月夜に夢を  

2007/09/04(火)00:09

里子に送る写真

Society(27)

ネパールの里子に送る手紙の締切が近づいていた。 もうちょっと金額のはる あちこちで宣伝しているような団体の制度ならば そうした機会も頻繁なのだろうけれども あたしが入会しているところは (金額が少ないこともあり)お互いに年に1回のみ。 しかも残念なことに 途中で里子が入れ替わったりして せっかくペアを組んでいるというのに どうも 手紙が行き来しているような感覚がない。 毎回自己紹介しているようなかんじ。 そんなわけだから  ほんとにこちらが書いたものがその子に届いているのか確信がもてない と 里親として かなりの憤りを綴っているブログもあるようだ。 気持ちはわかるが まあ それはおいておいて。 とりあえず 写真も喜ばれるということなので あたしのものや娘たちのものを 最近撮ったもののなかからチョイスすることにした。 リンが自分で選んだのは 友達と遊園地のジェットコースターで満面の笑みの写真。 確かによく撮れている。いい笑顔だ。彼女にとってお気に入りの一枚なのだろう。 何不自由なく親の収入で暮らし 当たり前のようにお小遣いをもらって遊ぶ16歳。 だがこの前 娘よりずっと年下の里子から送られてきた写真には 裸足で畑を耕している彼女自身が写っていたのだ。 家族の生活を支えるために 学業すらままならないほど小さな身体で働く9歳。 それは 子供たちのお互いの現実を見事に写しだしている。 「世界が百人の村だったなら」と同じように それだけの格差が存在しているのは事実で どうやったってひっくり返すことは出来ないし 隠すこともできない。 だが あたしの中の何かが その写真を送ることをためらわせ 無難に飛行機の中の写真になった。(いやそれだって 格差といえば格差なんだけど) 豊かさを恥らう必要はない。ましてや隠す必要もない。 ただ その上にあぐらをかいて  知らず知らずのうちに傲慢さを身にまといやしないかと それだけを恐れる。 たとえば 貧しいことはイコール不幸なことだと決めつけるような。 本を読むことと ゲームをすることが好き という彼女に あたしが2時間あまりかけて書いた手紙と 吟味して選んだ写真は 無事届くだろうか。 あたしの気持ちと わずかであっても貴重なお金は 彼女が自分の夢を思い描けるために ほんの少しでも役立つだろうか。

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