ブラームスはお好き?

2006/09/16(土)00:34

登高 ~「新唐詩選」(吉川幸次郎・三好達治編)から~

ブラームスの本棚(19)

   高きに登りて  風は急に 天は高くして 猿の啼くこと哀し  渚は清く 沙は白くして 鳥の飛ぶこと廻る  無辺の落木は 蕭蕭として下(お)ち  不尽の長江は 滾滾として来たる  万里秋を悲しみて 常に客(たびびと)となり  百年の多病(たへい) 独り台に登る  艱難 苦(はなは)だ恨む 繁霜の鬢  潦倒 新たに停む 濁酒の盃  中国は唐の時代、  杜甫の作です。  対句の処理が芸術の極みに達しており、  鮮やかで壮大な映像を読み手に与えてくれます。  この詩に初めて触れる人にはちょっと難解なところもありますので、  多少意訳しますと、  「登高」とは、年中行事のひとつで、旧暦の9月9日、  手近な山に登って酒宴をひらくこと。  山上の風ははげしく、秋空の天はいよいよ高い。  とぎれとぎれの猿の啼く声もなぜか哀しい。  視線を下に落とせば、山のすその揚子江の砂浜は目を見張るように白い。  その上を鳥が一羽、ぐるぐると飛んでいる。  視線を近くに移せば、無数の木々から落ち葉が絶えることはなく、  再び遠くを見渡せば、雄大な長江(揚子江)は尽きることなく流れている。  戦乱のため故郷を捨てて万里を放浪する私(杜甫)の身はどこへ行っても常に客。  こうして秋になると独り山に登っているが、長年の病が身体を蝕んでいる。  私の悲しみは長江の水のごとく滾滾と尽きることはなく、  私の孤独は秋の天の高さのように救いようがない。  この不幸な運命は、苦しいほどに恨めしい。  わが両鬢の白髪は、まるで11月の霜が降りたようだ。  もはや絶望し世の中などどうでもよい。  しかし、この佳節においてさえも、病魔のため今年からは酒を飲むことができなくなってしまった。  「春望」と並ぶ七言律詩の傑作です。  この詩は、マーラーの交響曲「大地の歌」を思い出せます。  が、しかし「大地の歌」には杜甫の詩は一言も引用されていません。  その大半は、李太白に拠っています。  ちなみに、「大地の歌」における李太白の歌は大量に酒を飲んでいますが、  この詩における杜甫は一滴も酒に口をつけていません。  それでいて、読み手を酔わせる杜甫の才、  見事。

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