テーマ:障害児と生きる日常(4431)
カテゴリ:Mother
知的障害者の授産施設 いわゆる作業所とよばれるところが
新しく関与先になるかも知れないと知ったとき どうか担当させて欲しい と願い出た。 通常 担当先は上司によって割り振られる。 その慣例をくつがえしてまで 敢えて自ら手を上げたのは そこがまだ経験のなかった"社会福祉法人"だったということもあるのだが もし 障害の種類が違っていたとしたらどうだろう。 手話で知り合う聾唖の方々は ちゃんと仕事を持っている。 身体の障害よりも知的障害の方が 仕事を得るのは難しいのではないか いや 言ってしまえば 仕事という場ではつかえないのではないか そういう疑念があったがために 作業所という場所が カタチを替えたデイサービスにしか過ぎないような気がしていた。 確かめたかったのかもしれない。 彼らが どんなふうにそこにいるのか を。 監査でお邪魔した今日 将来 そうした道を考えざるをえない立場の親御さん達が ちょうど見学にいらっしゃっていた。 彼女らを前にして話す施設長の声が 時折耳に入ってくる。 「最終的には ここを卒業していって欲しい とそう考えています。 こうした施設は ずっととどまるものではなく 本来通過していく性質のものだからです。」 それを聞いて 瞬間 チェックの手がとまった。 行く場所の無い我が子のために親達が作る小規模な作業所と違って ここに入れるひとたちは かなり恵まれている状況にある。 当然 希望者もたくさんいて 新しく作ったばかりだというのに もう既に定員いっぱいだ。 これ以上 受け容れられない。誰かがここを出ない限り。 勉強熱心で優しく温かなスタッフが揃っているこの作業所は 一般の企業とは まったく異なる空間であることは事実。 だが 学校とも違う。 ひとりの社会人として尊重され 責任をもたされ 仕事の悦びを知る場。 市役所の売店で せわしなく動いているおばちゃんの隣で 何ヶ月たってもただやることもなく座っているだけ ただそれだけの存在である障害者の姿をみかけたことがある。 対して ここの作業所でレジを打っている彼女はどうだろう。 最近おつりも間違えない。世間話をする余裕すら出てきた。 隣にさりげなくいる職員のサポートも 通常ならもう必要ない。 何よりも活き活きして 楽しそう。 彼らの数だけ こうした施設を必要とするのか。 新しく作って受け容れて いっぱいになったら また次を作るのか。 それとも ここから先へすすめる場所を社会が用意するのか。 利益を追求する企業体の中で 彼らが一緒に働くことを自然とするのか。 我々が目指すところは何処だろう。 進学のときにぶつかった壁にもどこか通じるこの問題を考えるとき 多くの矛盾を感じずにはいられない。 理想と現実と。信念とエゴと。母である私の結論と そうでない私の結論はきっと違う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.25 00:27:27
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