甘樫丘_story(2552) 2011.12.2
今日
目覚ましの音楽が鳴る。はて・・?
灯油販売の車がロゴサウンドを鳴らしながら家の前をゆっくり進んでいたのだ。
午前8時47分。家族全員(といっても2人)はぐっすり寝込んでいたわけである。
さっそく朝食の準備に取り掛かる。そのあと、カミサンのお目覚めとなる。やることが多いのに寝坊とは!
しかし、昨夜は午前0時半の帰宅ながら車中はとにかく眠かった。何回足をつねったことか。会議などで、昼寝の時間が取れなかったことが災いしてどうも睡眠不足に陥っていたのだ。
ウィスキーの琥珀色もあやしい。強敵のカフェインが入っていたのではないかと思われるくらいに水曜の夜は寝不足になっていたのだ。追い打ちをかけるように3コマ授業に、会議である。
もう車の通勤は限度に来ている。あと7回の岐阜県・中津川ー神奈川県・相模原の往復(毎回540km)。生きていたい!
今日はうれしことがあった。革製品を創作されているアーティストから、子供たちの合計100歳記念にと色々なGoodsが届けられた。10日に皆が集まることなっている。家族全員のプレゼントが揃ったのだ。革の芸術作品で!
高校の同窓会で、古都散策を行った。
国営飛鳥歴史公園・甘樫丘。
甘樫丘 エントランス
この路を500mほど登ると、展望台に出る。絶景である。
法隆寺は280度の方向で、二上山(にじょうざん or ふたかみやま)の真下。
藤原京跡は310度の方向。
畝傍山・・285度、
耳成山350度、天香久山・・10度の方向などなど。
徒然の記 甘樫丘(あまかしのおか)
東西に数百m、南北に1kmほど広がっている。
丘全体が国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区となっている。
丘の北側に展望台があり、大和三山、藤原京などの風景を望むことができる。標高148m。
大化の改新以前に、蘇我蝦夷と蘇我入鹿の親子が権勢を示すために丘の麓に邸宅を構えていたという。2007年2月1日、東麓遺跡において7世紀前半から中頃のものと見られる建物跡や石垣を発見したと発表され、蘇我氏の邸宅跡ではないかと注目されている。
今回のコース・・・大阪駅北バスターミナル→新大阪→(神武天皇陵(車窓から))→奈良・橿原駅→箸墓(はしはか)古墳→「三輪そうめん山本」本社直営店『三輪茶屋』→((石舞台)(車窓から))→多武峰(とおのみね)・談山神社(たんざんじんじゃ)→国営飛鳥歴史公園(甘樫の丘)→(藤原宮跡(車窓から))→大阪へ。
Picture1(sketch-direction 90° pm2:45 Sketch point:Amakashinooka,asukamura-vill.Nara Pref.JapanGPS 34.481197 ,135.814672 (°)(34°28'52.31" N,135°48'52.82" E)標高98m
Google Earthを楽しむ方法
Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex.
36.7114 ,139.606369(°))を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。