2005/11/09(水)02:37
第3番~ヘルベルト・フォン・カラヤンという芸術家について~
今日は休日です。
だから通勤電車はなしです。
特に用事もなかったので,官舎で音楽を聴きながら絵を描いて過ごしました。
絵を描くのって本当に久しぶりだったから,結構くたびれました。
でも,誰にも干渉されずに何かに没頭できる時間っていいですね。
楽しみました。
ところで,今日は第3交響曲です。
実は,ブラームスの曲の中でもこの曲が一番好きで,持ってるCDの数も一番多いです。
ブラームスの「英雄」だとか「規模が小さい」とか「第3楽章だけがメロディックでバランスが悪い」などと言われるこの交響曲ですが,第1楽章の不思議な陰のある高揚感はとても「英雄」的という言葉だけで片付くものではないし,第4楽章の充実振りに対して「規模が小さい」という指摘は当たらないし,第3楽章のメロディーだけに注目した聞き方はマーラーの第5に対して「アダ-ジェット」しか価値がないと言うことと同じくらい見当違いなことです。(エヘン!)
さて,今日の演奏は,かの有名な,
「帝王」ヘルベルト・フォン・カラヤン。
ベルリン・フィルとの最晩年の録音です。
この演奏,どうしたの?っていうくらいとにかくテンションが高い。
たたみかけるようなスリリングなテンポ。
だけど絶対外さない。
カラヤンとベルリン・フィルが見せた最後の荒業。
長年のパートナー同士だからできる阿吽の呼吸。
特に第1楽章中間部でぐいぐい引っ張る力強いドライブ感は絶対他では聴けません。
荒っぽく見えて絶対に粗くならずそれどころかかえって緻密さを増すところが凄い。
高校生のころに初めて買ったものですが,今でも一番のお気に入りです。
この演奏や晩年の「悲愴」などを聞くと,「帝王」カラヤンの本質は,古臭いと言われていたクラシックをビカビカに磨き上げて商品化した戦後高度成長期の波に乗った成功者ではなく(誤解を招きかねないパフォーマンスが多かったことは確かだが),音楽を通して徹底して「カラヤン」という名の自己を表現しようとした一人の類稀な芸術家だったことがわかる。それは,客寄せパンダ的な演奏会や話題性のみで中身も何もないCDを垂れ流している昨今のまさに商品化されたクラシックと見比べるまでもなく明々白々なことである。
常人であれば指揮をすることはおろか立つことすらできないというほどに腰の状態が悪化していたにも関わらず,僕たちは彼がステージで座って指揮する姿を見たことはなかった。
表現することの厳しさのなんたるかを見せてくれたカラヤン。
僕はそんなカラヤンが好きです。