turbo717's Activity 

2013/09/06(金)22:25

新宮での出会い

世界文化遺産(205)

熊野速玉大社・・・熊野古道・第2章回想録(4日目その1)_story(3185)2013.9.6 今朝は9時半から臨戦態勢。 小生はカミサンの携帯で、10時3秒前に電話を掛ける係りである。12月13日(金!)に開催される演奏会のチケット予約をしようとしているのだ。会員は割引制度があるため安く買えるのだが、先行発売のサービスが一切ないホールである。一般も同時に受付が始まる。アクセスが集中するため即完売が予想される。ぬかる訳にはいかない。すでに30分前に試に電話してある。笑ってしまった。コンピュータの声で「まだ受け付けていません!」という声が返ってくるものと思ったが、男性職員が電話に出てしまった。 「あのぅ。ブレハッチの予約はまだですヨネ?」と言い訳をしつつ、「はい。10時からとなっています。」と分かりきった声が。まだ「チケット受けつけモード」に切り替わっていなかったのかしら。 というわけで、小生の方は「リダイヤル」機能で、プチと真ん中のボタンを押すだけである。電話が相手に繋がるまでには実験で3秒ほどかかることが判明している。よって電波時計が9時59分57秒にさしかかった瞬間にボタンを押すことにした。 傍らでカミサンはパソコンにかじりついている。もう1時間も前から。会場のホームページでは、会員しか入れないページがすでに開いている。「更新」ボタンを1sec前に押すという裁断である。9時59分59秒となった。よる年波、手元が狂い、0.5秒遅かった。なんとその瞬間、「ただいまネットが混んでいて繋がりません。」というメッセージ。 カミサン悲鳴を上げる。ネットでは同時に500名くらいが繋いだもよう。2分後には会場の真ん中部分がすでに予約で満席となっていた。 さて、小生のほうは、10:00ジャストに電話が繋がった。男声の声であったので先ほどの男性かもしれない。それをカミサンに渡す。かようにしてパソコンでは取れなかったチケットが、携帯のほうで無時チケットを1枚 ゲットできた。 10時2分。小生は今日の大役を終えて、2階に移動。後ろからカミサンが「有難う!」と。 ここで、調べてみた。インターネット回線でも加入しているのが一次プロバイダー(OCNやNifty)か、二次以下かで、Speedや、busy状態が違ってくるというのだ。地方の無名のプロバイダーの場合は孫請けとなるため遅いのではないかということである。さて、神奈川のJ:comはどっちであろうか。このあたり電話のほうが確実なのかしれない。いずれにしろ、10:00:00(今の場合は、時報の10時で受付開始の場合)から行動を起こしてはダメだということである。繋がるまでの時間を見越して早めにアクセスしなければならない。 熊野古道・第2章 回想録(4日目その1) 新宮市 熊野速玉神社 境内 熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とする神社で熊野三山の一つ。靡(なびき)では第3靡にあたる。境内には新宮市の市の木「梛(なぎ)」の巨木が植わっている。 この神社の始まりは、権現山と呼ばれた千穂ヶ峯(253m 速玉大社の裏山)の南端にある神倉(かんのくらorかみくら)で、ゴトビキ岩という巨石があり古代の祭地であった。奈良時代に現在の場所に移された。新宮の名の起こりである。現在、神倉神社には高倉下命(たかくらじのみこと)が祀られている。 2月6日に行われる「お燈祭り(おとうまつり)」では2000人もの「上り子」たちが松明をかざして538段の石段を駈け降りる。巨大な火の帯が出現する。 世界文化遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を12泊13日で巡ってきました。 第1章として大峯奥駈道(吉野川柳の渡し→熊野本宮大社)6泊7日の旅、第2章として下記の伊勢路、川の熊野古道、外辺路、中辺路、大辺路といった大峯奥駈道以外の熊野古道を6泊6日で探索した。それを回想する。、 第2章4日目(通算10日目)の行程 五郷町→車(15km)→JR熊野市駅へ移動→JR→新宮→熊野速玉神社→佐藤春夫記念館→西村記念館→「新宮山彦ぐるーぷ」の方のお宅→阿須賀神社→王子神社→王子ヶ浜→(熊野古道)→高野坂(こうやざか)→三輪崎駅→JR→那智→那智海水浴場(那智津浦海浜公園、浜ノ宮)テント泊(ここでテント壊れる 親戚の人の見送りを戴いて、新宮行の列車が出発。気恥ずかしい。この新宮には会合わなければならない人たちがわんさかとおられるのだ。行程にずいぶんと記述した。当初は五郷町から最寄の大泊(おおどまり)駅まで15kmほどを歩く予定であったが、新宮での時間を取りたいと言うことと、足の豆のためこの区間は車で送って戴くことにしたのだ。 「さんまの歌」で有名な文化勲章受章者佐藤春夫(1892.4.9 - 1964.5.6)はこの新宮で生まれ、文京区で亡くなっている。文京区にあった邸宅を新宮市に移し佐藤春夫記念館となっている。場所は何と、熊野速玉大社の敷地の中である。この館長をされている方が従兄弟の奥さんの親戚に当たる。訪ねると館長直々に、館内を案内してくださった。谷崎潤一郎(1886.7.24- 1965.7.30)の奥さんを譲り受ける形で結婚した事件(「細君譲渡事件」)など詳細な研究発表の冊子もお土産に戴いた。この館長が薦めるのが次なる西村記念館である。 西村伊作(1884.9.6- 1963.2.11)が設計した邸宅が記念館となっている。与謝野鉄幹、晶子らと文化学院を創設した。氏は、奈良県十津川村の森林の大部分を持っていたという森林王でもある。豊な財力をもって、教育につぎ込んだが、一方建築家でもあり、さらに画家でもあったという。西村記念館の館長が、これから「新宮山彦ぐるーぷ」事務局で世話人のOさんと会に行くのだというと電話をしてくれたり。 この町では皆が知り合いなのかと驚いてしまう。 道行く人にスタミナをつけるために「かつ丼」を食べたいと言うと2,3人が寄ってきて相談を始めた。焼肉ならボリュームたっぷりの店が駅の北側にあると教えてくれたり。なにか「鶴瓶の家族に乾杯」を地で行く展開となりつつある。 「新宮山彦ぐるーぷ」(1974.4.28発足-)事務局のOさんとは、大峯奥駈道で会っているのである。持経ノ宿(じけいのしゅく)で、冷たいジュースやお茶を貰った方である。彼らの活躍は、「世界遺産 熊野古道」(文 坂本勲生、写真 南川三次郎、朗読CD 嵐圭史)、伊勢路を中心とした「熊野古道-世界遺産を歩く-」(文 川端守、写真山本卓蔵)や、「大峯奥駈道75靡」(森沢義信)の本で紹介されている。大峯奥駈道の内、南半分(太古の辻(前鬼口から上り詰めるとこの辻に至る)から熊野本宮大社)までの道を整備し(赤テープを結わえたり、危険個所にロープを張ったり)、山小屋(持経宿、平治宿、行仙宿)を建てて維持管理し、飲み水をタンクに入れ、トイレを清掃し、那智の青岸渡寺が年4回催す順峰修行の宿や食事の準備など諸々の事を続けている団体である。2004年の世界遺産認定の原動力になっている。 相談役は80歳代で今も元気な玉岡憲明さんである。 このOさんの近くに小生の伯父の家がある。ガソリンスタンドの向い側でもある。奥さんの親戚がづっとこのガソリンスタンドを経営されている。何とこんな関係であったのである。寄寓もよいところである。このO氏、車で、王子神社まで道案内をしてくれる。熊野古道が速玉神社からづっと続いているというのだ。中辺路の一部である。(田辺→熊野本宮大社→川の熊野道→熊野速玉大社→那智・補陀洛山寺→熊野那智大社→雲取峠→熊野本宮大社(一周))。 (熊野古道)→高野坂 王子ヶ浜から見た高野坂。 3kmはある海岸線。誰も泳いでいない。 深いので遊泳禁止になっているとのこと。 写真:八咫烏 「熊野牛王符」(くまのごおうふ)は、この烏文字で出来ている。熊野三山でいうと、88匹を使って書かれているのが熊野本宮大社。72匹が那智、48匹が速玉神社である。 八咫烏を小さくして文字の「つくり」にしている。厄除けの護符として売られている。 全国にある熊野神社でもこの八咫烏を見ることができる。 サッカー日本代表のマーク 写真:西村記念館 Picture1(sketch-direction 280°am10:00 Sketch point:Kumanohayatamataisya,Singu City,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.732217,135.983872(°)(33°43'55.98" N,135°59'1.94" E)標高12m Picture2(sketch-direction 200°pm3:05 Sketch point:Ojigahama,Singu City,Wakayama Pref.,JapanGPS 33.706697,135.996072(°)(33°42'24.11N,135°59'45.86" E)標高5m Google Earthを楽しむ方法 Blogに掲載されている画像はすべて場所名、方位、時刻、GPS情報と標高を付けています。このうちGPS情報(ex. 35.645569,139.615544(°)など)を、Google Earthのジャンプboxに貼り付けて検索ボタンをクリックすると、スケッチした場所に飛ぶことが出来ます。

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る