記念館を出たところで昼になった。折角なので、周回のタウンバス(100円先払い)で石段街の中腹まで行き、昼食の場所を探した。途中で「黒船屋」の暖簾を下げた店があったので、思わずパチリ。伊香保の名物に「水沢うどん」というのがあるらしいが、こだわる性質でもないので、その辺のラーメンで済ませた。
伊香保の温泉街が形成されたのは、戦国時代のこと。長篠の戦で負傷した武田兵の療養場として、真田昌幸が整備したという。明治以降は竹久夢二、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情など多くの文人が訪れた。老舗の「千明仁泉亭」は、明治の文豪徳富蘆花の常宿で、小説『不如帰』の冒頭にも登場する。名物の茶色の温泉饅頭(湯の花まんじゅう)は伊香保温泉が発祥とされ、明治44年(1910)から売り出された。戦後は歓楽街として栄え、今でも芸妓組合がある。365段の石段があり、温泉街のシンボルとなっている。石段の両側には温泉旅館、土産物屋、遊戯場、飲食店などが軒を連ね、石段の上に伊香保神社がある。石段の下には黄金の湯の源泉が流れ、小間口と呼ばれる引湯口で各旅館に分湯されている。
ところどころの店を覗いている内に雨が上がり、遠くに青空が見えてきた。「これなら榛名湖に行けたなぁ」と思ったが、山の天気は変わりやすいし、台風の雨雲は依然として関東一円に広がっている。伊香保神社は見えていたが、ちょっと疲れていたので登る気力がなく、坂を下ってバス停に出ることにした。
夕方近くにまた雨風が出てきて、「避難所に入る方は着替えを持参してください」とかなんとかの町内放送が流れた。ホテルは流石に大丈夫だろうが、先日の広島豪雨のこともあり、なかなか気が休まらない。早めに風呂に入り、食事を済ませ、テレビを見たり漫画を読んだりして無聊を慰める。11時ごろに寝床に入ったが、夜中の3時にハッと目が覚めた。雨は強くなっていたが、風は思ったほどでもなく、少し安心して再び眠りに就いた。