2006/01/18(水)09:36
日本女性の美しさについて~五嶋みどりのチャイコフスキーVn協奏曲~
報告します。
調査の結果,昨日書いた「台湾臭さ」の元凶は,「臭豆腐」であることが判明しました。
「こいつ」が諸悪の根源でございました。
どうやら台湾の人は「こいつ」の味が大好きなようで,屋台のスープからスナック菓子までとにかくなにからなにまで「こいつ」の味と臭いがしました。
日本風にいえば,「だし」みたいなもんです。
でも,ホテルの歯磨き粉まで「こいつ」の臭いがしたのは驚きを通り越してうんざりしてしまいました。念のため日本から歯磨きセットを持っていっておいてよかったです。危うく歯磨きしながら嘔吐するところでした。おえ。
さてさて,今夜は五嶋みどりのチャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲です。
バック・オーケストラはクラウディオ・アバド指揮する「将軍たちから成る軍隊」ベルリン・フィル。
録音は90年代のライブ。
実はその昔,たまたま僕はこの演奏会のテレビ中継を見た。
そのときの彼女の印象が強烈で忘れられなくて,このCDを買ったもの。
ちょっと失礼して,
最初に彼女の容姿を語ります。
五嶋みどりは,小さい東洋人の中でもさらに小さいほうの人です。
まるで小学校高学年か中学2年生のよう。
しかも頭が大きくて,目は切れ長につりあがり,下膨れの平安顔。
皐月人形かこけしによくある顔で,今日の基準では決して美人ではない。
むしろその反対の部類に入ってしまうだろう。
だから容姿では,諏訪内晶子と比べるべくもない。(正直言って,見た目だけなら僕は断然諏訪内晶子の方が好みである。)
そんな小さく不美人の彼女が天下のベルリン・フィルの前に立っても,憐れなだけではないか・・・
なんて下世話なことを思いながら,そのときなんとなくテレビを見てたのだが,彼女がヴァイオリンを演奏し始めた瞬間から,その凛々しく力強い姿に僕の目は文字通りくぎ付けになった。
彼女は微塵も怖じることなく,王妃のように堂々と世界最高のオーケストラを後に従えている。アバドもベルリン・フィルも彼女の音楽に完全に心服しているのが彼らの表情から読み取れた。
ふと, 美しい, と思った。
彼女のヴァイオリンも,彼女そのものも。
通常,チャイコフスキーはダイナミックで派手な音楽だと言われている。
しかし彼女が奏でるヴァイオリンの音は京都の絹織物のように繊細でしなやかで美しい。
控えめで細いけど芯のある音。
それは最初のソロの出だしから他のあまたの演奏とはあまりにも隔絶した緊張感だ。
特に第1楽章中間部の短いカデンツア風のソロは,春のたおやかな風に揺れる草花のよう。
少しずつテンポを落とし,今にも消えてしまいそうな小さく可憐な音。
抑制された動きでスッと舞う日本舞踊。
しかし時には(第1楽章のコーダやフィナーレの第3楽章など)ここぞという見せ場になると自慢の切れの良い腰使いで見事に舞い上げて見せる。
アバドもベルリン・フィルも「イタリア」などで見せた豪壮華麗さはやや抑制し,彼女の微妙な「くずし」のニュアンスにもピタリと寄せる,ノーブルでエレガントな紳士的な音。(大和撫子をエスコートするジェントルマン?笑)
もっと注目して欲しい,この日本女性の美の世界を。
豊かな黒髪,木目細やかな肌。控えめで知的な微笑み,細やかな心遣い。凛とした立ち姿,匂立つ挙措動作。
この演奏からは,そんな日本女性の衣擦れの音が聞こえます。
いくら現代的で見目麗しいジャケット写真(大半は彼女の本来の美しさを損なう趣味の悪い化粧のものだが)でCDを売っている諏訪内晶子も,この演奏を前にしたらまだまだ洗練されていない田舎のお嬢様でしかありません。
女性は見た目で判断してはいけません。
でも,女性の内面の美しさは,容姿にちゃんと表れるものです。
そのあと何度か五嶋みどりをテレビや写真で見かけましたが,彼女は彼女の音楽と同じように年々美しくなっているように思います。
年々美しくなる,そんな女性は本当に素敵です。
すべての日本女性がそうであってくれたら・・・なんてね。