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南トルコ・アンタルヤの12ヶ月*** 地中海は今日も青し

(3)ガイド少年


《ヒッタイトの足跡を訪ねる旅―第1回》 (2003年8月の旅の記録) 

 (3)ガイド少年


「セラムナレイキュン」
「アレイキュンセラム」
はじめに通りかかった老人にヒッタイトのモニュメントの場所を聞くと、車でも行けるが、村の中心にあるモスクの横に車を留めて、そこから歩いて登りなさいというアドバイス。
モスク前の小さな広場に到着すると、ワラワラと村の子供たちが寄ってきた。
「ヒッタイトのモニュメントまで、誰が案内してくれる?」
何人かが名乗りを上げ、私は夫と子供たちを車に残すと、帽子を被り、靴を換え、水のペットボトルとデジカメの所在を確認して、子供たちの後ろに従った。

そこへ別の男性が寄ってきて、「車でも行けるよ」と教えてくれた。
子供たちの中で真っ先に助手席に乗り込んだのは、11歳の少年だった。
遠くからの客人が嬉しいのか、外国人を案内することが誇らしいのか、この少年は妙に張り切った風で、夫にああしてこうしてと車の行き先を指示しながら、合間にもひっきりなしに話し続け、夫が舌を巻くほどだった。
「まいったなあ。俺のこと外国人と思ってるのかな」
「どうして?」
「外国人に教えるみたいな話し方をするんだよ」

この村へは日本人も過去に何回か訪れているそうで、グループで4WDに乗ってやってきたとか、他にも外国人が何度も来ているとか。少年の誇らしげな語り口から察するに、外国人の訪問は村の子供たちにとっての誇りであり、退屈な日常を紛らす格好のイベントのひとつなのだろう。
クッキリとしたタイヤの跡が2本残る細い山道を注意しながら登りつつも、少年は口を閉じることはなかった。
右手遠くに見え始めた馬のレリーフを指し示した後で、今度は道のすぐ脇左手の斜面に横たわる大きな岩のモニュメントを指差し、「もう少し先で車を下りるから、後で来て」と、生意気な口ぶりで指示するのである。

夏のアナトリアの大地と我が家のポンコツワゴン


前方が開け、車を留める場所に到着すると、車を下り、大きく息をした。
その辺り一帯は、これがアナトリアの典型的な夏のヤイラの景色なのか、夏枯れた丘陵地帯が広がっていた。
麦藁色の枯れた草の間から、アザミに似た青紫色の花が点々と首を伸ばしている。
この花はアンタルヤから来る途中の道端のあちらこちらに咲いていて、ずっと私の注意を惹いていたのだが、実際に触れてみると、葉だけでなく花びらそのものが針状の、何者をも寄せ付けない厳格な花であることがわかった。
そこに生育する植物は、このアザミ同様に、鋭い棘を隠した植物ばかり。
少年の先導で岩と岩の間を昇り降りする間にも、靴下をはかない私の足はしばしば棘に刺され、ズボンにも棘が取り付いて、後になって痛い思いをした。

馬のレリーフ 兵士?のレリーフ
ブドウのレリーフ 文字の刻まれた岩


雑誌で紹介されていたのは馬のレリーフだけだったが、少年はさらにブドウや兵士を象った2箇所のレリーフや文字の彫られた岩の在り処を教えてくれた。
ガイドか考古学者の説明を端で聞いて覚えたらしい説明を、慣れた口調で、これが何、これが何、と説明した挙句、私が岩にカメラを向けると、その横に立って足を組み、ポーズらしきものまでとるのには、さすがに私も舌を巻いた。
いつの間にか坂を登ってきた村の子供たちは、私とガイド少年の後を追って、丘の斜面に横たわる岩のモニュメントまで付いて来る。

嵐の神の像


2頭のライオンを従えた嵐の神の像は巨大なもので、少年の説明では門の一部であったという話だが、自宅に帰ってから読んだところでは、エフラトゥン・プナールの神殿の基盤の上に載せられるべき像であった可能性があるということだった。
ファスルラルの村は、ローマ、ビザンチン時代にはミスティアという名前の都市であった。遡り、ヒッタイト時代にも都市があったと考えていたが、背後の岩山の各所にポツンポツンと単独で残されていたレリーフの存在を考慮すると、ここは石切り場、もしくはレリーフやモニュメントの製作場であった可能性も考えられた。
このことは、私に新たな興味を抱かせるに十分だった。

 つづく

(4)教師の家



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