カテゴリ:ジョグ&スケッチ
Manaduru lodging,harvesting lemon_ story (4340)2018.4.14
I went to send my grandchild to his kindergarten but I made a mistake. The pajamas which made take off are put on once again By the way, my grandson seems to have been complaining something strange. I ignored it. Oh no! 孫を幼稚園に送りに行ったがどうも失敗をしてしまった。脱がせたパジャマを再度着せて着ぶくれ状態だったらしい。そういえば何かぶつぶつ言っていたようだ。 Fishing port of Iwa in Manaduru (真鶴 岩漁港)( 2018.4.8) 目次 徒然の記その1 真鶴合宿 徒然の記その2 石神井川run 徒然の記その3 手賀沼walk 徒然の記その4 Camino- Francés、Camino a Finisterre KMLファイル完 徒然の記その5 トレイルズ~「道」と歩くことの哲学~ 徒然の記その6 再び孫 徒然の記その1 真鶴合宿 2018.4.7-8(土-日火) ■歩き塾「都内近郊シリーズ 真鶴 枝垂桜」を17:00までに終え、夜の部に移行した。 駅で夜の部に参加する1人を待った。他の4人は遅れてタクシーで到着。 歩き塾参加で、泊りという人が3人、夜の部だけに参加する人は5人。合計8人が寝袋持参でW氏の邸宅に集まった。 夕食のもてなしが凄い。 ・・オリーブ塩漬け、ちりめんサンショなどの前菜1。 ・・玉子とうふ+トマトソースなどの前菜2。 ・・シラスのペペロンチーノ、イベリコ豚のパテ、アヒージョ(マッシュルーム、エビ、ブロッコリー)などの前菜3。 ・・たらマヨなどの前菜4。 ・・ブロッコリー、アボガド、ホタテ等のサラダ メインは、刺身、ブイヤアベース(ムール貝、アイオリソース)、塩豚、玉ねぎ+ズッキーニなど。 上記の一部は、昼の部の「歩き塾」にも振舞われた。感謝。 ■夕食の合間にPianoとViola演奏・・Mozart: ピアノ・ソナタ(Thema)、Gounod(グノー):Ave Maria、 J.S.Bach: Air(G線上のアリア)、合唱の部では 愛の讃歌、早春賦、浜辺の歌、夏の思い出など。歌詞カード付き。 Pianoは1ヶ月ほど前にダイニングに運び込まれている。Violaは土曜日の朝、リュックと共に持ってきていて「歩き塾」の間は駅前近くのW氏のクリニックに預かってもらっていたものだ。 ■早朝running・・TVの天気予報など簡略化された関東の地図を見ると神奈川県の左下の小さな突起が示されている。これが真鶴半島であり、このわずかに左側も神奈川県に入る湯河原町であるが見たところほとんど認識できない。 半島は、箱根火山のマグマの塊がここまで流れて出来上がったのであろうか、本小松石(火成岩のひとつの輝石安山岩で、旧岩村にあった小松山に因んで名づけられた)の産地である。 真鶴町は、「真鶴町真鶴」と「真鶴町岩」の2つの住所表記を持つが、その境界は入り組んでおり飛び地まである複雑さである。 今朝は、おそらく100%「真鶴町岩」であろう岩漁港にマラソンに出かけた。 この岩海岸は1180年8月28日、石橋山の戦いに敗れた源頼朝が房総に逃れた船出の浜である。スロープがあり漁港がひっそりと横たわっている。 寝袋にくるまって寝たため身体は火のように熱く半袖のランニング姿で宿舎を飛び出して失敗をした。外は極寒である。電動シャッターを閉めて出てきたため再度上げるのは面倒とばかり震える”朝ラン”となった。まぁ走っているうちに暖かくなるであろう。 近くに横浜国立大学の臨海環境センターがある。そこまで登り切り。住宅街にある細い道についた階段などを下っていくと漁港に着く。5:30が日の出であったが、湾を跨ぐ真鶴道路の橋脚が邪魔をして朝日が届かず寒い。 震えながらスケッチをする。かって長野県ではスケッチの水が音を叩て凍り付きシャーベットのようになったことを思い出したがそれほどは寒くはないのだろう。ガマンである。真鶴道路が南側の陸地に到達した場所に沿って側道があった。50cmくらいの獣道であるが、W邸に行く近道であることも発見。 国道135号へは瀧門寺の脇を登っていくと辿り着ける。JRをくぐって真っすぐ山の方に登っていけば、前回のrunで通った根府川と真鶴を結ぶ道にも出れる。これでこのあたりの地図が大体つかめた。あとはさらに上にある「白銀林道」をマスターすれば地元の人より詳しくなる筈である。 宿に戻ると男性陣は全員起床。女性陣はまだ睡眠中であった。カーテンを開けてベランダに出るともう太陽が頭上に輝いており、風はおだやか。海上には波もたっていない。 ■ラックの組み立て・・なにせCDやDVDが7000枚以上あるお家である。CD480枚が収容できるタワーラックを2つ(白、黒)を新たに組み立てた。白黒チームに分かれて作業を開始。こちらは1人で白い方のダンボールをこじ開ける。金具や木材などが飛び出した。説明書を見ながらの組み立てていくのであるが、部品が多すぎて難しい。 マニュアルがいかに分かり易く書かれているかと というのがいつも興味の対象である。難なく組み立てられると、マニュアルは上出来である。 これがそうでないと自分の腕と知能の責任とはせずマニュアルに非があると決めつけてしまう。 完成図を先にあげ、その部分の呼び名をいちいち図示で示すべきなのに、それがなくいきなり「上材」「下材」「底板」「天板」などの梱包されている部品の説明から入るからわかりにくい。上も下もほとんど同じで、穴が一つ多いなどの違いがあるだけである。 黒組は2人のためかチャチャと組みあがっていき焦る。こちとらはそれを時々見学をしに行っては、参考にさせてもらうが、さて上下を合わそうとしたが、どうも様子が違う。側面に固く埋め込んだ「木ホゾ」という駒のように小さな部品をホゾ穴から抜かなければならない。木槌替わりにした木片で打ち付けたものだからなかなか抜けない。 家人も居ないためペンチ類の工具のありかがわからない。「ギブアップ」を宣言して仕事を放棄。しかし黒チームは嬉々として仕事を続けている。白チームに後で加わった女性も頭をフル回転にして加勢してくれたものの、抜けない物は抜けないのである。 まてよ! 歯があるではないか、試してみた。歯が折れてはもとも子もない。再度「ギブアップ」を宣言。黒チームは完成に近い・えーいままよ。と誰も見ていないオーディオルームの中で一人。最後の力を振り絞って歯で抜いてみることにした。うまく中心を噛めばスーっ と抜け出した。スポーっと。もう一本。間違って押し込んだ「木ホゾ」は2個。 これを抜き、作業再開。黒チームに遅れること15分。ようやく本格的組み立ててをスタート。黒チームも加勢。あとはあれよあれよとばかりに組みあがっていく。底板の上で回転するラックは上下で合計32枚。一枚でCD12枚挿入するとして全体で480枚。その重みに耐える木造の「構造物」。 ■レモン摘みと隣の石垣の周辺掃除・・一宿3飯のお礼に全員総力。 レモンが3本くらいの木にたわわに実っている。これを全部採るという仕事を仰せつかった。数は300個。棘もある木なので注意が必要。高枝用の剪定鋏を借り受け高い方に実るレモンを専門に収穫する。 まぁ家では柿の収穫や、五葉松の剪定で使い慣れているものの、枝のどちら側に実があるかの方向性を定めないと悲劇が起きる。大変難しいのである。剪定ばさみと枝を掴む腕が一体となっているため、枝の右側に実が付いている場合には、まず実の左側に枝を持つ腕をあてがい、さらに外側に剪定ばさみが来るように回転させ、柄の最下部にあるハンドルを持つ。 上手くいくと、レモンが付いた枝を掴んだまま、木から離脱させることが出来るためハンドルの手を放さない限り、しっかりとレモンを保持したまま地上に降ろすことが出来る。 これを逆にすると、レモンが頭上に落ちてくるのである。枝の左側に実が付いている場合には、今の操作を180度逆にしなければならないのだ。ところが葉っぱが重なりあってどちら側に実が付いているかわからないのである。運を天にまかせ枝を切ると、ポトリとレモンが落下し下で作業する人に当たる。 ある場合はレモンが坂道を転がって行き、おむすびころりんと、どこまでも追いかけなくてはいけない。 180度ひねるか否かは、剪定ばさみ自身に目印があれば分かり易い。それが無いためこちとらは、始終呪文を唱える「(レモンのあるほうの)枝を掴んで・・切る」「々」と。 戦闘モードで実を全部落とした。 隣家の石垣との境が雑草で覆われ大変なことになっている。悪戦苦闘している輩にかわり機関車のように開拓を始める。どうもオニグルミについた毛虫クスサン(体長8cm以上の巨大)が葉っぱを全部食べつくす様をご存知だろうか。何万匹の毛虫が一斉に糞をするのだ。そのザーと音がする不気味さ。それを灯油を付けたタオルを燃やしながら一匹一匹やっつけていく。鬼となった当方。庭仕事の原点となっている そういう勢いで雑草を刈り取っていかなければならないのである。一本の雑草も残すことは許されないのだ。あとでそれらは樹木のように育ってしまう。 まてよ、どうも切り過ぎた恐れがある。「石垣そのものから生えている雑草は抜くな」と言うことだったらしいが、地面との境ではそれがあやふやとなっている。 灌木のような木が覆い茂っておりそれも切り始めたが、途中でやめた。争いのもととなっていけない。 しこうして切った雑草や蔦や枝が山のように溜まった。それを小さくしてしていき、「真鶴」と書いたゴミ袋に収納していく。 ■昼食・・13:00には豚が焼きあがった。もう野外キャンプのような楽しい食卓となった。ほっぺたを何回落としたことか。重労働のあとのビールの美味しかったことよ。 ■後日談・・レモンの砂糖漬け・・貰って帰ったレモン7個のうち5個を利用して、砂糖漬けを作成・・レモンを輪切りにし、レモン:砂糖 1:2の黄金比+蜂蜜を少々 で瓶やタッパーに漬ける。 レモンピール・・2個を利用してレモンの皮を使ったピールを作成・・レモンを縦に剥き細長く切る→たっぷりの水で鍋にかけ沸騰させる→ゆでこぼしを3回繰り返す→フライパンによく水を切ったレモンの皮と砂糖を混ぜて煮詰める。焦がさない様に。キッチンシートの上に広げグラニュー糖をまぶす。 徒然の記その2 石神井川run 2018.4.10(火) ■小金井カントリーの西側に端を発した長さ25kmの石神井川は最初は暗渠のままであるが、小金井公園北側でやっとその姿を外に表す1級河川である。途中田柄川や音無峡谷からの流れを合わせ、隅田川に注ぐ。 石神井川の歴史は古く、かっての流れは古石神井川と呼ばれ、西日暮里北側の道灌山の裾を通り、不忍池とも結ばれていた。その間を谷根千(やねせん)と呼ぶ。文京区東端から台東区西端一帯の谷中、根津、千駄木周辺地区を指す総称である。 今回のrunは懐かしい石神井公園から出発することにした。記憶は40年前のものである。右手に瀟洒な住宅街があり左手に池を見下ろす起伏の激しい小道を辿ったことを思い出す。この公園の最寄りの駅が西武池袋線の「石神井公園駅」である。似たような名前の「上石神井駅」は西武新宿線にあるが、互いにこの公園を挟んでいる感じで共に練馬区内にある。 公園は、西側に三宝寺池(さんぽうじ)、東側に石神井池の2つの池の含む。三宝寺池は沼沢植物群落があり野鳥観察も楽しめる。ごく平坦な公園なのに、「山」のような起伏の思い出があるのは不思議であったが、周囲は南と、西は階段で登るほどの丘陵になっており樹林帯を形成する。石神井城跡はその丘陵に建つ。 石神井川に水を供給する湧水池であったはずなのに今では逆にポンプで水を供給している。 目黒川のように桜の名所も随所にあるが、目黒と違うところは川幅が比較的に広いことと、底が深い事である。片側(南側)にのみ桜が植えられ明るく開けているという感じであろうか。一部何も植えられていない区間があり殺風景な川筋となっている。ただ川筋を通る風から涼感を得ることができる。 城北公園で板橋区に入るが、カワセミが中州に設けられたコンクリートの囲いに巣を作っているらしく、多数の人達が三脚に固定した大型のカメラの照準を合わせるのに夢中であった。首都高5号池袋線や国道17号線といった巨大な幹線を過ぎると、北区に入り、加賀町、滝川町といった伝統の街並みを通る。外国に来たように整備された沿道が続く。 この辺りの川底は10m以上もある峡谷をなす。垂直の擁壁であるが、王子駅で暗渠となる。今まで続いてきた遊歩道は、「音無親水公園(公園100選)」の一部となる。王寺駅の改札前を通るようになっている。ここでは川の形をした親水公園であるが、水量はゼロであった。 本来の石神井川は駅の下で流量を突然増し立派な都市河川となって王子駅の東側に現れる。このマジックは一体なんであろうか。 もはや川の堤に沿った歩道は消滅し、首都高の中央環状が頭上を走る都会の風景となる。堀船緑地では防災用の巨大なポンプ塔の建設が行われている。今回は20kmのrunであった。 途中、豊島園は川の両側を占有するため歩道が500mも途切れ、迂回を余儀なくされた。地下道を設けるなど小生のような”川筋を行く”旅人に配慮をしてもらいたいものである。 徒然の記その3 手賀沼walk 2018.4.14(土) ■2月5日(月)に続いて2回目の手賀沼。夕方から雨と言う曇り空の元、我孫子駅南口に6人が集合。今日の案内役は歩き塾CEO。 「手賀大橋」際にあるレストランSHONANには13:15到着。ボリュームある野菜料理の数々。ゆっくり食事して14:30退出。向かいにある道の駅で14:30-15:00と更に買い物休憩。雨模様の雲行きとなってきたため今回はここからショートカットし我孫子駅にもどる。15:30 解散。我孫子駅北側3kmのところにある「あけぼの山農業公園チューリップ畑」に行くアイデアもあったが盛りを過ぎているためもありパス。歩行総計は15kmほど。沼を見下ろすハケ際には旧村山邸などが立ち並び鎌倉の面影。全員息をのむ。水戸道中(街道)が通っている街並みを縫いながら駅に向かう。直前に雨が降り出した。途中で切り上げて正解であった。 徒然の記その4 Camino- Francés、Camino a Finisterre KMLファイル完 2018.4.12(木) ■kmlファイル 完成 フランス人の道、フィニステーラの道 ルピュイの道の合計2000kmのKMLファイルが完成したので公開する。 Camino de Le Puy (Le Puy-en-Velay-SJPP Ext.Geneva,Konstanz,Prague(GR65)、Figeac--Rocamadour--Cahors(GR6)) Camino- Francés、Camino a Finisterre 先週はこのうちのフランス人の道をトレースしている最終段階でファイルを削除してしまい腐っていたが、改めて800kmをトレースしてみた。こつが分かってきた。 「主要都市の中の地図は詳しく、あとは直線で」という方針に切り替えて、再度caminoルートをGoogle Earthでトレースしてみたのだ。 「直線で」という姿勢も、どのpoint間を直線で引くかは匙加減であるが、それでも大体はコース上をマッピングしたつもりである。 超詳細に道を辿るのは無限に時間がかかるが、ある程度目をつむるという姿勢であればたいへん能率がよい。フィニステラまでの分も加えることにした。 とにかく、メインルートのCamino- Francés(フランス人の道)とCamino a Finisterre(フィニステラの道)は歩く人が多い。ここではパンプローナ、ブルゴス、レオンなど大都市の中では標識が少なくだいたいが苦労する。村々も含めて人口密集地帯はより詳細に、一本道は手を抜くという手法であるが、曲がり角はランドマークとして詳細にマーキングした積りである。 元データは「https://mapacaminosantiago.es/gps/caminofrances/caminofrances.zip」にある公式のものである。 フランス人の道(フィニステラまでの90kmを追加)(SJPP--SC--Finisterra)・・フランス人の道+フィニステラの道KMLファイル ル・ピュイの道(ロカマドール周辺の地図を追加)(Le Puy-en-Velay-SJPP ,Figeac--Rocamadour--Cahors )・・ル・ピュイの道(GR65,GR6)KMLファイル Profile of Camino- Francés and Camino a Finisterre(フランス人の道のプロファイルとフィニステラの道、) 参考までに、パリ→ボルドー→イルン→北の道、イギリス人の道、ポルトガル人の道、camino de Cádizを含むturbo717の2016年ヨーロッパ縦断のKMLファイルを示す。 「北の道」「イギリス人の道」「ポルトガル人の道」「カディスの道」は参考になるのかもわからない。 「北の道」「イギリス人の道」「ポルトガル人の道」「カディスの道」を含むヨーロッパ縦断map 利用の仕方・・リンクをクリックしてダウンロード。 Google Earth、Maps.Me(オフラインmap)、Geographica(同)で利用できる。 Maps.Meではブックマークのアイコンを押すと、先にダウンロードした複数の”フランス人の道”を消すことができる。Geographicaでは、ファイル→トラックのアイコンで表示するトラックを消すことができる。 特に都市部は詳細なルート図となっているので、現地でで分らなくなったらこの地図を参照ください。 また、caminoをまだ知らない人は、Google Earthがよいかもしれない。どんどん拡大していくと航空写真ながら人の影まで確認でき、臨場感が湧く実際の旅のモードにスイッチできる筈である。全部を見るのに1年はかかるかましれない。 その他の巡礼路や、旅装束など、データベースは下記に掲載。参考書も含めて記載されている。これらはブックマークに保存しておくと便利かもしれない。 巡礼路データベース 旅のお供にどうぞ。 ■余談であるが、今回のCamino- Francésの再トレースでは、空中からフランス人の道を散策させてもらった。拡大していくと過去に歩いた道が走馬灯のように思い出し涙す。 下記「徒然の記その5 トレイルズ」でも触れるが、町に「道」が出来る過程をつぶさに見ることができる。目的を持った人が方々から来て教会を建たてたり住居にしたりして町が造られていく。八方から町に至る道(トレイル)が出来上がる。さてその後自動車文明が押し寄せた。 より高速で車を通行させるためには比較的真っすぐな道が必要になる。しかし町のど真ん中に通してしまったら町を破壊してしまう。町を迂回しながら接近する。更に高速の自動車専用道路は町からはるかに離れた場所に建設する。 しこうして町は静寂を保たれる。すべての町に共通する構造が伺える。一例をCarrón de los Condes(カリオン・デ・ロス・コンデス:GPS 42°20'14.51"N, 4°30'9.52"W)にも見出される。 この宝石のように美しい町の構造を縫って行くのがcaminoである。巡礼道の素晴らしさはこういった静かな町々を訪れていくことではないだろうか。 trails in the city of Carrón de los Condes(カリオン・デ・ロス・コンデスの道路網 赤線が巡礼路、高速道路のICから町中心部へは2km。 徒然の記その5 トレイルズ~「道」と歩くことの哲学~ 2018.4.13(金) ■アパラチアン・トレイルを踏破したいと語る愚息から一冊の本を借り受けた。 On Trails an Exploration・・・Robert Moor(ロバート・ムーア) 著 岩崎晋也訳 アパラチアン・トレイル(AT)とは、南部ジョージア州スプリンガー山から北部メイン州カターディン山までアパラチア山脈に伸びる全長3500km、幅300m~500mの自然保護区域(原生自然)に設置され管理されている道である。帯状の領域はアメリカで最も長く、最も細い国立公園となっている。 森林局員ベントン・マッケイの提唱した構想をもとに1937年開通した。部分的なハイキングも含め、毎年200万人もの人が歩く。 21世紀になった今日、北米からヨーロッパにかけて残る旧大陸間に跨るアパラティア山脈の痕跡を辿ろうとしてアイスランドを頂点として東西両大陸につらなるスーパー・トレイルの構想が持ち上がっている。 フロリダから、モロッコ南西部の町アンティアトラス山脈のタルーダントまでの12,000kmのインターナショナル・アパラチアン・トレール(IAT)である。 この書は、トレイルの発生した原始からの歴史を辿りながら「道とは何だろう」と考える哲学書となっている。一本の道は人間よりももっと前に動物やそのもっと前のアメーバー時代から動物の移動ルートであったという。 獲物を得るための動物の通る道が次第に形を成していったものではないかと。ハイキングで我々が通る道もそのように次第についていったのかもしれない。往々にして最短ルートであったり、目的の植物が植わっている場所への道だったりする。峠を通るコースや難所を迂回するルートなどが何千年もかけて自然発生的に生まれていったのだとする。 ”トレイル”と名の付く道は、原始のまま残された道ではなく、十二分に管理され維持されており、その上を通る人に適正に保たれなければならないのだという。 例えば、もし設置した階段を使わず横の土道を通ると、足の踏み跡が水路となり土は削られていくのだと。 AITは、北米だけだと、フロリダからニューファンドランド島まで8000km。アイスランドからスペイン、モロッコまでは全長12000km。 北米3冠のトレールは、アパラティアン・トレイル、パシフィック・クレスト・トレイル、コンチネンタル・ディバイド・トレイルであるが、その他に12のナショナル・シーニック・トレイルがあり、これらを全て踏破したノマドという人物は、15年間で54,000kmを歩いたという。荷物はたったの4.5kg(エナジーバーやトレイルミックスなどの携帯食やピーナッツバターなど。これらは120g当たり 300kcalの発生エネルギーがある。)で1日50kmくらい歩く。もう仙人である。 AT構想提案者マッケイは言う・・トレイルの使命とは、 ・歩くこと ・見ること、そして ・自分が何を見ているかを見ること 徒然の記その6 再び孫 2018.4.13(金) ■国会が荒れている・・その余波は孫にも影響が及んでいるのだ どうにかして欲しい。 父親は徹夜か朝帰りであるという。孫を子供園に送りにいく係がいない。母親の朝は早く6:45には家を出ていく。その後7:30に孫を起こす。父親は職場が近いため9:00出発でも間に合うという。そこで普段は父親が朝ご飯を食べさせ子供園に連れて行く。 ところが、国会のあおりで上記のような次第で爺の出番である。「まかせておけ」とばかりに朝一番の電車で娘の家に。6:25には到着した。 ご飯の準備や洋服の着せ替え、出かける服などの説明を受けバトンタッチ。早朝に帰った父親は寝ているという。11:00には出勤するようであるが爆睡しているらしい。 ウインナーソーセージ6本をフライパンで焼く。パンも焼く。苺や葡萄、牛乳、ヨーグルトと一応食卓の準備をし孫を起こしにいく。なんとこちとらは、4:30にはカミさん用の朝餉の準備をし、またしても7:30に孫の朝食と2度の準備である。小生の朝ご飯は早くも4:45には終わっている。 7:30 孫を起こしにいく。父親は早く出かけたと嘘をつく。「もっと早く起きればよかった。」と悔し泣きをする。知恵がついたものだ。 食事は「30回噛むべし!」と教える。カミさんの教育を失敗したのでこちらへ転嫁。 しっかり噛んで食べている。○○チャンはぺちゃぺちゃと音を立てて食べる。と言うがこちらはお上品だ。口をつむって食べている。独力で30分も食べているが食材が一向に無くならない。8:30には出かけなければならないのだ。 こんどは口の中を開けさせて何もなければ抛り込むようにして催促である。漸くすべてを食べ終わった。なかなか上等である。 夜は着けていたオムツを脱がせ、パンツに替える。下着などを着せる。まさに言われるままの着せ替え人形である。まだ3歳1ヶ月なので大変である。子供園の制服を着せ、帽子を被せる。リュックや水筒は重いからと持たない。 さぁ、700mの歩行が始まった。子供園がある場所まで一本道。時間は8:45.あとまだ400mある。100m3分とカウントしたので、到着は8:57と計算。9:00までに先生に引き渡さねばならぬ。 すこし急がせる。よちよちと15cmくらいの靴を交互に進む。手は洗ったものの口の周りを拭くのをわすれた。食べ物の跡が付いている。玄関到着は8:54セーフ。水道を探したが見当たらない。後できた女の子の水筒から水をもらい受ける。すこし口の周りを綺麗にする。 下駄箱の上にタブレットが置いてある。「○○」組をタッチ。名前も一覧が出てくるので、そこをタッチ。到着時間がインプットされ、登園が記録される。便利なシステムである。担任の先生に引き渡し小生の役割は終了。 晴れた4月のある1日。なかなか面白い1日の始まりであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 17, 2018 09:32:46 AM
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