2010/12/28(火)22:48
「御用納め」 と、 ライヒ 「Music for 18 musicians 」
役所は今日で御用納め。
仕事は一向に進まず、溜まる一方だが、
なんとか時間だけが「過ぎ去った」感じ。
なんとか耐えた籠城戦。
そして今は、打って出るべき戦力がない。
だれのせいでもなく、
僕自身のの力不足。
それ以上はなにもない。
何事もなかったかのように年末年始の休暇が取れるのは、
強いて言えば、不幸な幸運が重なったため。
つくづく僕は、強運の持ち主だと思う。
「運も実力のうち」と言うが、運は実力ではない。
そのことは、僕が一番よくわかっている。
しかし僕は、マルクス・アウレリウスの「自省録」のこの言葉に救われる思いがする。
人よ、君はこの大いなる都の一市民であった。
それが5年であろうと、100年であろうと、君に何の違いがあろう。
なぜならば、ここの法では、万人に平等が与えられているのだ。
暴君でもなく、不正な裁判官でもない、君をここに連れてきた自然の中で、
君がこの都から追放されるとしても、
なにを恐れるべきことがあろう。
それはあたかも役者を雇った将軍が、
彼を舞台から解雇する場合に似ている。
君は言う、
「しかし私は5幕を演じきれませんでした。たった3幕だけです。」
よろしい。
だが人生では、3幕でもひとつの完全な劇になるのだ。
なぜならば、終末を定める者はほかでもない、
かつては君をかたちづくり、今は君を解体する責任を負うた者なのだ。
君 は そ の い ず れ に 対 し て も 責 任 は な い。
だから満足して去っていくがよい。
君を解雇する者も、満足しているのだ。
こういう「後ろ向きな」言葉に敏感に反応する僕は、
結局のところ、自分の人生に対してさえも、完全に責任を持つことができない体質らしい。
ところで、ライヒ自身と「その仲間たち」が演じる
「18人の音楽家のための音楽」は、格別である。
オリジナルの者たちが持つ、
力強さと、やさしさと、
あたたかさと。
この音楽にハマってしまったら、なかなか抜け出せない。
この一年は、この音楽と共にあった。
今年もまた、「音楽」という得体の知れない力に支えられた一年であったと思う。
来年も同じように、「音楽」なしでは生きて行けそうにない。
来年、どんな「音楽」に出会えるのか、楽しみではある。
これからの人生の困難さも、「音楽」を味わうスパイス程度であればよいと願うばかりである。
最近、シーバス・リーガルが美味い。