ブラームスはお好き?

2005/09/15(木)00:20

第4番~人生の晩秋,フルトヴェングラーの風景~

ヨハネス・ブラームスの音楽(73)

 少し間が空いてしまいました。  それにしても、みんなよくまあ毎日,ブログの時間というか,日記を書く時間を確保してますよね。感心してしまいます。  僕なんか,自分の時間の使い方の下手さ加減を改めて痛感するばかりです。  今日は第4交響曲の番ですが,その前に,昨日の飲み会の帰りの電車で考えたことを。  昨夜は同じ九州出身の先輩と久々に愉快に飲んでたのですが,話題がいつものように「われわれはいつになったら九州に帰れるのか?」となりました。  ちょっと説明しますと,ノンキャリの現場出身のわれわれにとって本省勤務なんぞ「くそくらえ」的なものなのです。現場を離れればそれだけ現場の勘も鈍る。一生本省にいるならまだしも,いつか必ず現場に帰らなければならない。その間,同期や後輩たちは現場で着々とたくましく経験を積んでいく。つまり,現場の人間からすると本省勤務はキャリアアップにならないのです。しかも,本省に来ると残業が多いわりには給料が下がる。いいことなんて一つもない。「早く現場に帰りたい。」これが現場から本省に吸い上げられてしまった人間の決まり文句である。  しかし,そこは人間,だんだん自然とデスクワークの心地よさに身体が馴染んでくる。本省のご当局から電話とメールで指示を流せば現場が動く。でも現場には本省の細かいニュアンスが伝わりにくい。たまには,指示に慌てる現場が馬鹿みたいに思えてくる。「どうしてこんなこともわからないのか。」と。去年までは自分が本省の指示を解読すらできなかったことも忘れて。  でも,本省だって決して楽じゃない。現場の仕事とは質・量ともに全然違う。それまで誇りだった長年の現場経験も,必死で覚えた現場の知識常識も本省では通用しない。「おまえ年なんぼや」「おれの方が現場は長いんやぞ」「そうは言うても現場は違うんや」「おれは現場の人間なんや」(先輩,久々に聞く幼稚で見苦しいセリフでした。)  本省の心地よさを感じていながら,「現場に帰りたい。」と言わしめるのは,結局のところ,本省での無知・未熟ゆえの失策とつまづきが原因なのだ。「俺は現場じゃこうではなかったのに。」人には言えない屈折したプライド。しかし,本省での仕事ができないからと言って現場に逃げ場を求めるのは間違っている。第一,現場の人間にシツレイである。できる人間はどこでなんの仕事をしてもベストを尽くすものなのだ。  でも僕は,自分の中に昨日の先輩と同じうそぶきがあることを感じつつも,一度現場を捨てた後ろめたさと,現場と本省の両方を知ったがゆえの自信と不安,そして再び現場へ帰ることへの恐怖心が一体となって,こう言ってしまうのだ。「俺もそろそろ現場に帰りたい。」と。  さてさて,前置きが長くなってしまいました。  ブラームス,交響曲第4番,ホ短調。作品98。  渋い渋い晩年の作品にして最後の交響曲。    僕はこの曲は,晩秋に聞かれるべき交響曲ではないかと思うのです。  だとすると,この残暑厳しい9月に取り上げるのは少々時期が早過ぎる。  晩秋の交響曲。  人生の晩秋に聞くべき曲なのかもしれません。 ~若いころは「こんなスカスカで室内楽みたいに響きの貧弱な曲のどこがいいんだろう。」と思ってましたが,それなりに年をとってくるとだんだんわかってっくるものです。というより,世の中には年をとらないとわからない,味わえないものがあるのだということをこの曲から教わったような気がします。しみじみとした寂寥感のある,まさに晩年のブラームスにしか書けないいい交響曲だと思います。~    人生の晩秋・・・  僕は今人生のどの季節にいるのだろう。  春はいつのまにやらやってきいて,それと気付かないうちに去っていった。  それは過ぎ去ったあとにわかる。  「ああ,ああいうのが世に言う「青春」だったんだな。」と。  そもそも青春は客観視できるものではなかったしな。  では今は?  夏なのか?  夏であるなら,それは初夏なのか?盛夏なのか?晩夏なのか?  僕の周りには今なに蝉が鳴いているのだ?  油蝉か,ミンミンゼミか,ツクツクボウシか,それとも日暮しなのか?  でもそれは,きっと秋が来たときにわかる。  「あのころが僕の初夏であり,盛夏であり,晩夏であったのだ。」と。  僕の人生の秋が実り豊かなものであることを祈りたい。  そのためには,この人生の夏に思い切り汗を流しておかなければ。  と,いつのまにか三十路に入った「ブラームスがお好き」は思うのでありました。  ここに,一枚のLPがある。  中古で手に入れた,フルトヴェングラー指揮ベルリン・フィルの1943年の録音だ。  ライナーノートの脇に,こうメモが記してある。  「1973.7.21.SAT 4か月待つ ○.○(イニシャル)」  このレコードの原価,2000円という値段が昭和40年代にどれだけの金額だったかはわからないけど,大切に聴かれていたのだろう(とても状態がよい。)。  今,僕は,約30年前このレコードを買うのに4か月待ったその人ほどに,この曲を味わえているかどうかは自信がない。  いつかは心の底から味わえるときがくるのだろうか。  僕の人生の晩秋に。  この晩秋の交響曲を。

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