2010/06/19(土)01:22
池袋駅とマタイ受難曲
毎日、通勤で池袋駅を使う。
毎朝、同じ時刻に、同じ柱に寄りかかり、蹲っている初老の男がいる。
彼を毎日眺める、
毎朝、同じ時刻に、同じ改札をくぐり、通過していく僕がいる。
彼が池袋駅のその柱から離れるのと、僕がその駅の改札を通らなくなるのと、
どちらが早いだろうか。
どちらが長くその場所に留まり、どちらが早くその場所を去るのだろうか。
深夜の池袋駅で、マタイ受難曲を聴いた。
構内のすべての建造物が、協会のように美しく思えた。
在り来たりの広告ポスターが、宗教画のように貴重な存在に見えた。
醜く疲弊した人々は、敬虔な巡礼者のようだった。
マタイ受難曲は、人間のあらゆる場面を包む力がある。
そっと寄り添ってきて、いつの間にか、それなしでは世界が成立しないかのような、
そんな存在感のある、不思議な音楽。
池袋駅でも、
マタイ受難曲は、
マタイ受難曲のままで、
整然と鳴り響く。
それが僕の小さなアイポッドの中に取り込まれた電子データだっとしても。
それを聴く者がどんなに卑小で低俗で無能な存在だったとしても。