ジム・トンプソンの家バンコク_ジム・トンプソンの家_story(426) 2006.2.26バンコクに居ます。 バンコク市のサイアム・スクエアは、ラマ1世通りの南側、アンリ・デュナン通りとパヤータイ通りに挟まれた東西500mの区域ですが、この周辺はデパートやショピングセンター、ホテルが林立する一角となっています。 若者で溢れている界隈です。 理由としてはタイの東大にあたるチュラロンコーン大学(Chulalongkorn Univ)の学生や、それを目指す塾生が集まる場所で、実に多くの学生が歩いていました。 南北に走るラチャダム通りと東西に走るラマ1世通りの交差点には、エラワン・サンプラプーム(Erawan Sumplaplom)という祠(ほこら)があり、象(エラワン)が祭られています。 界隈は、秋葉原+渋谷といった風情で、スカイトレイン(BTS:Bankok mass Transit System)のスクンビット線、シーロム線が交差するため、頭上高く軌道が敷かれ(ビルの6階あたりでしょうか)、何層もの陸橋が大通りを覆い、ほとんど人は、ビルからビルへと高層階を歩み通り抜けていきます。地べたに降りようものなら車の洪水に巻き込まれ横断はおろか、通りに沿って歩くことが困難なほど車が溢れています。 昨年のサッカーのワールドカップ予選で、日本と北朝鮮戦が観戦ゼロで行われたのが、サイアム・スクエアにあるナショナル・スタジアム駅の際にある国立競技場です。 Jim Thompsons's House タイのシルク王 ジム・トンプソンの家(Jim Thompsons's House)は、ナショナル・スタジアム駅から北に500mほど行った運河沿いの家で、博物館として公開されています。 ただ、地元のタイ人でも行ったことがないという不思議なスポットです。 アメリカ人だったからでしょうか。 産業としてタイの伝統的な模様をタイシルクに編み込んだりしてタイシルクを復興させた人です。 1957年から67年まで暮らし、運河の北に工場を、南に住居を構えていました。運河に面した建物の構造で、昔は船から自由に出入りしたようです。 ジム・トンプソンは、1967年3月にマレーシアに行くといってそのまま行方不明となりな謎がに包まれたままです。 松本清張の『熱い絹』(講談社文庫)はこの失踪事件をモチーフにしています。 絵はジム・トンプソンの家(Jim Thompson's House)の中庭から家の一部(南200° pm5:00)を描いたものです。 日本語のガイドもあり、館内を案内してくれます。太い丸太で組まれた家の中は黒く光り、なかなか重厚で、涼しげでした。 |