会ったならば、後は信じてついて行くことは間違いとは言えません。ラッキーが言う様に、日常がすべて修行だと受け止めて、受け入れて行く実践をこつこつと積み上げて行くのは、口で言うほど簡単では無いですからね。いずれにしても、知識として頭の片隅に片付けて居たんでは、なんの意味も無く、自分の血や肉に染み込まないと意味が無いと言うことを知って実践する事、すべてが修行ではないでしょうか。あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v【ラッキーの一言】形を有難がっている人が多いのも事実です。ラッキーでした(^_^)/~

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る