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懐かしの映画館

ロッキー・ザ・ファイナル


ロッキー・ザ・ファイナル


ROCKY BALBOA
Sylvester Stallone





ロッキー・ザ・ファイナル




ロッキー・ザ・ファイナル
この映画は、当時無名の俳優だったシルヴェスター・スタローンを、一躍スターダムに押し上げた「ロッキーシリーズ」の第6弾で、シリーズ完結編となる本作では、夢を追い続け再びプロボクサーのライセンスを取得するために奮起し、無謀ともいえる試合に身を投じるロッキーの姿を感動的に描いています。
監督・脚本・主演を兼任したスタローン以下、「ロッキー」という名の伝説を創った豪華スタッフ&キャストが集結し、ロッキー最後の対戦相手役、現役世界王者アントニオ・ターヴァーとの白熱のリングファイトには胸が熱くなる作品で、日本に先駆け、第1作から記念すべき30周年にあたる2006年12月に「ロッキー・ザ・ファイナル」が全米公開されるや、大反響を呼びました。

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ロッキー・ザ・ファイナルロッキー・ザ・ファイナル

製作年: 2006年
製作国: アメリカ
上映時間: 1時間43分
配給: 20世紀フォックス映画
監督: シルヴェスター・スタローン
製作: チャールズ・ウィンクラー、ビリー・チャートフ
ケヴィン・キング、デヴィッド・ウィンクラー
製作総指揮: ロバート・チャートフ、アーウィン・ウィンクラー
脚本: シルヴェスター・スタローン
撮影: J・クラーク・マシス
衣装デザイン: グレッチェン・パッチ
編集: ショーン・アルバートソン
音楽: ビル・コンティ
出演: シルヴェスター・スタローン、バート・ヤング
アントニオ・ターヴァー、ジェラルディン・ヒューズ
マイロ・ヴィンティミリア、トニー・バートン
ジェームズ・フランシス・ケリー三世、マイク・タイソン
アーカイブフッテージ: タリア・シャイア エイドリアン



ロッキー・ザ・ファイナル



---物語---

ロッキー・ザ・ファイナル
30年前に世界ヘビー級王者アポロ・クリードと互角以上の大熱戦を繰り広げて以来、ボクシング界の栄光の階段をのぼりつめたロッキー・バルボア。しかしリングを去った彼は、愛する妻エイドリアンに先立たれ、地元フィラデルフィアで経営するイタリアン・レストラン“エイドリアンズ”で、客の求めに応じて現役時代の昔話を語って聞かせる日々を送っていた。息子のロバートは有名人である父に引け目を感じて家を飛び出し、彼と顔を合わせようとはしない。



ロッキー・ザ・ファイナルエイドリアンの命日に墓参りをしたロッキーは、自らの孤独を痛感せずにいられなかった。エイドリアンの兄で親友のポーリーとともに、彼女が働いていたペットショップや初めてデートしたスケート場の跡地を訪れたロッキーの心は、いっそう深い悲しみに沈んでいく。 フィラデルフィアの街をさまよい、かつての馴染みのバーに立ち寄ったロッキーは、そこでマリーというシングルマザーと出会う。マリーは不良少女だった30年前、ロッキーにタバコを吸うのをたしなめられ、家に送ってもらったことを覚えていた。この偶然の再会をきっかけに、ロッキーは彼女とその息子ステップスと交流を持ち始める。



ロッキー・ザ・ファイナルロッキーは心の喪失感をぬぐうため、再びボクシングを始めることを決意する。だが息子のロバートには、そんな父の「年をとったからって挑戦を止めることはないだろう」という言葉が理解できない。しかしロッキーは本気だった。彼は今もなお胸の奥底に情熱が燻っていることを感じ、時々その激しい思いが抑えられなくなることをポーリーに告白する。協会にプロ・ボクサーのライセンスを再申請したロッキーは、一度はそれを却下されながらも、「挑戦しようとする人間を止める権利が誰にあるんだ!」と訴え、ライセンス取得を許された。




ロッキー・ザ・ファイナルシルヴェスター・スタローン
1946年、ニューヨーク生まれ。マイアミ大学で演劇を専攻。青春グラフィティもの『ブルックリンの青春』(74・V)で主役のひとりに抜擢され、この映画で得たギャラを元手にハリウッドへ。75年にモハメド・アリの試合に感動したことをきっかけに書き上げたシナリオの売り込みを開始。自ら主演も務め、『ロッキー』(77)として映画化が実現したこの作品は世界中で大ヒットとなり、アカデミー作品賞、監督賞、編集賞を受賞。一躍、スタローンをスターダムに押し上げた。2年後の続編『ロッキー2』(79)では監督も兼任。 その後も数々のヒット作を連発そして『ランボー』(82)の大成功により、ハリウッドを代表するアクション・スターとしての地位を揺るぎないものとした。
 1990年代初頭には『オスカー』(91)、『刑事ジョー/ママにお手上げ』(92)でコメディの新境地に挑んだのち、雪山を舞台にした大作『クリフハンガー』(93)でアクション・ヒーローとして復活を遂げた。その後もアクション映画の主演を務める一方、『コップランド』(98)で懐の深い演技を披露し、カー・アクション映画『ドリヴン』(01)では製作、脚本、主演の3役を兼務。現在、『ランボー』シリーズの第4作『Rambo IV: Pearl of the Cobra』(08)の準備を進めている。


ロッキー・ザ・ファイナルバート・ヤング
1940年、ニューヨーク市クィーンズ生まれ。海兵隊を除隊後に幾つかの職を経験し、アクターズ・スタジオのリー・ストラスバーグに師事。オフ・ブロードウェイの舞台に立ったのち、1970年代初頭から映画に出演するようになる。『シンデレラ・リバティー/かぎりなき愛』(74)、『チャイナタウン』(75)、『熱い賭け』(76)、『キラー・エリート』(76)などに続いて出演した『ロッキー』(77)のポーリー役が当たり役となり、アカデミー助演男優賞候補に。その後も『ロッキー』シリーズのレギュラーを務める一方、『アンクル・ジョー』(79)では脚本も担当。『クワイヤボーイズ』(78)、『コンボイ』(78)、『カリフォルニア・ドールス』(82)、『悪の華/パッショネイト』(87)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)、『ブルックリン最終出口』(90)などで名脇役ぶりを発揮した。近年は「ザ・ソプラノズ/哀愁のマフィア」(99-07)などのテレビシリーズにも活動の場を広げつつ、『ランド・オブ・プレンティ』(05)、『トランスアメリカ』(06)といった話題作で健在を示している。


ロッキー・ザ・ファイナルアントニオ・ターヴァー
1968年、フロリダ州生まれ。10歳の時にオーランドのフロリダ・ボーイズ・クラブでボクシングを始める。高校時代はフットボールに熱中するが、1998年にかつてのライバルであるロイ・ジョーンズ・ジュニアがソウル・オリンピックで闘っている姿を見て、ボクシングへの情熱が再燃。再びリングにあがり、1996年のアトランタ・オリンピックで見事に銅メダルを獲得した。2006年に世界ライトヘビー級のチャンピオンの座に就き、2006年に現役を引退するまで24勝(18KO勝ち)4敗の成績を残した。
 映画デビュー作となった『ロッキー・ザ・ファイナル』では、ヘビー級チャンピオンを演じるために体重を増やして撮影に臨んだ。


ロッキー・ザ・ファイナルジェラルディン・ヒューズ
1970年、北アイルランドのベルファスト生まれ。カトリック系の家庭で育ち、1984年にアイルランドで撮影された「Children in the Crossfire」というTVムービーにキャスティングされたことをきっかけに女優の道を歩み出す。高校卒業後にUCLAの映画科で学ぶために渡米。自ら執筆した自伝的な戯曲「Belfast Blues」で24役の登場人物すべてをひとりで演じ、高い評価を得る。「Belfast Blues」はヴァーチャル・シアター・カンパニーの資金援助により、ロサンゼルスの小劇場ブラック・ダリア・シアターで初演され、当初4週間の予定が15週間に延長された。その後、この芝居はベルファストやアイルランドのゴールウェイ、ロンドン、シカゴ、ニューヨークでも上演されている。本作『ロッキー・ザ・ファイナル』で本格的に長編映画デビュー。ロサンゼルスからニューヨークに引っ越す日の前日、本作のキャスティング・ディレクターから「スタローンが会いたがっている」との連絡を受け、マリー役を獲得した。



ロッキー・ザ・ファイナル
映画「ロッキー・ザ・ファイナル」のジャパンプレミアが25日、東京・TOHOシネマズ六本木ヒルズで行われ、主演のシルベスター・スタローンが舞台あいさつをしました。
さて、ロッキーがフィラデルフィア美術館を駆け上がるシーンを再現するように、レッドカーペットが敷かれた
同劇場前の階段を駆け上がったスタローンは、ファン200人から「ロッキー!」の掛け声が起こる中、妻・ジェニファーさん、長女・ソフィアちゃん(10)、二女システィーンちゃん(8つ)と一緒にレッドカーペットを歩きました。また、舞台あいさつに立ったスタローンは「映画のテーマはネバーギブアップ。年を取っても、胸の中にチャレンジ精神を忘れないでほしい」とあいさつをしました。一方、スタローンは北陸で起きた地震にも触れ「オレもカリフォルニアに住んでいるから地震の怖さが分かる。災害に遭われた方には同情します。皆さんが災害を乗り越えて、都市を再建することを期待しています」とエールを送っていました。
ところで、会場にはロッキーファンの黒木メイサ(18)も駆け付け「たくさん勇気をもらった」とスタローンにうっとりしていましたが、黒木は同日行われたアニメ映画「ベクシル―2077 日本鎖国―」(曽利文彦監督、今夏公開)のイベントにも出席し、声優に初挑戦することを明らかにしていました。さて、この日は約650人が映画を鑑賞し、映画終了後には来場者全員にバラの花を一輪ずつ贈られましたが、新作では経年してきた一人の男に親の視点が加わって、より魅力的なロッキーが見られますので、是非ご覧になってみて下さいね。



ロッキー・ザ・ファイナル
映画「ロッキー・ザ・ファイナル」のPRのために“ロッキー”としては約25年ぶりに日本上陸を果たしたシルベスター・スタローンが26日、東京・内幸町の帝国ホテルで記者会見を行いました。
さて、昨年12月の全米を皮切りに、世界40カ国で公開された新作のために、欧米など10カ国を回ってきたスタローンは、プロモーションツアーが日本で終了することに「第1作から30年の旅を、日本で終えることができて感動している」と感慨深げにあいさつしました。また、今作が完結編となることにスタローンは「若いころのようにスピードやパワーはないけど、意志のパワーはある。これほどリアルなファイトシーンはこれが初めて。感動作で、誇れる作品になった」と自信に満ちた表情で「ロッキーは自らチャンスを掴もうとした。失敗する恐怖と戦い、夢の実現を目指したんだ」と、“ネバー・ギブ・アップ”の精神を訴えました。一方、17年前に撮り、その年のラズベリー賞(最低映画賞)にノミネートされてしまったロッキー5について「シリーズ5は自分に失望した作品だった。ハートが入っていなかったんだ。だからこそ、この作品に懸ける想いがあった。今作はシリーズ1より10倍難しい映画だった」と長年秘めていた胸中も明かしました。
ところで、会見には7月から京都と東京で開催される「フィラデルフィア美術館展」のイメージキャラクターを務める女優の檀れい(35)が、ロッキー=フィラデルフィア繋がりで特別ゲストとして記念品を贈呈し、鍛え上げられたスタローンの肉体を見て「目が優しく温かい雰囲気をお持ち。あこがれです」と“ラブコール”を送ると、スタローンは「サンキュー!」と大照れしていました。さて、現在タイで新作映画「ランボー4」を撮影中のスタローンは、今回は合間を縫ってのたった3日間の滞在とあって「もうジャングルに帰らないといけない」と最後まで名残惜しそうでしたが、「ランボー4」完成後は俳優業から引退し、監督業に専念するそうですので、スクリーンでの姿はこれで見納めかと思うと、少し寂しい気がしますね。





 


 

ロッキー (1976年)

主演・脚本を兼任したシルベスター・スタローンの大出世作であり、世界中を熱狂させたボクシング・ドラマ「ロッキー」シリーズ第1作。ボクシングに生きる若者の孤独、不安、愛、そして真の勝利とは……。第49回アカデミー作品賞、監督賞、編集賞受賞作品。76年度ゴールデン・グローブ最優秀作品賞受賞作品。
 



 


 

ロッキー2 (1978年)

シリーズ第2作目。前作で自らが"アメリカン・ドリーム"を体現して一躍スターの仲間入りを果たしたシルベスター・スタローンが、今回は監督・脚本・主演の3役を務める。強い絆で結ばれたロッキーとエイドリアンの愛情関係、迫力ある試合シーンなど、見どころ満載の感動的なドラマである。
 



 


 

ロッキー3 (1982年)

シリーズ第3作目。ロッキーがヘビー級チャンピオンになって3年の月日が過ぎていた。最愛の妻・エイドリアンとの間に息子が生まれて至福の時を過ごていた彼は、新鋭のボクサー、クラバーとの試合で惨敗してしまう。今回の敵は新鋭ボクサーのクラバー。ハングリー精神を無くしたロッキーが、かつての敵・アポロの友情によって再びボクサーとしての本能を取戻していく過程が感動を誘う。
 



 


 

ロッキー4 炎の友情 (1985年)

シリーズ第4作目。親友のアポロが科学的トレーニングによって生まれたソ連の最強ボクサー、ドラゴにリングで倒され、そのまま帰らぬ人となった。アポロの無念を晴らすため、そしてボクサーとしてのプライドを守るためアメリカを代表するボクサー、ロッキーがソ連の殺人兵器・ドラゴに挑む。当時の米・ソ間の冷戦構造がそのまま映画のストーリーに反映されている。
 



 


 

ロッキー5 最後のドラマ (1990年)

シリーズ第5作目。世界の頂点から一気に叩き落されて、場末のジムに戻って来たロッキー。妻・エイドリアンの愛に支えられ、人生の全てを懸けて困難に立ち向かっていくその姿が深い感動を呼ぶ。シリーズ2~4まではスタローン自身が監督も務めていたが、本作の監督は第1作目を担当したジョン・G.アビルドセン。
 







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