裸足のジョー
ジョー・ジャクソン(1888-1951)の本名は、ジョセフ・ジェファーソン・ジャクソンJoseph Jefferson Jackson。サウスカロライナ州の出身である。マイナーリーグ時代に「スパイクが合わない」と言って裸足でプレーしたことがあり、「シューレス・ジョー」Shoeless Joeの渾名がついた。実働13年間(1908-1920)で1332試合に出場。4981打数1772安打で、生涯打率.356は歴代3位である。2001年にイチローがメジャーリーグデビューし、ルーキー最多安打記録となる242安打をマークしたが、その前までは、ジョーが1911年に放った233安打がルーキーレコードだった。同時期に球聖タイ・カッブがいたため1度も首位打者になれなかったのは不運だったが、俊足・好打・堅守の外野手として人気を博し、シカゴ・ホワイトソックスの黄金期を支えた。 そのジョーが関わったブラックソックス事件は、大正8年(1919)のワールドシリーズの際に発生した。優勢を予想されていたホワイトソックスがシンシナティ・レッズに敗れ、八百長疑惑が持ち上がった。ジョーのほかに、エディ・シーコット投手、レフティ・ウィリアムズ投手、チック・ガンディル一塁手、フレッド・マクマリン内野手、スウィード・リスバーグ遊撃手、ハッピー・フェルシュ中堅手、バック・ウィーバー三塁手が、賄賂を受け取った容疑で刑事告訴され、8人は法廷でそれを認めた。八百長話は確かにあったが、彼らが途中で手を切ろうとしていたこと、彼らの給料が不当に安かったこと(ユニフォームのクリーニング代さえも自腹だった)など同情の余地もあり、法廷は彼らを無罪とした。 ところが、事件を甘く処断しては面目が立たないと考えた米球界は、厳格で鳴るケネソー・マウンテン・ランディス判事に球界初のコミッショナーを委嘱し、全権を与えた。ランディスは「八百長の根絶のため」と称して8人を永久追放としたが、ホワイトソックスのオーナーだったチャールズ・コミスキーら経営陣に処分はなかった。こうして選手間にもファンの間にも、ある種の不公平感が残ったのである。 最もファンから愛されていたジョーが法廷から出てきた時、一人の少年が“It ain’t true is it, Joe?”「本当じゃないよね、ジョー?」と叫んだというが、この話はどうも新聞記者の作り話のようだ。とはいえ、このニュースが西海岸に届くころには、"Say it ain't so, Joe!"「嘘だと言ってよ、ジョー!」と叫んだことになっていたというから、恐ろしい。追放された選手らは、「悲運の8人」と呼ばれている。8人への同情や人気は根強く、彼らを題材とした小説や映画は多い。復権の嘆願は多いが、2013年現在、アメリカ野球殿堂の審査対象とはなっていない。