秋月春風 ブログ版

2006/06/05(月)23:13

余分な1ピース

育児(長男TOMOについて)(55)

 今日は、昨日や一昨日ほど激しく、長男を「可愛くない」とは思わなかった。  可愛くてたまらない・・・・とも、思えなかったけれども。  ちょっとホッとした。  本当に、ちょっとだけ。  実家にいるとき、私はいつも「この家にとって私は余分だ」と思っていた。  まるで不良品のジグソーパズル。  全部組上がったのに、何故か一つ余った要らないパーツ。  組上がった絵が羨ましくて、なんとか中に入り込もうとするけれど、それは完成したパズルを破壊するだけで・・・。  友達といても、そうだ。  周りが盛り上がっていれば居るほど、溶け込めなくなる。  自分がそこに居ることに、違和感を感じてくる。  楽しいけれど・・・だけど私がここにいなければ、他のみんなはもっと楽しめるのではないかしら?  常につきまとう、そんな不安。疑問。  自分の家族を持てば、こんな感覚は消えるかと思った。  自分が居なければ生きていけない、小さな存在・・・自分にだけ伸ばされる、手。  でも・・・それは錯覚だった。  私なんかいなくても、子供達は生きていける。  優しい祖父母がいて、優しい父親がいて・・・ご飯を炊いて洗濯するのが私の役目なら、そんなものは家政婦にでも任せれば済むことだ。  私でなければならない理由なんて、どこにもない。   むしろ、我が子を愛せないような母親ならいないほうがマシだろう。  夫にしても、連日喧嘩ばかりしているような嫁には、いい加減うんざりしてるだろうし。   でも・・・だからといって、本当に荷物をまとめて、この家から出て行く勇気なんてない。  死んだりする勇気はもっとない。  だからときどき、考える。  事故にでも遭っちゃいたいな・・・・と。  私を、消しちゃいたいな・・・・と。  離婚なら体裁が悪いが、死別なら夫の再婚には何の問題もないだろう。  優しい後妻さんが来て、子供達も実の子以上の愛情を注いでもらって、みんな幸せになって目出度し目出度し。  ・・・・・・と、ここらへんまで考えて、いい加減馬鹿馬鹿しくなって、思考を止める。    さて。  洗濯しなきゃ。         

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