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つれづれかふぇ

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Mar 12, 2006
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カテゴリ:仕事の話。
祖母も寄る年波には勝てませんでした。
大変な巨漢だった祖母はすぐに足腰に負担がかかり、歩く事がままならなくなってしまったのです。
それまで家事仕事をしていた祖母でしたが、それもできなくなってきました。
(ここで母はえらいと思うのですが、足腰の悪くなった祖母に対して、居間でできるような、皮むきとか、さやえんどうの筋取り、洗濯たたみ・・・などをさせて、家事仕事を継続させようとしたのです)
だんだん祖母は無気力になっていったと思います。
元気な頃に行ってきた所業がたたり、私達家族も祖母と会話するのを極端に嫌がりました。
祖母は毎日毎日テレビを見て過ごすようになり、そのうちにテレビと会話するようになり、最後には妄想・幻聴という痴呆の症状(今は認知症ですね)が顕著に現れるようになりました。
その症状は、自分の主治医の先生が祖母に好意を寄せていて、毎晩自分の部屋に入ってくる・・・というもの。
夕飯を食べ終わると祖母は毎晩イソイソと化粧をして自室に入っていくのでした。そして、彼女の中では見えている主治医の先生と会話をしているのでした・・・。
彼女の部屋を訪れる男性はだんだん増えていきました。しまいにはベッドに潜りこんできてお腹を押す、と訴えるようになりました。そしてその度に大量に便をもらすのです。私はその頃中学生で受験などあり、大事な時期でしたが、その便の処理を手伝った記憶があります。
そして最終的には部屋に入ってこられて怖いから警察を呼べ!というところまできてしまいました。

当時はもちろん介護保険制度による支援はなく、祖母の介護に行き詰った私達家族は、入院や入所(老健)を繰り返す事になります。
(現在は老健も第2の特養のようになっていますが、当時は限度が守られていたようです。)
最初に入院した時はどうやら薬でおとなしくさせられていたようで、面会に行くと目に生気がなく、私の事もおぼろげにしかわからなかったようです。
続いて老健に入所すると、良いケアを受けていたのか、痴呆症状が緩和し、私達家族ときちんと会話ができていました。目にも生気があり、レクリエーションなどで自慢の喉を鳴らしていたようです。
最後に入院した時には、巨漢だった体はその面影もなく、ガリガリにやせ細り、足は屈曲・拘縮し、今にして思えば床ずれもあったのでしょう。

亡くなるときは安らかだったと聞いています。
(私はすでに大学に進み、実家を離れていました)





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Last updated  Mar 12, 2006 07:18:00 PM
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