頑張れ東北!みちのくの光は消えず~2003.1.1

2019/08/01(木)22:16

梅の花

古典(39)

 「嘉辰令月」というコトバがある。「嘉辰」は「めでたい日」、「令月」は「めでたい月」で、合わせて「めでたい月日」だが、要は「縁起が良い日々」「縁起が良い歳月」ということである。新元号に決まった「令和」に期待されるのは正しく、「めでたく、平和に」という願いの実現である。  菅義偉官房長官は「万葉集」が出典だと言っていたが、それはすなわち、同書巻五の「梅花の歌」の序文に拠る。  初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす  「梅花の歌」は、大伴旅人(おおとものたびと)が催した梅花の宴の際に詠まれた32首を集めたもの。大伴旅人は「和何則能尓 宇米能波奈知流 比佐可多能 阿米欲里由吉能 那何列久流加母」と詠んだ。漢字の音を借りた万葉仮名で記されているので、現代的には「わが苑に 梅の花散る 久方の 天より雪の 流れくるかも」と読み、「屋敷の庭に梅の花が散る。遙かに遠い天の高みから雪が流れて来るようだ」と解することになる。梅の花びらが散る様を九州の雪の軽やかさになぞらえたものだが、暗に「都の雪とは降り方が違う」と言いたいのだろう。  大伴旅人は藤原氏と長屋王の抗争に巻き込まれ、神亀5年(728)頃に太宰府へ左遷された。宴には山上憶良(やまのうえのおくら)も参加していて、「春されば まず咲くやどの 梅の花 独り見つつや 春日暮らさむ」と詠んでいる。二人して望郷の念に駆られていたのだろうか。ちなみに、九州国立博物館の入口に、旅人の歌碑が立てられている。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る