2007/01/08(月)22:54
冬ごもり的3連休
この3連休は、ほとんどなにもせずに「冬ごもり」しておりました。
外に出ても冷たくて強い風が辛いだけだったしね。
床屋や食料品の買い物以外は、コタツで本を読みながら
図書館で借りてきたCDを聴いて過ごしました。
まずはこれ
アーノンクール ベルリン・フィルのブラームス交響曲全集
感想は・・・率直なところ、時間の無駄でした。
まあ確かに、ブラームスの総譜を鳴らしてみるとこうなりますよ、
というのはわかるのだけど、ブラームスの音楽は、それだけでは人を感動させることができないのですよね。
アーノンクールの持ち味「楽譜がすべて!」なところには大いに敬意を払うところではあるけれど、
モーツアルトなどに見せてくれる「クール&シャープ」な切れに欠けるというか、
それをブラームスでやろうとしたこと自体に無理があったというか、
ちょっと報われない、残念な演奏でした。
実際、聴きながらうコタツでうたた寝してしまいました。
ごめんなさい。
5段階評価としては、ベルリン・フィルの響きに敬意を払ってもせいぜい
3点
かな。
お次は、
ラトル ウィーン・フィル マーラー交響曲第9番
僕は、ラトルという指揮者を、あまり好きになれずにいる。
そりゃ、アバドの後を受けてベルリン・フィルの音楽監督に選ばれたくらいだから、
その実力たるや万人が認めるところではあるのだろうけれど、
僕には彼の「知性」「機知」「こだわり」が、
「小賢しさ」「落ち着きのなさ」「意味のないマニアック志向」としかとれなくて、
僕自身、戸惑っている。
このマーラーの第9も、彼を理解する糸口になればと思ったのだが、
駄目だった。
この若さとキャリアの少なさで、地上最強の「百個の頭を持つドラゴン」を
ここまでねじ伏せて「自分の音楽」をやらせていることについては、
同じ組織人として「すげえなあ」とは思うのだが、
で、この人がやろうとしていることは一体なんなの?
という視点から見ると、僕には何も見えて来ないのだ。
演奏の凄さと、ほとんど「無」に近い中身のなさ・空虚さが、
僕を戸惑わせる。
併録の「メタモルフォーゼン」も同様の感想。
でも僕の聞き込み方が足りないのかもしれない、という自己反省も含めて、
評価は同じく 3点。
3番目に、
ブラームス ピアノ四重奏曲第1番
アルゲリッチ(pf)・クレーメル(vn)・バシュメット(va)・マイスキー(vc)
超豪華顔ぶれによるブラームス。
たしかにすごいけど、いまひとつ心に響いて来ないのは、なぜだろう。
最近の「ドイツ・グラモフォン」には、僕の耳を疑わせるものが多い。
「これって、そんなにいい演奏なの?」
というパターンが。
村上春樹は、クラシックを聴く楽しみについて、
「自分の耳で聴いてみて、「これだ」と思う好きな音楽を自分で探し、見つけることにつきる」
と語っていたけど、その原則に従うならば、
この豪華なCDは僕のライブラリーには加わらない。
室内楽というのは、つくづく難しいジャンルだと思う。
豪華絢爛のメンバーを揃えても、それがいい演奏になるとは限らないのだから。
でもこの録音は、それなりに意義のある「すごい演奏」である。
表現の幅がとてつもなく大きい。
それがブラームスに相応しいかどうは別として。
ブラームス的「いい演奏」であるかどうかは別問題として。
ブラームスのピアノ四重奏曲第1番は、特にブラームス的というか、
その辺の難しさもある曲なのだが、
この曲をオーケストラに編曲する衝動に駆られたシェーンベルクのように、
「もっとどうにかならないものか!」
という、もどかしい気持ちにさせられた演奏と言っておけばいいだろうか。
評価は 4点。
4番手は、
アバド ウィーン・フィル ブルックナー交響曲第5番
皆が言うほど、悪くない演奏だ。と思った。
むしろ、僕は積極的に「素晴らしい」と叫びたい。
ブルックナーの信奉者にとっては、この演奏の能動的なアッチェランドのかけ方や
重厚だけれども「軽快な」音楽運びが鼻に付くのだろうか。
僕は、アバドという音楽家を全般的に信頼しているところがあって、
アバドがそのような演奏をするならば、その音楽は「そのような音楽」なのだし、
アバドがそのように演奏するならば、少なくとも、そのように演奏することが「アリ」な音楽なのだ。
ブルックナーの第5番といえば、
ギュンター・ヴァントとベルリン・フィルや朝比奈隆とシカゴ響、
古いところではオイゲン・ヨッフムとアムステルダム・コンセルトヘボウ菅の伝説的名演が目白押しだが、
このアバドの演奏も、現代を代表する演奏としてこれらの「名演群」の列に加えていいのではないか、と思うのだが・・・
評価は最高の 5点。
最後は、
ポリーニ ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番『ワルトシュタイン』
ポリーニは、1988年に一度、彼のベートーヴェン全集のチクルスの一環として、
『ワルトシュタイン』をすでに録音している。
ポリーニらしい、クールで完璧な演奏だった。
この「再録音」は、1997年のライヴ。
あの1988年の「完璧な」演奏を残しておいて、これ以上何を録音する意味が・・・
あったのだ。
信じがたいことだが、ポリーニは自己が一度到達したはずの「完璧さ」の殻を破り、
そこに柔らかさと、響きの深みと、さらなる「ポリーニらしさ」を獲得していたのだ。
玉座に安住することを拒み続けるピアノ界の孤高の皇帝
マルリツィオ・ポリーニ
は、これからも眼が離せません!
『ワルトシュタイン』という破格の名曲と、ポリーニという破格のピアニストが超次元的に融合した破格の名演。
評価は別格の 6点。
そんなこんなCDを日がな一日中流しながら、
読んでいた本は
塩野七生の『ローマ人の物語XV「ローマ世界の終焉」』
とても面白いけど、定期的にすごく眠くなるのはなぜだろう。
新しく買った柔らかいクッションのせいだろうか。
それとも、話が壮大すぎて、僕の頭がついていってないから?