つくものカメラ旅行記

2014/03/07(金)10:38

つくものカメラ旅行記 VOL.140 ★プレイバック ソチオリンピック 女子フイギュア 浅田真央選手の軌跡 バンクーバーからソチへ★

ソチオリンピック(9)

 こんにちは、今日は浅田真央選手のバンクーバーオリンピックからソチオリンピック 直前までの軌跡を辿りたいと思います。  2009-2010 優勝3回、準優勝2回(バンクーバーオリンピック 銀メダル)、5位1回。           GPシリーズロシア大会ではトリプルアクセルが跳べず過去最低の5位           に終わり大スランプに陥るが日本に帰国し姉舞さんの助言により立ち直る。           バンクーバーオリンピックではSPで1回、フリーで2回のトリプルアクセル           を成功させるがキム・ヨナ選手に敗れ銀メダルに終わる。     トリプルアクセルに失敗し、いままでのグランプリシリーズで一番悪い成績でした。  ここからスランプに陥りトリプルアクセルが跳べなくなります。  すっかり自信をなくし、練習でもトリプルアクセルが跳べなくなってもがき苦しんでいた 時、姉の舞さんを呼んで心の叫びを吐き出します。  ジャンプが跳べなくて「応援してくれて待ってくれている人達がいるのにどうしよう」と 泣きながら練習している妹に「5歳の頃から何万回、何千万回も跳んでいるのに急に 跳べなくなる訳はないよ、そんな人がいたらそれこそ天才だよ」とそして泣きながら 練習してもうまくいく訳ないから、明日からもう一回がんばろうと励ましました。    そして次の日に奇跡が起きました。トリプルアクセルを跳べたのです。浅田真央選手は  姉の舞さんに救われました。   そして2010年、バンクーバーオリンピックを迎えました。浅田真央選手17歳でした。   2回のトリプルアクセルを成功したフリーの演技です。しかし3回転フリップが回転不足、 3回転トウループが1回転となってしまいました。   フリーで納得のいく滑りが出来ず銀メダルに終わり、涙を流して悔しがる浅田真央 選手です。  金メダルはライバルのキム・ヨナ選手です。次の月に行われた世界選手権では浅田 選手が金、キムヨナ選手は銀メダルでした。  2010-2011   バンクーバーの後、ソチオリンピックに向け、6月から9月まで長久保            裕さんをジャンプ専門のコーチにつけ6種類すべてのジャンプの修正            に取り組みます。そして9月からは佐藤信夫コーチに師事します。            また2011年3月、東日本大震災があり、世界選手権は1か月延期と            なります。その間、この惨状を目の当たりにして「こんな時に大会に出            てもいいのだろうか?」と練習に身が入らなくなり、結局このシーズンは            優勝が一度もありませんでした。                           佐藤さんは「ここまで完成された選手をいまさら手を加えてどうなるの」という思い で最初は断ったそうですが、お母さんの熱意にほだされて引き受けたそうです。   このシーズンの全成績です。  2011-2012 優勝2回、準優勝2回、6位1回。          カナダでのグランプリファイナルの直前、母の病状悪化の知らせを受け          急遽帰国したが母は肝硬変のため48歳で死去、その死の際には間に          合いませんでした。その夜、母の思い出を舞さんと二人で語り合いました。          そして葬儀翌日に練習を再開し短期間の練習で全日本選手権に優勝を          果たしたのです。亡き母に捧げた金メダルです。              お母さんの匡子さんは舞さん、真央さんがスケートを始めた頃からずっとそばで  二人を見守り、二人のことが命だと言っていたそうです。   それでは今日はこの辺で、次回は母の死を乗り越え、ソチオリンピックへと向かいます。              どうぞ お楽しみに !!!        いつもクリックありがとうございます。 またよろしくお願いします。                                       

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